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【完結】スカビオサの花束  作者: 白川雪道
スカビオサ
20/22

4     

 


 人々の騒がしい声。それが鬱陶しく耳にへばり付く。

 時々鼻を掠める煙臭い煙草の香り。自分自身もその臭いを纏いながら、街中をふらふらとしていた。

 ここに来てから時々スリに遭ったりもしたが、もう慣れた。もう見慣れた汚い街並みを目にしながら、当てもなく適当に歩く。


 無計画な暗殺は失敗し──あれから、三ヶ月が経とうとしていた。

 屋敷を追い出されてから、生活は意外にもこれまでの貯金で何とかなっていた。

 が、それももう尽きようとしている。

 適当に仕事を見つけて頑張ってはいるが、以前のような生活など出来る筈が無かった。

「……またか」

 暫く前に買った小屋に帰ると、室内は散らかっていた。

 あぁ、まただ。

 以前もこうして空き巣に遭ったことがある。

 幸い、貴重な物は全て、カーペットの下にあるとても小さな倉庫(とは言えないかもしれないが)に仕舞ってあったので取られてはいなかったが、片付けが面倒そうである。

 アスターは溜め息を吐きながらも、そのまま屈んでバラバラになったガラスの破片を拾う。屋敷では、こんなことは無かったのに。無意識に不満を口にしながら、静かに立ち上がった。


 一時間程掛けて片付けを終えると、疲れ切った体を癒やす為に硬く肌触りの悪い布団に体を埋めた。手触りの悪いシーツが頬を擦る。

 まだ夕方だというのに、眠気が意識を襲ってくる。

 まあ良いか、と目蓋を閉じると、ふとあのお嬢様の顔が浮かんだ。


 艶やかで風に靡く髪に、同じように輝く宝石を閉じ込めたかのような瞳。

 雪のようなその白い肌には、淡い色味のドレスがよく似合う。

 ──あの細い首を掴んだとき、自分はどんな顔をしていたのだろうか。

 もう終わった筈なのに、そんなことを考えてしまう。


 もう、忘れたい。

 消えてしまいたい。

 中途半端に終わってしまったことが、これほどなく悔しくて。虚しくて。死にたくなる。

 なのにあの時、お嬢様を殺せなかった事へ“安心感”を覚えたのも事実であった。

 閉じきった目蓋に力を入れる。溢れそうになる涙を乾かすために体を起こして仰向けになる。こんなの、情けない。

 

 そんな自分を、呪いたくなった。



 **



 次に聞こえたのは、何者かが扉をノックする音だった。

 時計を見ると、既に早朝。

 汗を流すのを忘れていたが、そんなことはどうでもいい。取り敢えず出なくてはと返事をする。

 夕食を食べていない為ベッドから起きるのもやっとだったが、そのまま扉の前へと向かった。

 一体誰だろう、こんな時間に。

 髪を掻き上げ、軽く整えてドアノブを捻る。そのまま扉を開くと、そこには懐かしさを感じさせる青年の顔があった。

 目を少し見開き、そのまま口を開く。

「エドワード、様」

 一体どうやって此処を調べたのか。

 そう思ったが、気付いてしまった。結局、お嬢様の訴えは認められず、罪人であるアスターを捕らえに来たのだろう。

 ──でも、もういい。このまま生きていてもつまらない。


 そのまま抵抗せず動かないでいると、エドワードは硬い表情をしながら、静かに“それ”を差し出した。

「お前宛だ」

 そうやって、猫のような鋭い瞳で睨んでくる。その様子を見ると、どうやら、アスターを捕らえに来た訳ではないらしい。

「手紙……私に、ですか?」

 すっかり荒れた手でその手紙らしき物を受け取る。

 こんなもの。一体、誰から。それに何故、エドワードが届けに来たのだろうか。それに、手紙には差出人が書かれていない。

 疑問に思っていると、エドワードがそれに答えるように言った。

「知らないのか? ……まあ、新聞を買えるほどの金も無いんだろうな」

 彼は、こんな人だっただろうか。──こんな風に笑うような男だっただろうか。

 口調も変わっているし、何より表情が硬い。


「……?」

 慌てて白い封筒を開ける。その中には、綺麗に折り畳まれた真っ白な紙が入っていた。

 それを開くと、今度は丁寧で美しい字が目に入る。

 読む前に差出人を確認しようと下の欄を見てみると、確かに『マリアンヌ・スペンサー』と、これまた美しい字。

「お嬢様が……?私に」

 慌てて目を通す。

 一体、何が書かれているのか。

 嫌な予感がする。

 ──いや、きっと、気のせいだ。

 そうに決まっている。








































































































 黙々とその文章を目で追っていく。途中、震える指先でペンを握ったのだと分かる程、文字は滲んだり崩れたりしていた。所々に読めなくなっていた所もある。

 ──泣いて、いたのだろうか。

「……お前、知らなかっただろ」

 すっかり低くなった彼の声は、少しだけ揺れていた。

「……っ」

 読み終え、紙がくしゃくしゃになる程、その手紙を握り締めた。

 そして、既に分かりきった事を問うのだ。

「……お嬢様は」

 自分で思っていたよりも、小さく怯えたような声が出る。




「あぁ、死んだよ。一昨日首を吊って」




 中途半端に開いた唇。

 はっきりとそれを耳にして、手紙を、いや、遺書だと思われる物を乱暴に振り下ろす。

「それ。それが、引き出しに、入ってたんだよ。お前に渡せって」

 エドワードは今にも泣き出しそうな表情をして、唇を強く噛んでいる。

 丁寧に書かれた遺書には、謝罪の言葉が多く鏤められていた。


 ──アスター・ナイトベル様

 ──貴方がこれを読んでいるということは、私は既にこの世に居ないと言う事でしょうか。

 ──お恥ずかしながら、手紙を書くのは初めてですので、何からお話しすれば良いのか迷っています。

 ──少し、昔の話をさせてください。


 くしゃくしゃの遺書をもう一度広げると、そうやって落ち着いた様な印象で始まるのだ。

 出会った時から現在までが、丁寧に、話すように書かれているのである。そこから先は、先程とは別の水滴のせいで滲んで読めなくなってしまった。

「何故、どうして」

 悲しめるような、後悔できるような立場でないことなど、分かっていた。でも、だって。こんなこと。

「分かってる筈だ。婚約破棄にお前の裏切り、居場所なんて何処にも無かったって」

 俯いたエドワードは、悔しそうに拳を握る。


「──確かに、あの人はお前を許したし、ここまで逃がした。でも俺は、お前を一生許さない」


 少し前まで、『僕』とまだ子供のような印象だった。

 けれども、今の彼はそうやってアスターを睨む。三ヶ月。たった三ヶ月で。

 そんな彼を見ていると、暫くして此方を突き放すように後ろを振り向く。


「あの人が死んだのは、お前のせいだ。……これから一生、この償えない罪に苦しんで生きてろよ」


 それだけ。本当にそれだけを伝えに来たのだ。わざわざ、こんな所まで足を運んで。

 たった、これだけ。静かに言い残して、大きな背中を向けたまま去って行こうとする。

 どうして。どうして。

 アスターには、それを止めることさえ出来なかった。




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