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思えば、彼と出会ったあの瞬間から、運命は既に決定していたのかもしれない──
スペンサー公爵家の御令嬢。マリアンヌ・スペンサーは自分より大きな窓から、雨の滴る屋根を眺めた。
そして、瞳を歪めて薄紫色のカーテンを閉める。
彼女は酷く退屈していた。
──そんな時だった。
コンコン、と扉をノックする音。
お父様かしら、と入室を許可してみれば、そこにいたのは勿論お父様で、その隣にはとても美しい顔立ちの青年が立っていた。
「お父様…その子は…?」
青年はとても美しい顔立ちをしていた。
一瞬、もしかしたら不義の子なのではと疑ってしまったが、父に限ってそんな事はないだろう。更にその青年が使用人の服装をしている事に気が付いて、その可能性はないと断定できた。
マリアンヌは椅子から立ち上がり、その青年をじっと見つめてやる。
多分、同い年……だろうか。
「貴方、どちら様?」
使用人にしては見ない顔なので、そう伺ってみせる。
すると青年は無表情のまま丁寧に挨拶をする。
「初めまして、お嬢様。今日からお嬢様の身の回りのお世話をさせて頂くこととなりました。アスター・ナイトベル、と申します」
アスター……それにしても美しい顔立ちをしている。
マリアンヌが昔から綺麗な物を好きだと知っている父が用意してくれたのだろうか。
確かに、マリアンヌが好みそうな……いや、もう既に気に入っている整いすぎた美形。
──そういえば、昔は我儘ばかり言っていた。そのせいで父を困らせてきたし、皆から嫌われてしまった事を思い出す。
自覚はしているが、中々治らないのだ。
その中で、ずっと覚えているのは──
たった一度だけ、兄弟の居ないマリアンヌは、庶民の女性を姉にしたいと連れてきたことがある。
まあ、結局飽きてしまったのだが。
そういえば、あの後女性はどうなったのだっけ。
覚えていない。
美しい顔をしたこの青年には嫌われたくないなと思いながら、スカートの裾を広げて優しそうに微笑んでみる。
「こんにちは、私はマリアンヌ。マリアと呼んで。貴方は……ベルと呼んでもいいかしら?」
いきなり名前を呼んだら馴れ馴れしいかなと思い、そう提案すると、青年は少しだけ口の端を吊り上げた。
「勿論です。マリア様」
その妖しい笑顔も美しいなと見とれてしまう。
とまあ、これがマリアンヌとアスターの出会い。
あれから、三年が経った。
マリアンヌは十五歳、アスターは一つ上の十六歳。いつもよくやってくれている。
「今日はどんな髪型にしましょう?」
いつものようにマリアンヌの髪を結ってくれるアスター。
「そうね……いつもより控えめに」
そう。今日は入学式。
遂に学園に通えるのだ。
ちなみに、アスターは元々頭が良く、屋敷に来たとき、十三歳の時から既に学園を卒業できるほどの学を身に付けていた為、マリアンヌと共に学園に通ってもよいし、屋敷で任された仕事をしていてもよいと言われているようだった。
「ベル、一緒に行きましょうよ」
と誘ってみたはいいが、アスターは、
「仕事が沢山ありますので」
と笑って誤魔化してしまう。
いつもそうだ。
「ねえ、ベル」
ちなみに、まだアスターのことは名前で呼べていない。
なんとなく、遠慮してしまうのだ。
此方の方が立場が上だと言うのに、何故だろう。
「私、貴方が居なくてやっていけるかしら」
「入学式はちゃんと行きますから……いいお友達が出来るといいですね」
「そうね、そういえば───」
アスターはあまり人と居るようなタイプではなかったが、聞き上手で、今日あった出来事から愚痴まで、黙ってマリアンヌの話を聞いていた。
暫くして、アスターがマリアンヌの頭から手を離す。
「出来ましたよ」
マリアンヌは目の前の鏡に目線を移す。
ハーフアップ。マリアンヌの要望通り、派手すぎず控えめすぎず……
まあまあ良い出来だ。
制服と合わせてみても違和感は無い。
身支度を整えた後、馬車に乗り込み学園へ向かった。
「ねえ、本当に大丈夫かしら」
貴方がいないと不安だわ、と目を伏せてみても、アスターは何度も同じように笑って誤魔化す。
アスターからの返事がないまま、暫くして聞こえたのが、
「着きましたよ」
という彼の声。
立派な門の前に馬車を停め、アスターにエスコートしてもらいながら降りる。
あちこちに沢山の人がいて、同じ制服、同じ靴、同じ鞄……
アスターが制服を着ればこんな感じだったのだろうなという想像が頭を過り、ふっと笑ってしまった。
校舎内に順序よく綺麗に並べられた椅子に座ると、当然だがアスターは離れていく。
ふと、アスターがこの場に居たら、と考えた。
隣の席に座って、目が合ったら微笑みかけてくれる。
でも、そんなものは妄想に過ぎない。
「私と一緒じゃ、つまらないのかしら」
アスターはきっと、マリアンヌに何を言われても入学しないだろう。
その気が無いのだ。
昔のマリアンヌなら、権力を使って無理矢理にも入学させただろうし、クラスも同じになるように仕向けたかもしれない──が、彼に嫌われたくないという思い、我儘なばかりではいけないと、マリアンヌはそれをしなかった。
──まあ、彼は学園に通う必要など無いのだし、彼にとって低レベルな、しかも一学年下の授業などつまらないだろう。
可笑しいのはマリアンヌだ。
彼を求めてしまう、“自分”だ。
そんな事を考えている内に、式が始まる。
だが、内容など頭に入って来なかった。
幼馴染みで婚約者のミスト殿下がステージに立って挨拶をしている時ですら、全く別の事を考えていた。
「マリア様、教室へ行きましょう」
暫くして、そんなアスターの声で我に返る。もう、終わったのか。
「そう」
マリアンヌは慌てて壁に掲示させている一覧表を見に行くため立ち上がった。
──AからDまである内の一クラス。
「A組ね」
勿論、アスターの名は何処にも書かれていない。
もしかしたら、と必死になって彼の名前を探していた自分が、馬鹿馬鹿しくなった。
アスターは、完璧だ。
そんな彼が、昔から大好きだった。
──密かに、恋い焦がれていた。
念願の初連載でございます
最後まで楽しんで頂ければ嬉しいです