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4     

 そのメイドは、予定通りにやって来た。

「アスター様、すみません。遅れてしまって」

 鮮やかな町を横目に、笑みを作る。

 遅れてしまって、とは言っているが、今は一時前。

 夫人の時計は一時過ぎに止まっているため、まあまあ丁度良い時間である。

「いえ。私も今、来たばかりでして」



 それから数時間後。

 メイドには悪いが、この時間は適当に買い物などをしてアリバイに使わせてもらった。

 時刻は午後の五時半。


 揺れが心地良かった馬車が停車する。

 ようやく、屋敷へと帰ってこれた。


 扉を開いてメイドと共に屋敷へ入ると、使用人たちはどこか落ち着きのない動きをしている。


 どうやらパーティーの参加者が近くの川で夫人の死体を見つけたらしい。時計が一時で止まっていた事から、アスターも公爵には

『一時には何処で何をしていたのか』と問い詰められた。


 だが、夫人の死を悲しむ振りをしながら

「屋敷のメイドと出掛けると言っておいた筈なのですが……」


「アスター様とは、確かに一緒に出掛けました。町中だったので、私達の姿を見た人たちも沢山いたはずです!」


 何も知らないメイドが自らとアスターの潔白を訴えているのは、何故かとても可笑しく感じた。


 まあ、公爵には事前に出掛けることは伝えていたし、優秀なアスターは公爵も気に入っていた為、容疑者ではないかと疑われることはなかった。


 アスターは難関を乗り越え、自身の部屋に戻ろうと廊下を歩く。

 すると、後ろから地を這うような声。

「ベル……他のメイドとデートしてきたらしいじゃない」

 聞き覚えのありすぎる──お嬢様の声。

 慌てて後ろを振り向くと、俯いたお嬢様が立っていた。

 この様子から、夫人の死はまだ知らされていないようだ。

「いえ、デートではございません。買い物に付き合ってもらっただけですよ」

 アスターは適当に笑って誤魔化す。

「それより、旦那様の方へ行った方がよろしいのでは……」

「あら、どうして?」

 ソフィア夫人が死んだと言うのに、お嬢様に知らせない筈がない。きっとそろそろお嬢様は公爵に──


「お嬢様、旦那様がお呼びです……大事な話が、あるそうで」

 お嬢様を探していたらしいメイドがそう告げる。

 彼女は、昼間出掛けた──

 そのメイドはアスターと目が合うと、直ぐに逸らしてしまう。

 やはり、あの話だろうか。

 ほら、やっぱり。

 アスターは内心、ほっとしていた。

 もう少し、もう少しで、彼女が絶望に堕ちた顔を見ることが出来る。

「わ、分かったわ」

 お嬢様はスカートを翻し、公爵の書斎へと向かった。



 **



 書斎の目の前で足を止めたマリアンヌは、その大きな扉をノックする。

「マリアか……入れ」

 落ち着いているが、それにより深刻そうな父の声。あのメイドが言っていたように、やはり大事な話なのだろうか。

 扉を開くと、目の前にはお父様と、マリアンヌと同い年くらいの青年が立っていた。

 ──アスターとの出会いを思い出すその光景。

「あら、貴方は……」

 マリアンヌが青年に問う前に、お父様が口を開いた。


「ソフィアが、死んだ」


 お母様が、死んだ。

 ──死んだ?

「お父様、それは……」

「本当だ」

 何度繰り返しても、その事実は理解できなかった。

「川で水死体が発見されたようだ……まあ、それは後にして、お前に紹介したい人がいる」

 お母様が死んだというのに、父はあまり悲しそうではない。それどころか、お父様の隣でキョロキョロとしている青年に笑いかけたのだ。

 状況を理解出来ないマリアンヌに対し、父は淡々と話し続ける。

 隣に立つ青年の肩をとり、マリアンヌにも笑いかけた。


「この子は、エドワード──今日から、お前の弟だ」

 意味が分からない。

 お母様が死んだと言うのに、このタイミングで養子を?


「初めまして、姉様……と呼んでも良いですか?」

 愛らしく笑う青年──エドワード。

 何故、どうしてこのタイミングで?

 偶然なのか。

 驚きが隠せない中、ふと、気が付いてしまった。


 ああ──違う。

 実の娘に分からないとでも思ったのか。

 微笑むエドワードの目元は、隣に並ぶ父にそっくりで、まだ少し幼さを含んだ声も、それはそれはお父様に──

「エドワード?」

「はい……姉様」

 間違いない。

 どうして、こんなことを。


「そう……貴方は、そう、なのね」


 ──父だ。

 父の、実の息子。

 だが、お母様が産んだのは、マリアンヌだけだ。

 恐らくエドワードは、

「孤児院育ちだが、良くできたこだろう?是非、次期公爵に──」


 お母様が、邪魔者が居なくなったから、その子を受け入れた……?

