兵站
自己評価の話です。
「時代は物流だよ! 辰君!」
二十五年前のことである。つまり、演説事件の八年前。
鳶崎家に飛び込んできた芝ヶ崎格は、顔を輝かせながら力説する。
高校から、家にも帰らず、ここに来たらしい。畳の上に置いた鞄をバンバンと叩いた。
「旧日本軍は、兵站軽視をしたがために敗戦したと言われている。これを言うと葉山の野郎が五月蝿いからみんなこっそり言ってるんだけどね。兵站というのは、今の日本において物流を指す。それなのに、嘆かわしいことに、物流は現代日本で軽視されているんだ」
また始まった。というのが、辰の率直な感想である。
古来より続く名家、芝ヶ崎家。その次期当主である芝ヶ崎格は、旧態依然を褒め言葉と受け取る芝ヶ崎において、異質な存在だった。
新しもの好きとでも言おうか。彼は知識欲に飢えており、そして、実行に移さなければ気が済まない性質だった。
……そして、今まさに、彼に突撃訪問されている鳶崎辰は、旧態依然を愛する方だったので、この次期当主のことは、心の中で苦手としていた。
というより、心の持ちようというか、そこからして、辰と格では違った。簡単に言えば、感情の発露の仕方の違いである。辰が感情を表に出さない方だとして、格は感情を表に出しすぎる方。
しかしながら、将来の芝ヶ崎を担うのは、本家と鳶崎、そして楢崎なので、辰は、この年下の“君”付けしてくる少年を無碍には扱えなかった。本音を言えば門前払いしたいしそれが無理なら居留守使いたいくらいなのであった。
格は、出された茶菓子を、良家の子息らしくない雑な所作で食べながら、「それでさあ」と、井戸端会議でもするような軽さで切り出す。
「君のところ、商社やってるだろ? 物流子会社、作ってみない?」
「そう不安な顔をしないでくれよ辰君。だーいじょうぶ、鳶崎物商を軌道に乗らせた辣腕で、子会社も成功するって!」
人の会社だと思って軽く言う。
と思ったところで、辰は、思い直した。鳶崎物商は、元は、本家のご当主様の肝煎りで始めた会社だ。厳密に言えば、その名前を冠しているだけで、鳶崎の会社ではない。
そして、鳶崎物商の始まりも、こういった無茶振りから始まった。
大学を卒業する頃に、ご当主様が、父ではなく辰を呼び出して、商社を設立するように命じたのである。
最初、鳶崎物商は、専門商社らしく、扱う商品が偏っていた。それこそ、小売店に卸す食品や飲料、文房具などである。
だが、芝ヶ崎の名前は伊達ではない。すぐに取引先が増え、鳶崎物商は利益の出る会社になった。そこそこ多い商品を取り扱うようになり、規模を広げたいと考えてはいたが。
「一つ、教えていただきたいのですが」
「なんだい?」
にこにこと、人懐っこい笑みで応じる格。これが、下級の家のように舌打ちなどしてくれるとわかりやすいのだが。
「どうして、鳶崎物商なのですか? 選ばれたことに光栄ではありますが、商社ならば、芝ヶ崎にはいくつもあります。規模の大きいものならば、円佐木のエネルギー会社があるでしょう」
それこそ、円佐木と鳶崎の会社では、年商も年数も違う。
仮に格のマイブームが物流だったとして、それこそ、こんな出来て二、三年の会社に子会社を作ることは、辰にはわかりかねた。
辰の疑問をもっともだと言うように、格は、うんうんと頷いた。
「たしかに。円佐木くんのところは、規模が大きいし、独自の物流ノウハウも築かれてるね。だけどね、僕は、形のないものに興味はないんだ。目に見えるものをどうやって運ぶか、そこに興味があるんだよ」
「目に見えるもの、ですか」
「そうだ。兵站には、たしかに戦車や飛行機に使われる燃料も含まれる。けれど、日本軍の兵士を死に至らしめたのは餓死だ。これを言うと白川のアホが補給路については完璧だったとクソ持論を持ち出すんだけどね。ああそうだ、白川だよ!」
たった今思いついたに違いない。芝ヶ崎格は、こほんと咳払いをし、威厳を持って騙る。
「我が芝ヶ崎が生き残っていくためには、ほかの二家が得意とする分野を徹底的に潰してやらなければ。まずは、近江商人の生き残り、白川が得意とする“兵站”という分野を、こちらのものにするんだよ」
とってつけた理由を、自信満々に披露する格。途中から話が変わってしまったが、要は、芝ヶ崎格は、食糧など形あるものを運びたいらしい。
辰は、不承不承、頷いた。これは不承不承でも良いだろう。芝ヶ崎格がうまくやるときは、相手に猜疑心など抱かせないからだ。
これは戯れに違いない。ほんのひとときで終わる戯れだ。
「辰君なら、やってくれると思っていたよ。ありがとう」
辰の両手を包みながら、頭を下げる格。本家の子息なのに頭を下げるところは、謙虚というより慇懃無礼だ。少なくとも、辰はそうやって受け取ってしまう。
