お箸が足りない、白川さん
これでヒロイン一巡です
白川さんは、オシャレな女子だ。
髪型は、校則に引っかからない程度に毎日変えてるし、制服も、きっちり着こなしてるのに、ふわっとしたカーディガンを羽織っているだけで女子力アップ。
昼休みの時に広げている弁当の箸も、何気に変わっている。これは法則性が見出せない。基本パステルカラーを使っていることくらいしか。
「うむ、冬服女子もいいな」
「わかる」
多原が言うと、島崎もうんうんと頷いた。
「夏服で透けるような肌が見えるのもいいけど、冬服女子のなんかこう、厚着でモコモコしてる感じもまたいとあわれだよな」
「あわれだわぁ」
ちょうど、四時間目は古文だったのでこんな会話になるわけである。
「もっと寒くなれば、パンダの耳当てとかつけた子が見れる」
「髪の長い子だったら、マフラー巻いといて、ふぁさってやるとかな」
「スマホ触りたいから手袋つけないで萌え袖になる女の子とかな!」
ぱきぃっ。
いつもの音が聞こえて、多原はいつもみたいに周囲を見回した。談笑してる白川さんしか見えない。
「ごちそうさまでした」
「芳華はやっ、いつのまに」
案外、早食いする白川さんもまたあはれ。しみじみと思いながら、島崎の方を見ると、島崎もまたサムズアップしていた。
ぱきぱき。
控えめな音が聞こえて、多原は以下略。
いつもいつもいつも。
どうしてあの男は、私の多原君と戯れているんだろう。
壁と男に挟まれながら、私はそんなことを考えていた。
「それでどうかな、芳華ちゃん。僕と付き合ってみない?」
「お断りします」
「当然だよね、この僕と付き合えるんだから断るわけ……えええええ!?」
「私、好きな人がいるんです」
「またまたぁ、そんなの、断るための嘘でしょ? ね、いいから付き合ってよ。僕と付き合ったら、良いことしてやるからさ」
腕を掴まれる。放課後の体育倉庫の裏。先輩は、誰も来ないから、ここを選んだのだろう。
「ごめんなさい」
「なに、今更謝っても聞かないよ? この僕が付き合ってやるって言ってるんだよ、光栄ですぐらい言えよ……っ!?」
「私、あの人以外はゴミにしか思えないんです」
先輩は、何をされたかわからない顔をしていた。私に腕を取られて投げられたことが、そんなに理解不能なことだろうか?
先輩の腕を離さずに、私は、先輩のお腹の上に足を乗せた。少しずつ、体重をかけていく。
「先輩が、あの人になってくれたら付き合ってあげても良いですよ。あの人と同じ身長体重体脂肪率筋肉量視力聴力体力偏差値……ぜーんぶ同じになってくれたら」
「そんなの無理に決まってるだろ!」
「そうですよね。それなのに、私に付き合えって言ったんですか? 覚悟が足りないんじゃないですか?」
体重をかけながら、少しずつ、腕を捻っていく。先輩が苦悶の声を漏らす。
「先輩の腕、太いですね。今まで何人の女の子を泣かせてきたんですか? こんな腕、折っちゃいましょうか?」
「ま、待て、そんなことされたら、僕は」
「インターハイ、終わったでしょ? それなりの成績もとったし、心残りはないでしょう?」
「ぼ、僕を失ったら、部の存続がっ。ていうか僕二年だしっ」
「先輩のような素行不良なクズは、早々にいなくなった方が、部のためでもあると思います。未来で貴方に泣かされる女の子を救うことにもなります」
「ぁ、あ゛っ」
「でも、私はそんなことをしません。清楚なので」
不意に腕を離せば、先輩は大袈裟に地面を転げ回った。私はしゃがんでそれを見ていた。
「お箸ならともかく、人は言い訳がききませんもんね。ね、先輩。約束してください。これからは、女の子を泣かせることはせずに、真面目に部活に取り組んで、来年のインターハイで優勝するって」
「優勝って、そんな簡単では」
「じゃないと、今度こそ、腕折りますから。高校を卒業した先輩の家にお邪魔しますから」
