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そのメイドは、予定通りにやって来た。
「アスター様、すみません。遅れてしまって」
鮮やかな町を横目に、笑みを作る。
遅れてしまって、とは言っているが、今は一時前。
夫人の時計は一時過ぎに止まっているため、まあまあ丁度良い時間である。
「いえ。私も今、来たばかりでして」
それから数時間後。
メイドには悪いが、この時間は適当に買い物などをしてアリバイに使わせてもらった。
時刻は午後の五時半。
揺れが心地良かった馬車が停車する。
ようやく、屋敷へと帰ってこれた。
扉を開いてメイドと共に屋敷へ入ると、使用人たちはどこか落ち着きのない動きをしている。
どうやらパーティーの参加者が近くの川で夫人の死体を見つけたらしい。時計が一時で止まっていた事から、アスターも公爵には
『一時には何処で何をしていたのか』と問い詰められた。
だが、夫人の死を悲しむ振りをしながら
「屋敷のメイドと出掛けると言っておいた筈なのですが……」
「アスター様とは、確かに一緒に出掛けました。町中だったので、私達の姿を見た人たちも沢山いたはずです!」
何も知らないメイドが自らとアスターの潔白を訴えているのは、何故かとても可笑しく感じた。
まあ、公爵には事前に出掛けることは伝えていたし、優秀なアスターは公爵も気に入っていた為、容疑者ではないかと疑われることはなかった。
アスターは難関を乗り越え、自身の部屋に戻ろうと廊下を歩く。
すると、後ろから地を這うような声。
「ベル……他のメイドとデートしてきたらしいじゃない」
聞き覚えのありすぎる──お嬢様の声。
慌てて後ろを振り向くと、俯いたお嬢様が立っていた。
この様子から、夫人の死はまだ知らされていないようだ。
「いえ、デートではございません。買い物に付き合ってもらっただけですよ」
アスターは適当に笑って誤魔化す。
「それより、旦那様の方へ行った方がよろしいのでは……」
「あら、どうして?」
ソフィア夫人が死んだと言うのに、お嬢様に知らせない筈がない。きっとそろそろお嬢様は公爵に──
「お嬢様、旦那様がお呼びです……大事な話が、あるそうで」
お嬢様を探していたらしいメイドがそう告げる。
彼女は、昼間出掛けた──
そのメイドはアスターと目が合うと、直ぐに逸らしてしまう。
やはり、あの話だろうか。
ほら、やっぱり。
アスターは内心、ほっとしていた。
もう少し、もう少しで、彼女が絶望に堕ちた顔を見ることが出来る。
「わ、分かったわ」
お嬢様はスカートを翻し、公爵の書斎へと向かった。
**
書斎の目の前で足を止めたマリアンヌは、その大きな扉をノックする。
「マリアか……入れ」
落ち着いているが、それにより深刻そうな父の声。あのメイドが言っていたように、やはり大事な話なのだろうか。
扉を開くと、目の前にはお父様と、マリアンヌと同い年くらいの青年が立っていた。
──アスターとの出会いを思い出すその光景。
「あら、貴方は……」
マリアンヌが青年に問う前に、お父様が口を開いた。
「ソフィアが、死んだ」
お母様が、死んだ。
──死んだ?
「お父様、それは……」
「本当だ」
何度繰り返しても、その事実は理解できなかった。
「川で水死体が発見されたようだ……まあ、それは後にして、お前に紹介したい人がいる」
お母様が死んだというのに、父はあまり悲しそうではない。それどころか、お父様の隣でキョロキョロとしている青年に笑いかけたのだ。
状況を理解出来ないマリアンヌに対し、父は淡々と話し続ける。
隣に立つ青年の肩をとり、マリアンヌにも笑いかけた。
「この子は、エドワード──今日から、お前の弟だ」
意味が分からない。
お母様が死んだと言うのに、このタイミングで養子を?
「初めまして、姉様……と呼んでも良いですか?」
愛らしく笑う青年──エドワード。
何故、どうしてこのタイミングで?
偶然なのか。
驚きが隠せない中、ふと、気が付いてしまった。
ああ──違う。
実の娘に分からないとでも思ったのか。
微笑むエドワードの目元は、隣に並ぶ父にそっくりで、まだ少し幼さを含んだ声も、それはそれはお父様に──
「エドワード?」
「はい……姉様」
間違いない。
どうして、こんなことを。
「そう……貴方は、そう、なのね」
──父だ。
父の、実の息子。
だが、お母様が産んだのは、マリアンヌだけだ。
恐らくエドワードは、
「孤児院育ちだが、良くできたこだろう?是非、次期公爵に──」
お母様が、邪魔者が居なくなったから、その子を受け入れた……?
