人質
これ新章かな?
「よっ」
あまりにも軽い挨拶に、桜一郎は、珍しく言葉が出なかった。
本日は、上京している『コンティネンタル・ライン』の門脇社長との打ち合わせをするべく、彼が宿泊しているホテルに迎えに来たわけであるが……。
ホテルの入り口に立って、あまりにも。あまりにも軽々しく声をかけてくるのは、誰あろう、桜一郎を庇って鳶崎物商を辞した有嵜である。彼はスーツを着ていて、その隣には、門脇社長が立っていた。
「うまくいったみたいだな、染先ぃ」
有嵜は、立ち尽くす桜一郎の肩を上機嫌にばんばん叩く。桜一郎は、門脇社長の方を見た。
「どういうこと、ですか……?」
「どういうことも何も。物流シェアリングをするにあたって、都合が良いので、そちらに詳しい人材を雇っただけですよ」
つまり、今の有嵜は、『コンティネンタル・ライン』の社員というわけである。
「最初は彼も固辞していましたが、染先さんの気持ちも軽くなるだろうと言って、強引に押し通しました」
「そう、ですか……」
不思議な巡り合わせである。元鳶崎ロジスティクスの社長と、それを疎んでいた社員が、同じ会社にいるだなんて。
「俺も、結果的に良かったと思ってるよ。先輩方とまた会えて……最低限謝るってことはできたしな」
有嵜は、スッキリした顔をしていた。それにも、桜一郎は目を見張った。先輩方、謝る……ということは。
門脇社長を見る。
「鳶崎ロジスティクスの再結成ですか」
「いや、お恥ずかしい。これも、葉山の力というものですね」
頭の後ろに手をやって、門脇社長は強面に朱を混じらせていた。
「強情張ってましたが、こんなに、上手くいくものなのかと。人生、本当にわからないものですね」
「ええ、本当に」
「けれど、完全に再結成というわけではないんです。鳶崎ロジスティクスのやり方は、大企業といえども、二十年以上前のやり方ですし、コンティネンタル・ラインのやり方は中小企業のやり方だ。これから、両方の社員たちと、新しい物流を模索していくつもりです。なにとぞ、ご贔屓に」
差し出された手を、桜一郎は手に取った。
「まあ、本題はだな」
桜一郎が運転する車の助手席に座りながら、有嵜が切り出す。
「お前のことを心配して、こっちに来たんだよ。お前さ、しゃちょ……巳嗣様の結婚式で、自分が裏切り者だったって暴露したらしいな?」
「ええ、まあ」
桜一郎は、曖昧な笑みを浮かべた。それは、苦笑であり、思い出し笑いである。まさか、あの少年が、社長と友達になるとは思わなかった。
「だから、あの三人に目を付けられてるんじゃないかって」
「あの三人?」
「納戸崎達のことだよ。俺と“面談”した。実際大丈夫なのか? あ、このことウチの社長には話してあるから、気にしなくていいぞ」
有嵜がそう言うと、バックミラー越しに、門脇社長が頷いた。「ご自由にどうぞ」の頷きである。
それならば。
「いえ、接触はありません。染先のような家には、興味がないのでは?」
「そうか、そりゃ良かった……ところで、円佐木が恩を売って得する相手、思いつくか? あの面談で、そういや、円佐木の坊ちゃんが変なこと言っててよ。嫌われちゃう〜とか、喜んでくれるとか、俺がそいつと知り合いだとか。おいこら、またあの目をしやがったな」
「……それは、するでしょう」
何だその新事実は。桜一郎は、ハンドルをぎゅっと握った。そうしないと、額に手をやってしまいそうになるからだ。
「……そもそも、どうしてあの人たちが裏切り者探しに来たか、有嵜さんには話していませんでしたね」
そうして、桜一郎は話し出した。とある少年との出会い。その少年に救いを求めてしまい、実際、その少年は門脇社長に葉山の関連企業による買収を認めさせてしまったこと。
「あの人達は、コンティネンタル・ラインと葉山の友好的買収により動いたんです。その少年に情報を教えたのは、うちの社員だと見当をつけたのでしょう」
「ってことは、“知り合い”で、“恩を売りたい”っていうのは」
「その少年のことで間違いありません。すみません、車、停めますね」
今日は、桜一郎にしては、ペースを崩されてばかりいる。祈るような気持ちで、桜一郎は道端に車を停め、携帯に入っている彼の番号にかける。今は高校も終わっている頃だろう。
ワンコール、ツーコール、スリーコール……逸る心臓を抑えつけながら、辛抱強く待つーー繋がった。
『もしもし?』
それは、紛れもなく多原の声だった。桜一郎は、安堵し、その空気が車内に伝わったようで、有嵜も、門脇社長も表情を和らげる。
「多原君、突然ですまない。今時間あるかな? 少し話したいことがあってーー」
『はい。大丈夫です。すみません、ちょっと外出ますね。逃げませんって、パフェが人質になってるから』
「……?」
どうやら、多原は誰かと一緒にいるらしい。そして、その誰かと、どうやら飲食店に来ているようだ。電話の向こうが人の声でざわざわしている。
しばらくして、多原は、店の外に出たようだ。
「お友達と食事中だったかな? すまないね」
『いえ、お友達っていうか……大丈夫です』
桜一郎は、その言葉に引っ掛かりを覚えた。これは、大丈夫ではなさそうだ。まさか。
「お友達というか、芝ヶ崎の上位の人間かなーー円佐木とか」
『すごい、よくわかりましたね!』
最悪である。
『エスパーですか?』と興奮する多原と対照的に、桜一郎は、今度こそ、額に手をやった。桜一郎の一挙手一動は、車内の人間に伝染してしまうのだが。
「……今すぐ逃げる事はできるかい?」
『財布を人質に置いてきちゃったのでダメそうです。でも大丈夫です、毅然として断ってやりますから』
「断る?」
『島崎と、あっ、島崎っていうのは俺の友人なんですけど、友達をやめろだとか、葉山さんと、あっ、葉山さんっていうのは……あっ、ちょっと……』
多原の困惑した声を最後に、通話が切れてしまう。しばらくして、多原の名前が携帯のディスプレイに映った。もう一度、向こうから掛け直されたのだ。
「……もしもし」
『よ、余計なこと、言わないでくれませんか……お、俺を騙したくせに……』
「円佐木か」
『上位の家の人間に対する態度じゃないですよね、それ……』
陰気な話し方。だが端々に傲慢さが混じる青年の声。
『じゃ、もう、切りますね……』
「待て、多原君に何かあったら、あの父親が動くぞ」
情けないことだが、思いついた脅しはそれだった。だが、脅しは充分だったようで。
『わ、わかってますよ、そんなこと……あ、有嵜さんから聞いたなら、わかるでしょう……』
「あまり好意的な内容だとは思えないけどな、多原君から聞いたことは」
『あ、貴方にはわからないですよーーこの地獄から、逃がしてあげようとする気持ちが』
最後は呟くようだった。それきり通話は切れてしまい、電話をかけても、電源が入っていないと、お決まりの文句が流れるだけ。
「クソっ」
思わず毒づいてしまう。
「おい、大丈夫なのかよ、多原って子は」
「多原君に何かあったら……」
「ひとまず、今は、大丈夫でしょう……少なくとも、危害を加えるつもりはなさそうです」
バックミラーに映った自分は、それはそれは、ひどい顔をしていた。眉間を揉み、息を吐く。
「ひとまず、鳶崎物商に行きましょう。このことを、社長に話すんです」




