表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
芝ヶ崎内乱
89/117

写し鏡

「お父様、私は、鏡が怖いのです」


それは、父が生きていた頃。こう言うと語弊があるが、父が倉にいて、令と会話していた頃である。


「朝起きて、身だしなみを整えて。侍女がいる間は良いのですが、一人になると、私は、鏡を見ることが怖いのです」


令にとって、父は、顔もあまり覚えていない、けれど話を聞いてくれる他人であった。あの事件のせいで、しばらく名前を出すことを厭われた父は、芝ヶ崎の重圧に潰されそうな令にとって、ちょうど良い息抜きの相手であったのだ。


「お父様は、そのようなことがありましたか?」

「ああ、僕にも、そういうことはあったなぁ」


令は、顔を輝かせた。自分だけではないという気持ちは、令を喜ばせた。


「なにせ、ほら、僕は格好良いだろう? 鏡を見るたび、自分の格好良さが怖くて、どうにかなりそうだったよ」

「お父様」


令はすぐに、不満げな声になった。せっかく、意を決して悩みを打ち明けたのに、扉一枚隔てた父親は、令の相談を茶化したのだ。


令は、頬を膨らませる。


「そうではなく……」

「だから令も、自分が怖いんじゃないかな?」


膨らませていた頬を、萎ませて、首をかしげる。


「自分が、怖い、ですか?」

「ああ。侍女がいる間は、鏡が怖くないんだろう? だったら令、君が恐れているのは」











「自分自身だよと。父は言いました」


太陽が隠れてしまった世界で二人きり。巳嗣の左隣に座りながら、令は、どこか懐かしむように目を細めながら。


巳嗣は驚いていた。芝ヶ崎格は、公には、十七年前に死んだことになっている。だが、しばらくは生きていたのだと本人から聞かされていたが……まさか、令がこのことを話し始めるとは思わなかったのだ。


「自分を写す鏡を見て、自分に怖さを感じているのだと……私は父の答えに納得が行きませんでした。その頃には、自分のことがわかっていなかったからです」


自嘲するように笑う令。彼女がこんなに長く、自分のことを喋るのは初めてだった。


「長く喋りすぎました。手短に話しますね」


そう言われて、巳嗣は、首を横に振った。未練の一言。もっと、この人と話していたかった。


「最後なんです、ゆっくり、話していってください」 


令は、緩やかに、唇の端を持ち上げた。


童話でも読み聞かせるような、優しい声音。母を思い出したいところだが、巳嗣が思い出すのはあの女ばかり。


「……ある時。私は、自分のことを、鏡でじっくり見てみようと思いました。私は負けず嫌いなので、どうして自分のことが怖いのか、あわよくば、自分に勝ちたいという気持ちになりました」


今思えば、おかしなことですと、令は穏やかに笑う。


「子供特有の万能感でしょう。そうして私は、自分が、自分のことを怖いと思う理由を知ったのです……」











照明が輝いている。だから、この部屋に、暗闇なんてないはずなのだ。


侍女が去った部屋で、令は、鏡の前から動かなかった。動けなかった。


「……だれ?」


思わず、そう言ってしまうほどに。目の前の、黒髪の少女は、令が思っているような形をしていなかった。


令が手を伸ばすと、黒髪の少女も手を伸ばす。令が怒ったような表情をすると、彼女も怒る。令が笑うと、彼女も笑う。


同じような表情。なのに、令は、それが自分だと信じられなかった。


まっくろな瞳の奥には、令の知らない令がいた。


ドス黒い感情が渦巻いている、自分だけしか知らない自分。


「ああ、そっか。私は」











「全てを下に見ている。自分を絶対だと信じている。そんな醜い私が、そこにいたのです。もう、ここまで話したらおわかりでしょう」


巳嗣をひたと見て、微笑みかける。


「だから、貴方と私は同じだと言ったのです。貴方は、私と同じ目をしていた。全てを下に見ていて、自分を絶対だと信じているーーアレは自分のものだと信じて疑わない」


声は、低く、低くなっていく。


「初めて会った時、私は、私に対する貴方の執着を感じ取りました。そして、鼻で笑いました。同族嫌悪というものだったのでしょう」


けれど、私は、鼻で笑っていられなくなりましたと、令は呟いた。


その表情になったとき。令はとても美しかった。恍惚。眉を下げ、頬を緩め、一見慈愛には見えるけれど、両者には、大きな隔たりがある。


「けれど、けれど。私は、出会ってしまったのです。貴方が私に向けていた、汚い欲のようなものを、抱いてしまったのです。似たもの同士とはいえ、そこだけは違うと思っていたのに。私はまんまと、アレは、貴陽は自分のものだと信じて疑いませんでした。あの子の小さな手を取った時、絶対に、逃してやるものかと思ったのです。多原は小さな家です。私が本気を出せば、すぐに囲い込めると思いました」


