第44話 悪魔の契約書の正体
――深夜、舞金小の用務員室
私の名前は佐藤譲。
『噂を操る者』が1人、司祭服の男。
前回、舞金小の裏山で二人の魔法少女、ロジカル・シフォンとカラフル・ミルと戦い、そして破れた負け犬だ。たとえ戦いがベストの状態で行われなかったとしても、戦いに破れた者はそれ相応の責任を取らされることになる。直接戦わないとはいえ戦士のはしくれ、覚悟している。
だが今は敗北の汚名を雪ぐべく、一心不乱で次の手先となる『影』の適合者を探索する魔法に集中している。もしあるならば次の機会こそベストの状態で戦いたいのだ。
古びた机の上に広げた半透明のドーム型魔法陣の向こう側から狂気を帯びた視線が私を見つめている。魔法陣に魔力を注入するために広げた手のひらに嫌な汗が滲むのを感じ、手を止めて思わず拭いたくなる。
私にこれ程のプレッシャーを感じさせるとは。さすがレディ、上役は伊達じゃない!
佐藤にプレッシャーを与えているのは肘をついて両手を組み、口元を隠すレディこと笹塚愛美の存在だけではない。
プレッシャーの源は愛美の前に置かれた一枚の紙だ。
「佐藤……」
「は!ご心配なく!!もう少しで次の『影』の適合者が見つかりそうです!!」
「そうか、それは重畳ね。だが、佐藤。私はそんな話は求めていないわ」
上手く逸らそうとした話題は、全く逸れる気配がない!
「佐藤……。前回の敗北、残念な結果だったわね」
「は!」
(いや前回のアレは貴女が邪魔したから…)
そう云いかけたところで下唇を咬み、喉元まで出掛けた言葉を飲み込む。
「善戦したことは認めるが、敗北は敗北よ」
「……」
「たび重なる失敗。責任は重い」
「くっ!」
「これが何だか分かるかな、佐藤?」
「――いえ」
悪魔との契約書だろうか?恐ろしく禍々しい気配が漂ってくる紙だ。紙の存在に気付いてから動悸が止まらなくなっている。もしかして突然、不整脈でも発症してしまったのだろうか。
やれやれ死ぬならば戦場と思っていたが、悪魔に魂を取られ、ロジカル・シフォンに負けたまま終わってしまうのか。
「私の名前はサインしておいたわ。あとは佐藤のサインをすれば完了ね。さあさ、急ぎなさいな」
二人分の魂を使って強力な悪魔を召喚するつもりか!恐ろしい女だ!!
私は覚悟を決めた。
召喚した悪魔がいれば戦力としては十分だろうが、せめて私の手先『影』だけは準備しておきたかった。私自身の能力を持って作り出した『影』でロジカル・シフォンに一矢報いたかったが……。
「分かりましたレディ。私も男です。敗北の責任は取らせて頂……」
(あれ?何だこの契約書??)
罫線と文字だけ書かれた飾り気の無い公文書に見えるが気のせいか?名前を書くと思しき欄には年齢を感じさせない丸文字で記された笹塚愛美のサイン。その横にはボールペンの持ち手がこちらを向いて置かれている。
――婚姻届――
「どうした、臆したか佐藤?あなたらしくもないわね。身体の震えがこちらまで伝わってくるわよ」
「あ、あの。これって婚姻届ですよね?」
「ああ、そうよ!」
「結婚する時に書くやつ」
「聡いわね。その通りよ!」
「で、レディの署名が終わっていて。その横に私の名前を書く、と?」
「くどいわね。その通りよ」
「てっきり、悪魔召喚のための契約書だとばっかり思いました。あっはっは!」
「うふふ、早とちりな男ね。ほんと男って早とちりでおバカだから困るわ〜」
「いやいや、あっはっは!」
笑って誤魔化そうとする私に対し、レディの顔は笑っておらず、もちろん目も笑っていない。一切、笑う気配を見せなかった!
「笑ってないで早くサインしたらどうなの?責任取るって云ったわよね?」
「せ、責任ってロジカル・シフォンに負けた責任ですよね?そ、それもレディが余計なことしたばっかりに負けた……」
「は?余計なことって何よ?」
急に空間が歪む。
小学校の一部だった用務員室が別の次元に飛ばされたようだ。
空間と空間の層が作り出す波の揺れで全身はおろか脳の中まで揺さぶられ、身体の内側にあるものを全て吐き出しそうな衝動に襲われる。
ぼんやりした視界の中でレディを確認すると私と同じように揺れに耐えているようだ。手で口を塞ぎ必死で内臓の逆流を抑えている。
空間の揺れの収まると同時に用務員室の扉がガチャリと開いて誰かが中に入ってくる。
細身で質素なドレスを身に纏う女。ドレスは両肩から胸元まで開き、染み一つ無い絹のような肌が光る。
そしてウェーブの掛かった薄青い髪の毛が揺れている。強力な魔力を備えているのか、喩えではなく本当に髪の毛がざわざわと揺れている。
切り揃えた前髪の下には仮面。のっぺら坊を思わせる造形に半月状に目の部分だけが開き、左目からは頬骨あたりまで稲妻のような亀裂が伸びていた。
仮面の造形は我々、『噂を操る者』が身に着ける装飾と同じ。それはつまり……
私が様子を伺っている横でレディが床に膝と手を突き、恭しく頭を垂れている!私も慌てて同じように床に膝を突き平身低頭する。
「そう構えずとも良いわ……。進捗の確認がしたくてね」
「はは!」
想像以上にしっとりとした甘い声色に頭がボーッとしてくる。魔力が強力過ぎるゆえ声一つで何らかの魔法と同じような効果をもたらすのだろうか?緊張で喉が乾き口中の粘膜が張り付いてきた。
「『英霊の復活』は如何に?」
レディが私に説明を促す合図を送り、それに応えるように説明を始める。
「噂の拡散で『英霊』の顕現化に成功しました。まず第一段階は成功です」
「ふむ」
「現在、第二段階として『英霊』を暴走させる噂を拡散中。進捗は70%程度で順調でございます」
「良い。一層、励んでくださいね」
「「ははー!!」」
「敵の様子はどうでしょう?」
「魔女の作り出したロジカル・シフォンのことでしょうか?今、再戦に向けた準備中です。次こそは必ず!」
「ふふ、頑張ってくださいね。これは応援の印」
仮面の女はレディを指さして下から上へ手を振ると、レディの身体が薄暗い光に包まれていく。鈍い光が薄らいでいくとレディの身体が石の殻のような外套に包まれていた。
そして次に柔らかく手を合わせると、探索用魔法陣の針が大きくなり急激に触れ始めた。適合者を検知した時の動きだ!
「あら、これは?」
仮面の女は机の上にあった怪文書を指差す。
「そ、それは悪魔の契約書……」
「何、云ってるの佐藤?愛の誓約書でしょうが!?」
恐ろしい形相で私の首を締めるレディ、というか喪女。は、離せ!
「私、社内恋愛って大賛成。応援しちゃうわ」
「!!!」
「あら、でもコレって証人の署名が必要なんじゃない?決まってないなら私がサインしちゃおうかしら」
「ありがたき幸せ!」
「あ、あの色々とおかしくないですか?」
「煩いぞ、佐藤!部下は黙って従えば良い!」
「パワハラだ!いやセクハラだ!!ん、マリハラか??」
用務員室の古びた机には偉い人、二人の署名が入った婚姻届が私に無言の署名圧力を放ち続けていた……