「お父、様……」
「どうした、マリア」
父は、お母様が死んだことなど、どうでも良いと言うようにそう笑う。
それよりも、エドワードの事を気にしているようだ。
「お母、様は……?」
「それは残念だった。でもな、今はこうしてエドワードと出会えたことを喜ぶべきだ。ソフィアも悲しむマリアの顔は──」
エドワードは、確実に父の、父と他の女性の子供だ。どうやって公爵家に招き入れたのか、国王がそれを許したのかは分からないが、お父様はこの子を次期公爵にするつもりだろう。
「年は同じだが、マリアがお姉さんだ。面倒を見てあげてくれ」
嘘だ。父が、こんなこと──
マリアンヌは、スカートの端を強く握り締める。
喉の奥から、枯れ果てた声を絞り出す。
「分かり、ました……では、失礼します」
皺の付いたそれを払うようにして、乱暴に扉を開ける。
廊下に出た。
その時廊下に居た使用人は、マリアンヌの機嫌が悪いのだとその場を去っていく。
年が同じだと言うことは、マリアンヌが産まれたとき、いや、それよりも前から、父は他の女性と──
マリアンヌは一瞬にして、母の死と、父の心が他の女性に傾いていたことを知り、その場に崩れ落ちた。
「お母様……」
これでは、母が報われない。
あまりにも、可哀想だ。
「マリア様……どうしました?」
そんな時、偶然通りかかった彼、アスターが声を掛けてくる。
その優しい声色に、胸が一杯になった。
マリアンヌは感情を堪えきれずに、口からその言葉を発してしまう。
「お母様が、死んだそうよ」
その言葉の意味を理解したアスターは少しだけ眉を動かしたが、何も言ってくれない。
ああ──既に、知っていたのだろう。
「それと、お父様が、弟が──」
喉の奥から溢れる、止まらない感情。
「養子、ですか」
分かっていても、隠さなければならないと言うことは分かっていた。
けれど、アスターには全てを話してしまう。
誰も居ない廊下。
全てを聞いたアスターは、複雑そうな表情をした後に薄く微笑んだ。
「義弟、ですか……しかも旦那様の実の……」
「駄目、他のメイドが聞いているかもしれないわ」
慌てて手で口を塞ぐと、アスターは「すみません」と小さな声を出す。
「でも、エドワード様は旦那様とは違いますし、そんなに気にする必要はありませんよ。暫く近くで様子を、エドワード様の事を見てみては?」
気にするな……?
何が、分かるというのだろう。
もっと、優しい言葉を掛けてくれると思っていた。
期待していた物とは、遥かに違う言葉。
「お父様は、お母様を裏切ったのに……?気にするなって、そんな事を言うのね……」
分かっている。アスターが仕えているのは父で、主のことを悪くは言えないと。
マリアンヌのやっていることは、アスターから見れば面倒臭いだけだろう。
「マリア様」
今は、心地良かった筈のその声がやけに鬱陶しい。
「お母様はっ、死んだのよ……!!」
ついつい感情的になり、大声を出してしまう。
「あっ……」慌てて言葉を止めようとしても、マリアンヌの声はとどまることなく廊下に響く。
遅かった。
「……っごめんなさい、部屋で休むわ」マリアンヌは歪んだ悲しみの表情を更に青ざめて、アスターから目を逸らす。
そして、視界からアスターを外すように後ろを振り向き、カツカツと音を立てて歩き出した。
心臓の音をかき消すように靴底に力を加える。
「お母様は、死んでしまったと言うのに……」
お母様の死を悲しむ仕草など見せず、そのタイミングで他の女性との子供を公爵家に招き入れた父。
そして、アスターの言葉。
「どうして、こんなことに……」
マリアンヌは瞳から溢れ落ちる涙を拭いながら、そう呟いた。
変な噂を立てられて、お母様が死んで。
マリアンヌは自身の部屋の扉を強引に閉めると、ベッドのシーツに顔を埋める。
ただ、静かに目を閉じる。
これ以上、何も溢れないように。
その二つが繋がっていると言うことを──
悲しみに堕ちるマリアンヌを、アスターが嘲笑っていたことにも気づけぬまま。