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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
初恋と失恋と
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林檎ちゃんは失恋したい

ーー今日も、くだらない話をしてる。


青華蓮(せいかれん)女子高等学校、校門前にて。林檎は、密かに息を吐いた。


「あっお嬢様ぁ〜、こっちです〜」


最近執事として林檎のそばについている橿屋を見つけて、林檎はほっとする。呑気に手を振る姿に、ではなく、ここから抜け出せることにである。林檎はくるりと振り向いた。


「では皆さま、執事が待っておりますので。ごきげんよう」




「何の話をしてたんですか?」

「別に。色恋の話です」


その頃の林檎は……つまり、現在より半年前の林檎は、橿屋とあまり仲が良くなかった。それでもそばに置いていたのは、彼が、“あの頃”のことを知らない人間だからだ。


「へぇ〜」


橿屋は、良い意味で冷めた男だった。だから、これ以上、林檎のことには踏み入ってこないのだ。林檎の過去は、他の使用人や、父から聞いているだろうに。


炎天下に晒されていた体を車内の冷房で落ち着けながら、林檎は、流れる景色に目を移す。歩道の街路樹は天まで青々とした葉を伸ばし、半袖を着た人々が、暑そうに自分を扇いでいる。


世界は、林檎の嫌いな季節へと移り変わろうとしていた。あの子と出会い、別れた季節へと。


頬杖をつきながら、林檎は、心地よい車内で、また、息を吐く。


「ラジオつけますね〜」

「どうぞ」


林檎と喋る気など毛頭ない橿屋が、車内の空気に耐えかねて、ラジオ番組をつける。それは、林檎も願っているところだ。


『では、今日のテーマを発表します。今日のテーマは、ずばり! “忘れられない思い出”です。いやぁ、この番組史上最も綺麗なお題じゃないですか?』


忘れられない思い出。


つられて、林檎は、それを思い出す。忘れたくても、忘れられない思い出。あの頃の林檎は、恋がよく、わかっていなかった。


ただ、失って、時を経るごとに、文字通りの失恋は、林檎に重くのしかかってきたのだ。


青華蓮女子高等学校は、年頃の少女が通っている高校だ。


閉鎖的であるからこそ、恋愛ごとには、人一倍関心が強い。今日も、橿屋が現れるまではその話をしていた。林檎はお得意の笑顔で、自分のことは話さず、他の生徒達の話を聞いていた。


規則正しい速度での運転。規則正しく流れていく景色に、ラジオパーソナリティの優しい声。林檎は、うつらうつらと、船を漕ぎ始める。


どうせ、橿屋と話すことなど何もないし、橿屋だって、林檎が眠っていれば、コミュニケーションをとる必要もなく気が楽だろう。


それに。


ーーもう、あの子はこの世にいないから。


優しいパーソナリティの声を聞いて眠りに落ちれば、夢であの子に会える気がしたのだ。




『……次のお便りです。私の忘れられない思い出は、サイン馬券を当てた思い出です。あのね、だから、どうしてウチのリスナーは賭け事に寄っちゃってるんでしょうか』


天を仰がんばかりのパーソナリティの声で、林檎は目が覚めた。


夢では結局、あの子には会えなかった。

どころか、ラジオのお題に対するリスナーからの便りがあまりにも俗っぽすぎて、林檎はすぐに、現実に引き戻されてしまったのだ。


起き抜けの目を擦る。まだ、外の景色は夏めいたまま。白い夏服を着た少年が、なにやら急いだ顔をして走っている…………林檎は、窓に張り付いた。


「橿屋、とっ、止めて!」

「はぁ」


林檎の焦った声にも動じず、橿屋が車を道端に止めた。高鳴る心臓を押さえつけて、


「か、橿屋っ」

「何ですかお嬢様」

「あの子を追いかけて!」

「……わかりましたぁ!」











実は、林檎は夢を見ていて、あれはその続きだと思っていた。


けれどもそれは現実で、林檎はもう一度、恋に落ちたのだ。雲の隙間から太陽が覗くように、それは天啓に満ちていた。実際には、とんでもなく、グロテスクな恋であったのだけれども。


