問答
夏翁は検索するとネギが出てきました。野菜の名前って格好良いですよね。
「だから、多原を出せと言っている。何回言わせるんだ? 時間稼ぎか?」
これが自分だったら泣いちゃうなと、有嵜は、巳嗣と、円佐木の使用人のやりとりを聞いていて思った。巳嗣側でよかった、本当に。
巳嗣達が、円佐木本家に着いたのは、夜の七時頃。
沈黙する瓦屋根の正門は、少しばかりの照明に照らされてはいるが、闇の中にどっしりと構えていて、威圧感がある。
だが、鳶崎の御曹司であるところの巳嗣は、平気な顔をして扉を叩き、こうして、円佐木の使用人に圧力をかけているというわけだ。
「で、ですが鳶崎様、こちらにその、多原という少年はいないのです。そもそも、坊ちゃんが多原などという……」
しまった、という顔をする使用人。思わず本音がぽろっと出てしまったのだろう。
そりゃそうだ、有嵜だって、桜一郎から結婚式の顛末を聞いた時、「こいつ何言ってんだ?」などと思ったのだから。鳶崎の御曹司が、多原の家の息子と友人になったなんて、それこそ陰謀論だと思っただろう。
「あ?」
だがそれは、陰謀論でも何でもないのである。巳嗣の機嫌は一気に急降下。
「僕の親友を侮辱するのか、貴様は?」
「い、いえ……申し訳ございませんっ、申し訳ございませんっ」
いっそ、可哀想と思えるほどに顔を青ざめさせて、何度も頭を下げる使用人。
ーーしれっと親友に格上げしたな。
有嵜は、鳶崎の絶対的権力に感心しながらも、巳嗣がしれっと関係性を進めたことに驚いた。このやりとりを進めているうちに、竹馬の友にでもなりそうである。
巳嗣が鼻を鳴らす。
「貴様では話にならない。当主を呼べ」
「で、ですが」
「なぜ迷う? まさか……円佐木と、鳶崎を比べているとは言わないだろう?」
鋭い眼光に睨まれ、答えに窮した使用人は、頭を下げて。ぎい、と扉を開けてくれる。
「こ、こちらに、どうぞ……」
「あらあら、本当に、多原君とお友達なのですねぇ」
穏やかにそう言ったのは、背中まで黒髪を伸ばした、美しい女性だった。円佐木夏扇。円佐木司佐の母親にして、円佐木家当主である。
使用人の態度とは違い、巳嗣の突然の訪問にも落ち着き払っている。巳嗣の地雷である言葉もきっちりと放ってくる。
「噂には聞いていましたが、多原君は優しいですものねぇ。なにせ、貴方のような人間さえ、救ってしまうんですから」
「それは、そちらの跡取りにも言えることだろう? どうやらそちらの跡取りの司佐殿は、僕の親友に執心らしいからな」
「あら、そうなんですの? 初めてお聞きしましたわ。あの子に友人が?」
「友人とは一言も言ってないが?」
部屋に暖房はついているが、有嵜は、ぶるりと震えてしまった。隣を見ると、桜一郎の顔色も、心なしか悪い。
「僕は僕の友人を取り戻しにきただけだ。ここにいないというのなら、御子息に連絡を取り今すぐ多原を連れてこい」
夏翁は、ころころと笑った。
「横暴なことを仰いますのね? 息子が楽しんでいる最中に、連れ戻させるなんて」
「貴様の息子が楽しんでいても、多原はそうじゃない」
「でも、耐えれるんでしょ?」
小首を傾げて、不思議な笑みを浮かべて、彼女はそう言った。
「私に偏見は無いわ。多原の家だからって、差別もしない。あの子が寄りかかることのできる人材なら、喜んで与えてあげるつもり」
「どういう意味だ」
「さて、どういう意味でしょう。あの人に聞いてみたら? 今の貴方の電話に出るとは思えないけど」
ぱん、と手を打ち鳴らして。
「お話はおしまい。他ならぬ、鳶崎の次期当主ですもの。お待ちくださいな。息子を呼び戻しますね」