「お、覚えてろよ。お前なんか」
「三流悪役みたいなことしか言えないんですね」
多原君が、少し喜びそうな台詞だ。彼は物語みたいなことが好きだから。
「さっき、あの人と全部同じになってくれたらって言いましたけど。そんなの無理なこと、私がいちばんわかってるんです。だって、あの人は、誰にも代え難い素敵な存在なんだから。それなのに、なにをあの人に成り代わろうとしてるんですか、烏滸がましい」
「そんなこと一言も言ってないだろう!」
「私に好きって言っていいのは、あの人だけなんです。それなのに、先輩の汚い声で、私の耳を汚染するのをやめてほしいって言ってるんです」
「理不尽すぎる」
「ほらまた喋った」
つん、と先輩の頬を指でつつけば、先輩が大袈裟にビクッと震えた。
「次、私の耳を汚染したら、腕の骨を折るだけじゃ済まさないですからね」
てん、てん、とバスケのボールが転がってきて、多原はそれを追っかけて拾ってあげた。
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
多原、どうしてもやってみたくて、先輩に向かってボールを投げる。ボールは飛距離が足りず、先輩の足元に転がっていく。
「はは、ナイスパス」
それでも、イケメンの先輩は、イケメン特有の笑顔を浮かべて、多原のボールを拾ってくれた。
体育館に向かう先輩の背中に、多原は声をかける。こんな寒い中、薄着で部活をやってる先輩に。
「あの、お疲れ様です。頑張ってください!」
先輩は、少し振り向いた。
なんだか、驚いてるみたいだった。視線のやり場がないみたいにしばらくそこらへんを見た後、多原に向かって、拳を突き出す。
「ありがとう。来年のインターハイで優勝を狙うつもりだから、応援よろしく」
「頑張って、か……」
久しぶりに聞いた気がする。
暗い夜道を歩きながら、昼間聞いた言葉を思い出していた。応援なんて、いつぶりに聞いただろう。僕は、部活のバッグの持ち手を握り直した。
「頑張って、かぁ!」
「なに、多原君の言葉をリピートしてるの?」
「ひょわぁっ!?」
数日前、僕をこてんぱんにした女が、明滅する街灯の下に立っていた。
「なに、多原君の応援を受けてるんですか? ゴミのくせに」
「し、しし、白川……さん」
「なに、良い先輩みたいな顔してるんですか? 貴方がやってきたことと、多原君に声を掛けられること。どう考えても、釣り合わないですよね?」
「え、あっ」
ていうか、多原って誰だよ。白川はゆうらりとしながら、徐々に近づいてくる。
「ねえ、ねえ。今すぐ多原君の言葉、忘れてくださいよ。島崎君はプラマイゼロだから見逃してたけど、先輩が多原君の声を聞くなんて耐えられません。なに、多原君の指紋付きのボールを受け取ってるんですか? なんでそのボールを保存しないんですか?」
そこまで言われて、僕は、多原の正体がわかった。あの男子生徒か!
「だ、誰が忘れてやるか。残念だったな、応援されたのはこの僕だ!」
「……」
舌打ちが聞こえた。この白川芳華という女、どこかのお嬢様のようだが、柄が悪い。
「だ、誰かに応援されるなんて、久しぶりだったから……だから忘れてやるもんか。インハイで優勝するって言っちゃったし」
「まあ、多原君の言葉をなかったことにするの、勿体ないですしね」
髪をかき上げて、白川は言った。
「見逃してあげます。どうせ多原君は、近い将来、私としか話せなくなりますし」
「おい、それどういう意」
「詮索したら、選手生命だけでは済みませんよ」
暗闇に慣れた僕の目は、白川芳華の背後にたたずむ男たちを捉えた。
「な、なんなんだよ、お前は」
「決まってるでしょう」
彼女は、ようやく安定した街灯の光を浴びて笑った。
「白馬の王子様を待つ、善良なお姫様です」