その頃のことを思い出すと、林檎の胸の中には、温かな感情が湧いてくる。


多原を見かけてから、林檎は、橿屋と共犯関係になった。小学校の頃、離島であったことも、すんなりと話せるようになったのだ。


その過程で、島崎昢弥と接触し、さまざまな情報を提供する代わりに、多原の写真を貰うことになったのだ。


とにかく、いま、目の前にいる少年に出会ってから。林檎の人生は、再び、輝き始めたのである。


……その輝きを、林檎は手放そうとしている。




冷たい言葉で応接室に案内した多原を、向かいのソファに座らせ、林檎は、嘲りの笑みを浮かべる。多原に会うまでに、随分と発達してしまった技術だ。


「今思えば、あの時の私は少しおかしかったのです。いくら恩人とはいえ、貴方のような下等な人間と、親交を持とうなどと」


多原は何も言わない。


気のせいだろうか、彼は、覚悟をして来ているように見えた。林檎と会った時から、彼は、波一つない、湖のような表情を浮かべていたのだ。


ーーああ、やっぱりちがう。


林檎はその時、そう思ってしまった。この人は、死んでしまった人間とは違う人間なのだと。


多原と、これまでと変わりない親交を持つことはできる。だが、林檎は、これ以上そんなことを続けたくはなかった。


これ以上続ければ、きっと林檎は、目の前の少年を壊してしまう。多原貴陽という人間を見ずに、ずっと、あの子の代わりの人形役をさせて、全てを、あの子と同じにしようとするだろう。


秋の山荘にて、林檎を見下した少女のことを思い出す。


ーー多原君は、あの子とは違う。


二回目は自己暗示だった。未だに手を離そうとしない惨めな自分を叱咤するための。目の前の少年を、こんなにきたない自分から解放するための。


「葉村も、門脇社長も心配なさらず。彼らは有能ですから、私の手駒として重宝いたしますわ。ええ、貴方と違って、利用価値がありますの」


やはり、多原は何も言わず、じっと、林檎を、彼らしくない顔で見ていた。林檎には、たいへん都合が良かった。いつものように狼狽えられては、良心が痛んで、勢い余ってすべてを話してしまいそうになるからだ。


話すだけならまだ良いか。


次に林檎は、彼を、この家から出られなくしてしまうだろうから。


林檎は思う。白川のご令嬢にはこの恋を否定されたけれど、林檎は、彼女達と同じくらい、心に化け物を飼っているのだ。その化け物の牙が多原に向かないように、今、林檎は手綱を精一杯引いている最中。


「ですから、もう二度と、私の前に現れないでくださいね?」


念押しするように林檎はそう言った。


襲ってくる、二度目の失恋の痛み。だがその痛みを顔に出してしまっては、目の前の優しい少年はここから去ってくれないだろう。


ーー私から、多原君を逃がしてあげられない。


涙が出そうになるのは、笑顔で誤魔化した。


「どうしたのですか? 早く私の前から消えてください」


ーー完璧だ。


完璧な失恋だ。心変わりをした林檎が、一方的に多原を突き放す別れ方。林檎は伝えたかった。多原には、何の落ち度もないことを。この失恋には、林檎だけに、落ち度があるのだ。


ーー私のことなんて忘れて、幸せになって。


純粋とは言えないけれど、ほんとうに貴方のことを思っている人のことを見てあげて。


切なる願いをこめて、林檎は、多原を突き放す。


多原は、すくっとソファから立ち上がる。静かな湖のような目……から、いつものような常に細波が立っている海のような目になって。


あの子のような、ちょっと困った顔になって、言った。


「すみません、今ちょっと俺、“無”になる練習をしてて……うまく言えないんですけど」

「えっ」


予想外の言葉を言われて、林檎は少し動揺した。“無”になる練習とは一体何なんだろうか。


思考がまとまっていない様子の多原は、頬をかきつつ。


「林檎さんが言ってたことはごもっともです。俺も自分磨きをしなきゃなって思いました」

「えっ」


同じ反応をしてしまう林檎は、思わず、立ってしまった。


「ど、どうして、そんなに動じてないんですか!?」

「えっ。さっき林檎さんが言ってたことは、だいたい芝ヶ崎で言われ慣れてるので……」


怒られた時のように、ボソボソと、ちっちゃな声で言う多原。林檎は天を仰ぎそうになった。


そうだった。目の前の男の子は、芝ヶ崎という異常な環境で、貶められることに慣れているんだった!


……がらがらと、理想の、世界一綺麗な失恋が崩れていく音を、林檎は確かに聞いてしまった。


「それでも、林檎さんに言われるとけっこう傷ついたんですけど、“無”になる練習をしてたので大丈夫でした」


フォローになっていないフォローをしてくれる多原は、笑顔で、ぐっ! と親指を立てる。林檎は、へなへなとソファに座り込んだ。


「え、えっと……林檎さん? 大丈夫ですか?」


この期に及んで、林檎の心配をしてくれる多原に、林檎は、泣いて良いやら、笑って良いやらわからない。両手を叩くと、苦笑している様子の橿屋が、隣室からドアを開けて出てきた。


林檎は、橿屋に言った。


「作戦その二です。多原様を、私の部屋にご案内してください」


作戦その二。世界一汚い失恋。


自分のストーカー部屋に案内して、多原を失望させ、恐怖に追い込む。


手段は選んでいられない。

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