レイ姉ちゃん検定、ギリギリ合格
「だから、俺、巳嗣さんを殴らなきゃ駄目なのかなって」
高校からの帰り道。多原が結婚式の日のことをそう締めくくると、前を歩いていた島崎が嫌そうな顔をして振り向いた。
「いや、なんでそうなる」
「だってさ、巳嗣さん、どっちかというと、殴って欲しそうだったんだよ。やっぱり、強い痛みとかが必要だったりするのかな」
「あのな多原」
と、ここで島崎は歩みを止め、多原をじっと見て。
「鳶崎さんは、別に殴ってほしいわけじゃないんだよ」
「まじで!?」
新事実の発覚に、多原は驚愕した。島崎は、「まじでまじで」と疲れたように頷く。
「ビンタそのものより、お前の心意気? に感銘を受けたんだと思う。人前で、鳶崎である自分を叩く心意気に。まあ、それは事故だったんだけど」
「やっぱり、あれは事故でしたって説明するべきかな?」
「可哀想だからやめとけ。俺としては別にそれでいーけど、お前、鳶崎さんの味方になりたいんだろ?」
多原は頷いた。島崎はでかいため息を吐いて、ぼりぼりと頭を掻く。
「……だったら、嘘ついたままで良い。今更“事故でしたすんません”なんて言ったら、うっかり死にかねないぞあの坊ちゃん」
そう言って、島崎はまた前を向いて歩き出した。そういうものかと思って、多原も歩き出す。
そういえば、島崎は軟禁状態から解放されたらしい。おかげで、話す時間が増えるってものだ。
「でもまぁ、なるようになって良かったな。鳶崎のことは捨て置いて良かったと思うけど」
「島崎さぁ」
「事実だから言ってんだよ。心配する身にもなれよ」
なんだかんだで、我が親友はツンデレだと多原は思ったが。
「あだっ」
「それはそうと、お前、俺が追われるってわかってて随分のんびりしてらっしゃったよな!」
あの時のことを思い出して、島崎の頭に手刀を入れてしまう。
「なぁーにが『今からお前に追っ手がかかるから、めちゃくちゃ走れ』だ! おかげで疲れすぎて、警備員さんに不審者扱いされたんだけど!」
「助かる手立てはあったんだよ。念のための助っ人も用意しといたし」
「本当か?」
「……」
「おいこら、こっち見ろ島崎。おい」
絶対にこっちを見ない島崎。それに業を煮やし、多原は、島崎の前に回り込む。島崎は、ばつの悪そうな顔をしていた。
「ちょっと確かめたいことがあってお前を囮に使いました。さーせん、反省してます」
「確かめたいことぉ?」
「近いうちに、情報纏まったら話すから。それより多原、後ろ」
多原がなんとなく振り向くと、そこには、レイ姉ちゃんが立っていた。
「あ、レイ姉ちゃん」
妙なところで会うものだと、多原は思った。ていうか、レイ姉ちゃんはここらへんが通学路だっけ?
ーーさては、道草だな?
