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「エドワード、様」
そうだ。寝室に現れたのは、お嬢様の弟であるエドワード。
お嬢様の上に覆い被さるアスターを捉えた彼は、瞬時にアスターをベッドから引きずり下ろして床に押さえ付けた。
「姉様、首に傷が……!!どうしてこうなるまで合図をくださらなかったんですか!!」
合図……まさか、
「いいじゃない。深くはないし、すぐに治るわ」
お嬢様はその目を細めてベッドの上からアスターを見下ろす。
「感情を抑えきれず手を出したからかしら。見事に掛かったわね」
罠、だったのだろう。
『ベル……雷が鳴っているから、私が眠るまで部屋に居てくれないかしら……』
そう微笑む薄ピンクの唇。微かに震えていたのは、恐怖からではなかったのか。
あの時から、既に。
「私は、嵌められたんですね」
意外にも冷静に、そう理解できた。
お嬢様は小さく咳き込むと、それを待っていたかのように冷たく息を洩らす。
「別に、エドワードにベッドの下で待機してもらっただけよ?貴方がこんなことをするだなんて、本当に思っていなかったから」
そうやって、自身の血液が付着したナイフを拾う。
「何故……。何故、私がマリア様を殺そうとしていると?」
それだけが、疑問だった。
いつから知っていたのか。
「それは……貴方は知らなくていいことよ」
何故かそこだけ、そうやって目を伏せた。
「……姉様! 屋敷の牢屋へ入れておきましょう」
エドワードはしっかりとアスターの腕を捉えていて、年下の力と言えど、とても立ち上がれそうにない。
そうか、公爵家の者に手を出したのだから、どんな理由があったとしても──“極刑”は免れないだろう。
けれど、お嬢様は可愛らしいネグリジェのスカートを翻して言った。
「そうね。“彼”は、荷物と一緒に、屋敷の外へ放り出しておきなさい」
一瞬、息が出来なかった。
「は?」
エドワードの思わず、と言った声。
「え……?」
アスターも声を漏らす。
今、お嬢様は屋敷の外へ放り出しておけと言った。
──罪としては、あまりにも軽すぎる。
いや、そもそも罪人を逃がしては駄目なのでは。
「ほ、本気ですか……!? 姉様、流石にそれは……。此奴は、牢へ入れておくべきですよ!!」
エドワードははっきりとアスターを睨んだ。 そうだ。自分でも、エドワードの言うとおりだと思う。エドワードの言うように、アスターを牢へ入れておくべきだろうに。
だが、お嬢様ははっきりと言ったのだ。
「……エドワード。早くして。私がそう言っているのだから。解雇も立派な罰よ」
「姉様!」
本当に何を言っているのだろう。
自分を殺そうとしていた相手を逃がすなど。こんなの、馬鹿のすることである。
我慢できなくなったアスターは、二人の間に入り込み、はっきりと言った。
「お嬢様、私を牢へ入れてください」
復讐に失敗して、更には憎い相手に借りを作るなど、中途半端であまりにも惨めではないか。
逃がされるよりは、大人しく処刑された方がまだましだ。
なのに、お嬢様はアスターを見下ろして叫んだ。
「いいえ、貴方は今解雇されたの。……今すぐ、貴方はこの屋敷から出ていきなさい!」
「姉様、可笑しいですよ……。可笑しすぎますよ!!」
そんなエドワードの声を無視して、お嬢様は廊下へ出る。
数秒間のその間が、何分にも何時間にも感じられた。
バタバタした足音が近づき、扉の隙間から漏れた光が途切れる。
「お嬢様……彼は?」
それは──何処からか連れてきた使用人に対し、お嬢様は淡々と話し続ける。
「そうよ。この愚か者を追い出しなさい」
と此方を冷たく見下ろし、冷たい息を吐いた。
「お嬢様。ですが、旦那様には──」
何も知らない使用人は、お嬢様の首の傷、エドワードに押さえ付けられたアスターを見て戸惑っているようだった。
「──いいわ。お父様には私から言っておくから、早くしなさい」
「お嬢様っ、そんなのっ……。早く私を、牢へ」
何故、そんなにも──
「分かりました」
何も知らない使用人は、アスターがどんなに拒否しようとお嬢様に従った。
二の腕を掴まれ、引き摺られる。
「やめっ、牢へ入れてください……!」
アスターが叫んでも、お嬢様は決して『牢へ入れろ』とは言わなかった。使用人も、アスターを半ば強引に引きずって行く。
廊下で更に二人に捕まり、もう戻れないという所で、お嬢様の姿が見えた。
その姿さえ、もう遠くなっていく。
頬に流れた涙が、淡い光を反射して美しく輝いていた。
「さようなら、アスター」
静かな、けれども震えた声。
最後に、そう聞こえた気がした。