「そうと決まったら、これ」
と、格は、鞄から大学ノートを取り出した。そこには、辰の知っている名前から知らない名前までがずらりと並んでいる。
「授業中に、社長をやってくれそうな人をリストアップしておいたんだ。彼らを面接して、君が良いと思った人材を採ってくれ」
「格様は、ご同席いただけないのですか?」
「こんな、成人してもない高校生がいたところで邪魔なだけだよ。それに僕は、君の審美眼を信じているからね」
「芝ヶ崎の人間がいないようですが」
「そこに気付くとはさすが辰君。残念ながら、我が芝ヶ崎一族は、お父様を含め、物流なんてカスと思っている思考停止な人間が多い。だから、外部の人間を選んだんだ」
今更ながら、この次期当主は、ところどころで口が悪い。
「外部の人間であれば、本社の意見に流されることなく、議論もしてくれるだろうしね。じゃあ、楽しみにしてるよ辰君。なあに、失敗しても大丈夫。三年もすれば、元通りだからさ!」
その三年というのが、何を意味するかを辰がわかったのは、その時になってからである。
「鳶崎ロジスティクスは、失敗だった」
あの頃と違い、本家に出向いた辰が告げられたのは、物流子会社の死だった。
「待ってください、見限るには早すぎます」
辰は珍しく、格に反論してしまった。
門脇芹人は、自分で言うのもなんだが、辰が選んだだけあって、優秀な人材である。その門脇が選んだ社員も同様。
利益は微々たるものだが、緩やかに不況に向かっていく世間に逆らって利益を出しているだけ、優秀な会社といえよう。
「ノウハウは確立されつつあります。アウトソーシングによる意思疎通の難しさも、自社で物流を担うことによりクリアされ、縦割り化による情報遮断も防がれ、スムーズな物流が……」
「うん、うん。やっぱり、辰君に任せて良かったよ。寡黙な君が、こんなに庇うなんてね」
辰の訴えに、あの頃のように頷く格。その口から紡がれるのは。
「だけど、鳶崎ロジスティクスは失敗だ。僕の思う通りの結果にならなかった。三年もすれば元通りと言っただろう?」
そうして、辰は、三年の意味を知るのである。
……芝ヶ崎格は、経済大不況を予測していた。
「実験は失敗。この不況の波に乗って、鳶崎ロジスティクスを処分してくれ。ああ、流石に放り出すのは外聞が悪いから、門脇氏含め、まとめて本社で引き取ってね」
そのために、芝ヶ崎の人間ではない人々で会社を固めた。芝ヶ崎だと、処分するのに厄介だからだ。
そのために、円佐木の大規模なエネルギー商社ではなく、設立年も浅い鳶崎物商の子会社が必要だった。処分するのに楽だからだ。
すべては、芝ヶ崎格の気ままな実験だったのだ。
辰は、拳を握りそうになり、それが結果的に、畳に爪を立てる結果になった。
「……何をもって、失敗と称するのですか」
「それを言ったら、君は、僕の味方になってくれるかい?」
「最初から私は、貴方に忠誠を誓っています」
辰は、心にもないことを言った。「それじゃあだめだ」と、芝ヶ崎格は首を横に振る。
そしてこの時。鳶崎ロジスティクスという会社に愛着が湧いていた辰は、どうにか、一人だけでも助けたいと頭を働かせた。
「……旧日本軍の兵站の話を、貴方は私にしましたね」
「うんうん」
薄々思っていたことである。
「貴方は、旧日本軍の失敗を学び、何をしようとしているのですか?」
それが、「味方になってくれるかい?」という問いの真意。単なる自分に反感を持った人間に言った言葉ではなく、そう、たとえるなら。
芝ヶ崎格は、凄絶に笑った。菓子の食べ方が汚い、人懐っこい笑みとは程遠く。
「親愛なる同志の辰君。恐れ多くも、芝ヶ崎の次期当主である僕にその質問を投げかけた褒美として、一つ、願い事を叶えてあげよう」
「それ、ならばーー」
あのとき。
辰は、芝ヶ崎格から条件を引き出せたことを、たとえいっときでも、自分が上回ったのだと勘違いしていた。
だが、今考えてみると。とことん、自分は見透かされていたのだと思ってしまう。
鳶崎ロジスティクスの社員と社長を人質関係と称して、門脇だけを逃した。
『寡黙な君が、こんなに庇うなんてね』
だが、その提案をした辰でさえも、彼らを人質に使われていたとしたら?
ーー詮ないことだ。
昔を思い出したのは、愚息が本家の長女との結婚を破談にして帰ってきた日のことである。
妙に晴れやかな表情の巳嗣は(辰の次は巳である。それと、鳶崎家の跡取りという意味)、辰を見た後に気まずそうな顔をしたあと、「ただいま帰りました」と言って自室に引きこもった。
巳嗣は、辰に似ている。周りに踊らされ、流されないようでいて流されている。
辰は、巳嗣に期待していない。他ならぬ、自分の血を引いている子だ。優秀であるはずがない。