多原は、そうやって見当をつけるが。
「道草じゃないよ、キョウ。お前を待ってたんだ」
ちっちゃな頃から多原のことを知ってるレイ姉ちゃんは、多原の心の中を読んだかのようにそう答えた。多原は、目を瞬いた。レイ姉ちゃん自身が、多原に会いにくるのは珍しい。
「な、なにか、俺は粗相をしましたか……?」
「声ちっさ」
島崎がそう言うが、多原はそんなのに反応する暇はなかった。レイ姉ちゃんが直接会いにくるのは、よっぽどのことに違いない。イコール、説教。レイ姉ちゃんは、綺麗な笑みを、島崎に向ける。
「島崎の御子息。歓談中申し訳ないが、これを連れて行っていいかな」
「これって言ってるもの、助けて島崎!」
「どーぞどーぞ、余るほどいますから」
「俺は一人しかいないぞ島崎!」
もはや、語尾が島崎になっている多原。レイ姉ちゃんは、多原の腕を取り、ずんずん歩いていく。
「あまり、島崎の子息の名前を呼ぶな。妬けるだろう」
多原を怖がらせないためか、小粋なジョークを挟んでくれるレイ姉ちゃん。けれど、多原の方をあまり見てくれない。気のせいか、あの日、鳶崎さんと対峙した時の島崎を思い出してしまう。
「なんでも受け入れるところはお前の美点だが、鳶崎の子息とも仲良くなるのはいかがなものかな」
「うっ」
的確な非難である。
結婚させられそうになっていたレイ姉ちゃんからすれば、多原が巳嗣さんと仲良くなるのは、それはそれは不快なことに違いない。
「私は悲しいなぁ、キョウーーなんて、あの子息と相引きしていた私が言うことではないか」
だが、レイ姉ちゃんは優しかった。目を細めて、「お前らしいな」と笑ってくれた。
「私も途中から、鳶崎の子息が可哀想になってきてしまったんだ。だから、相引きなどということをしてしまった。私も、彼の心を弄んでしまったんだ」
「レイ姉ちゃん……」
やっぱり、レイ姉ちゃんは優しいと多原は思った。自分を賞品のように扱われてもなお、巳嗣さんを思いやる気持ちがあったのだ。
「だがそれは、もっとも残酷な行為だよ。キョウ」
なぜだか、レイ姉ちゃんは、多原の目を見て言った。
「好きじゃないのに優しくするのは、とても残酷なことなんだ。勘違いさせてしまうだろう。少しでも、自分を好きなのだと」
「でも、鳶崎さ、巳嗣さんは、レイ姉ちゃんの優しさに救われたと思うよ」
「ありがとう。お前は、本当に優しいねキョウ」
「でもさ」
多原は、ちょっとだけ下を向いた。こういうのって、言うのに覚悟がいるからだ。
「巳嗣さんが救われてたとしても、結婚式をぶち壊した俺は、あんまり優しくないよ。覚悟とか色々足りてなかったと思う。だけどそうしたのは、レイ姉ちゃんが、好きだったからだよ」
レイ姉ちゃんが、ぴたりと、足を止めた。気付けば、通学路を外れて、知らないところまで来ていた。
「俺は結局、レイ姉ちゃんが好きだったから、結婚式をぶち壊したんだ」
「……そうか」
蔦が壁に張り付いた、古びた大きな家を背にして、レイ姉ちゃんが笑った。
「そうか、そうか……」
それが嬉しくて、多原も笑う。
「そうだよ。レイ姉ちゃんは特別だよ。俺だって、そう何度も結婚式に異議を唱えたりしないって。レイ姉ちゃんだったから、俺は、結婚式場に突入できたんだ」
「……そうか、焦る必要はなかったのか」
「? たぶん、そう!」
「そもそも、お前を手ぶらで送り出したんだ。対策をしてないわけがない」
「その通り!」
「わからないのに返事をするな。ああ、もう」
レイ姉ちゃんは、困ったような笑い方をした。
「まだ、外にいさせたくなるじゃないか」
「お前はこういう洋館が好きだろう」と、レイ姉ちゃんは、目の前の洋館を指差した。
「推理小説に出てきそうな洋館だね。連続殺人とか起こりそう」
「ふふっ。そうだな、実はこの洋館は、誰にも知られていない地下室があるらしい」
レイ姉ちゃんの言葉に、多原はワクワクした。地下室。それはとても良い響きだ。
「それにしても、よく知ってるね、そんなこと」
「ああ。今は遠くにいる持ち主に頼まれて、中を調べたからな」
「中に入ったの!?」
「そうだよ。今から入ってみようか?」
多原は考えて、首を振った。レイ姉ちゃんみたいに正当な理由があるならともかく、第三者の多原が入るのは憚られたからだ。
「持ち主の人に悪いし、やめとくよ」
「そうだな。まだ入らないでおこうか」
レイ姉ちゃんは、小さく頷いた。
「お、無事のご帰還。まあ当然だけど」
明くる日、島崎がそう言ったのを、多原は恨みがましい目で見た。結局説教じゃなかったけど、売り飛ばされたことには違いないのだ。
多原は、拳を固めて嘆く。
「くそっ、島崎といえども、ヒエラルキーには勝てないというのか」
「島崎舐めんなよ多原」
対して、鞄を机の上に置き、教科書を出し始めた島崎は、ジト目で多原を見る。
「あれは、あのときのお詫び」
「指示語が多くてわからん」
「『残念だったな』は、流石にちょっと言いすぎたってことだよ」