夏扇が別室に行っている間。巳嗣に聞くのが躊躇われて、有嵜は、「あの人って誰だ?」と桜一郎に聞いてみた。桜一郎は、「さあ、誰でしょうか」と笑いながら答えた。物流部に来た初日のような笑みで。
ほどなくして、夏扇が部屋に帰ってくる。彼女の機嫌はとても良さそうだ。
「お待たせしました。迎えをやりましたから、すぐに息子と多原君は、ここに帰ってきます」
「……そうか、感謝する」
対して、巳嗣は夏扇を睨め付けて、言葉少なにそう言った。
「巳嗣さん?」
円佐木と並んで立っている少年が、多原なのだろう。そういえば、有嵜は、多原を見たことがない。
「どうしてここに」
「それは、僕の台詞だ。多原、これは一体どういうことだ? なぜ、円佐木の跡取りと一緒にいる?」
「そ、それは、深い訳がありまして……」
歯切れが悪い多原。の手をとって、巳嗣は、ゆっくりと、彼の目を見ながら言う。
「心配したぞ。この僕が、仕事が手につかないほどに動揺したんだ」
「ごめんなさい」
素直な子なのだろう。多原は、すぐに頭を下げた。
「それから、たぶん、なんかしてくれたんですよね。ありがとうございます」
なんかでは済まない貢献をした巳嗣は、
「当たり前だ。親友だからな」
「巳嗣さん……」
本人の前でも堂々と親友と言い切る胆力に、有嵜は、ただただ関心。元社長にこんな面があった、いや、こんな面を目の前の少年が作ったというべきか。妙に温かな感情が湧いてくる。
と。
「べ、べつに、心配する必要はなくないかなっ……? 多原君は、俺と一緒にいたわけだし……」
不満げな顔と声で、巳嗣を前髪の下から睨むように。円佐木司佐は、小さくそう言った。巳嗣は、堂々と司佐を睨む。
「多原の携帯を出せ、円佐木の倅」
「あっ、それは大丈夫です。もう、返してもらったから!」
多原が急いで、鞄からスマホを取り出す。というか、制服ということは、学校帰りに捕まったというわけか。
「た、多原君」
多原がスマホをしまったところで、司佐が声をかける。多原はぎこちなく振り返る。
「はい」
「さ、さっき言ったこと……忘れないでね」
「な、なるべくは忘れないです!」
多原は、びしっと敬礼。それに満足そうに笑う司佐は、巳嗣に、深々と頭を下げる。
「たっ、大切な友達を連れ回してごめんね、巳嗣くん……」
「いや、こちらも波風を立てすぎた。すまない」
巳嗣は、表情を変えずに謝罪した。多原を背に庇い。
「だが、もう一度同じことがあったら。わかるよな?」
そもそも。あの鳶崎物商で行われた面談は、巳嗣が正気であったならば、成立するはずもなかった。
なぜなら、鳶崎は、本家に続く唯一無二の家であり、納戸崎や自分達など足元にも及ばない家だからだ。鳶崎物商に入ってこようとする自分達を拒絶すれば、それで終わりだったはずなのだ。
「わかるよな? だってさ……わかっているよ、だって、円佐木は、そういう目に遭ってきたんだから」
司佐は、布団に潜りながら、引き攣った笑いを浮かべる。
円佐木というのは、いわゆる当て字だ。円佐木の始祖は、元は鳶崎の家の人間だった。
それが、とあることがあって本家の怒りを買い、改名を余儀なくされた。それで、漢字を変えた。鳶の字は使えなかったが、もう一つの読み「えん」は、円となったのである。これは無駄な悪あがき。
そのくらい、ご先祖様にとって、鳶崎本家は畏怖の対象であった。
だからこそ。
「だから、あの人の、格さんの計画に乗ったわけだ」
地獄からの救い手として。司佐は、強く目を閉じる。
「けれど、俺を救ってくれるのは、あの人じゃない」
暗闇の中に浮かび上がったのは、あの時の光景。
そうして、翌日。
学校帰りの多原は、葉山家の門の前にいた。