「お父、様……」

「どうした、マリア」

 父は、お母様が死んだことなど、どうでも良いと言うようにそう笑う。

 それよりも、エドワードの事を気にしているようだ。

「お母、様は……?」

「それは残念だった。でもな、今はこうしてエドワードと出会えたことを喜ぶべきだ。ソフィアも悲しむマリアの顔は──」


 エドワードは、確実に父の、父と他の女性の子供だ。どうやって公爵家に招き入れたのか、国王がそれを許したのかは分からないが、お父様はこの子を次期公爵にするつもりだろう。

「年は同じだが、マリアがお姉さんだ。面倒を見てあげてくれ」

 嘘だ。父が、こんなこと──


 マリアンヌは、スカートの端を強く握り締める。

 喉の奥から、枯れ果てた声を絞り出す。

「分かり、ました……では、失礼します」

 皺の付いたそれを払うようにして、乱暴に扉を開ける。

 廊下に出た。

 その時廊下に居た使用人は、マリアンヌの機嫌が悪いのだとその場を去っていく。


 年が同じだと言うことは、マリアンヌが産まれたとき、いや、それよりも前から、父は他の女性と──

 マリアンヌは一瞬にして、母の死と、父の心が他の女性に傾いていたことを知り、その場に崩れ落ちた。

「お母様……」

 これでは、母が報われない。

 あまりにも、可哀想だ。


「マリア様……どうしました?」

 そんな時、偶然通りかかった彼、アスターが声を掛けてくる。

 その優しい声色に、胸が一杯になった。

 マリアンヌは感情を堪えきれずに、口からその言葉を発してしまう。

「お母様が、死んだそうよ」

 その言葉の意味を理解したアスターは少しだけ眉を動かしたが、何も言ってくれない。

 ああ──既に、知っていたのだろう。

「それと、お父様が、弟が──」

 喉の奥から溢れる、止まらない感情。

「養子、ですか」

 分かっていても、隠さなければならないと言うことは分かっていた。

 けれど、アスターには全てを話してしまう。


 誰も居ない廊下。

 全てを聞いたアスターは、複雑そうな表情をした後に薄く微笑んだ。

「義弟、ですか……しかも旦那様の実の……」

「駄目、他のメイドが聞いているかもしれないわ」

 慌てて手で口を塞ぐと、アスターは「すみません」と小さな声を出す。

「でも、エドワード様は旦那様とは違いますし、そんなに気にする必要はありませんよ。暫く近くで様子を、エドワード様の事を見てみては?」


 気にするな……?

 何が、分かるというのだろう。

 もっと、優しい言葉を掛けてくれると思っていた。

 期待していた物とは、遥かに違う言葉。

「お父様は、お母様を裏切ったのに……?気にするなって、そんな事を言うのね……」


 分かっている。アスターが仕えているのは父で、主のことを悪くは言えないと。

 マリアンヌのやっていることは、アスターから見れば面倒臭いだけだろう。

「マリア様」

 今は、心地良かった筈のその声がやけに鬱陶しい。


「お母様はっ、死んだのよ……!!」

 ついつい感情的になり、大声を出してしまう。

「あっ……」慌てて言葉を止めようとしても、マリアンヌの声はとどまることなく廊下に響く。

 遅かった。

「……っごめんなさい、部屋で休むわ」マリアンヌは歪んだ悲しみの表情を更に青ざめて、アスターから目を逸らす。

 そして、視界からアスターを外すように後ろを振り向き、カツカツと音を立てて歩き出した。

 心臓の音をかき消すように靴底に力を加える。


「お母様は、死んでしまったと言うのに……」


 お母様の死を悲しむ仕草など見せず、そのタイミングで他の女性との子供を公爵家に招き入れた父。

 そして、アスターの言葉。

「どうして、こんなことに……」

 マリアンヌは瞳から溢れ落ちる涙を拭いながら、そう呟いた。

 変な噂を立てられて、お母様が死んで。

マリアンヌは自身の部屋の扉を強引に閉めると、ベッドのシーツに顔を埋める。

 ただ、静かに目を閉じる。

 これ以上、何も溢れないように。

 


 その二つが繋がっていると言うことを──

 悲しみに堕ちるマリアンヌを、アスターが嘲笑っていたことにも気づけぬまま。

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