運命の出会いでした、と令は高揚していた。


「都合よく、貴陽にとって敵だらけの環境です。優しくしてやりました。すぐにあの子は懐きました。レイ姉ちゃんという呼び方を強制しました。嬉しそうにあの子は私の名前を呼びました。ふと手を離した時の不安そうな顔がたまりませんでしたーーなのに、貴陽は、未だに、私の手からすり抜けるばかり。どころか」


一息おいて。


染先が、令と伊勢隼斗の恋仲の噂を話した時と同等の殺気が、巳嗣を襲った。


令は、ぎり、と歯を軋ませた。


指先一つ動かせない巳嗣に、怨嗟をこめて吐き捨てる。


「お前のような虫ケラまで、自分の身を危険に晒して助けたんだ」




「あっ、レイね、令さん! 巳嗣さん! お話は終わりましたか!」


呑気に手を振ってこちらに走ってくる多原に、巳嗣は助かったと思ってしまった。


雲の切間から、太陽が顔を覗かせる。


巳嗣を縫いとめていた令の殺気は、愛しい少年の登場によって霧散したようだ。


ーーいや。


情けないことに腰が抜けている。巳嗣は、まじまじと、二人のやり取りを見ていた。


ーー僕の目は節穴だったのかな。


風景パズルのピースを外して、新たに嵌めて。巳嗣は、殺気の代わりに、多原に向けられた執着の濃さに身震いする。


「さあ、帰ろうキョウ。それでは、巳嗣さん」


ついてくるなと、令の目は言っていた。巳嗣は会釈した。


目の前で手が繋がれる。前はそれを憎らしく思っていた。だが、巳嗣はもうわかっていた。


芝ヶ崎令が、自ら手を繋ぐ。それは。


ーー逃がさないという意志、か。


アホヅラ晒した多原は、令と手を繋ぐことをまったく疑問に思っていない。もう二人とも高校生の男女なのに、それを当然のように思わされているのである。


二人きりの世界。それは、令が必死に構築した箱庭の断片……



「多原」



巳嗣が声をかけると、多原が振り返る。


「あ、巳嗣さん! やっぱ一緒に帰ります!?」


令が「余計なことを」と言いたげな目で、巳嗣を見てくる。が、巳嗣は、震える体を叱咤して、立ち上がった。


「ああ、僕も一緒に帰りたいな……いろいろ聞きたいことがあるし。良いですよね、令さん?」

「どうぞ、ご自由に」

「レイ姉ちゃん?」


つんとした態度の令と、訝しげな多原。二人の元に歩き出しながら、巳嗣は、芝ヶ崎令の箱庭を壊す言い訳を探していた。


そうして、言い訳を思いつき、人知れず笑ってしまったのである。


ーー僕と貴方は、似たもの同士ですからね。


違う形であれど、同じ人間を好くのは、理に適っているでしょう?




















とんでもないことになった。


『そのようなわけで、僕はこの店のプロデューサーになるぞ多原! 嬉しいだろう、お前を食おうとする化け物たちから、お前を守ってやる!』


夢の中。哄笑響かせる巳嗣さんは、多原の肩に腕を回した。

化け物って、違う世界観の設定を引っ張ってきてるのだろうか。  


多原がテンション高い巳嗣さんにドン引きしていると、巳嗣さんは、ふと真面目な顔になって。


『なにせ僕たちは、友達だからな』

『……はい!』


多原は嬉しくなった。巳嗣さんの言ってることは九割理解出来なかったけど。


これで、芝ヶ崎内乱編一区切り。長い間お読みいただき、ありがとうございました。次回からは新章やりつつ、諸々の後片付けをしつつ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