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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
芝ヶ崎内乱
79/117

島崎くんの損得勘定

多原は島崎に頭を突き出した。


「島崎、俺のことを叩け。お前には、英語の教科書を使うことを許可する」

「嫌だよなんでしばきあわなきゃいけねえんだよめんどくせえ」


島崎は、いつもの島崎くんに戻っていた。具体的には、図書館でエロい言葉を探してニヤニヤしてる島崎くんにだ。思えばよく公共の場でエロい言葉を探そうと思ったな。


それはともかく、口調も態度も、エロ本島崎くんに戻っていて、多原は満足した。そうそうこれこれ、これが良いんだよ。


芝ヶ崎上位ランカー同士のギスギスバトル。島崎は名前を呼んでも多原の方を見てくれないし、悪口の方をヒートアップさせるしで、多原はオロオロしていた。多原は常にディスられる側なので、鳶崎さんがどう思うかは想像できるのだ。


ディスられのプロである多原が分析するに、鳶崎さんは多分、ディスられ慣れていない。だから、あんなに傷ついた表情をしていたのである。それもまた、鳶崎さんらしくない。


人を定義するのなんてやっちゃいけないと思うけど、多原はこの一方的な口喧嘩を止めるべきだと思った。だから、島崎の方を教科書でしばいたというわけである。


けれど。


「鳶崎さん?」 

「お前はなぜ、島崎の方を叩いた?」

「???」


低い低い声。前髪の隙間から、鳶崎さんの殺意が込められた瞳が多原を射抜く。


「なぜ、私の方を叩かなかった?」

「???」


今度は、多原が固まる番だった。「え? ドM?」とかいう島崎を再度英語の教科書でしばいて、「どういうことですか?」とお聞きする。


「なぜ、それで、私のことを叩かなかったのかと聞いている」


ダメだった。聞き間違いではなかった。どころか、鳶崎さんはきっちりと、英語の教科書を指差している。


「ていうか多原お前置き勉しないの。なんでその鞄を持っていながらムキムキにならないんだよ」

「島崎マジで黙ってて……えっと、鳶崎さんはその、えーと、被虐思考がおありなのですか?」

「被虐思考? あるわけないだろうが」

「で、ですよねーあはは」


じゃあ、なんで叩かれたがってるんだろうか。叩かれることでご利益でもあるのかな。なんかそういう奇祭がどっかであったよな。などと考えつつ、多原は鳶崎さんに一所懸命説明する。


「だってほら、お、僕のような平民が鳶崎さんの頭を叩くなんて恐れ多いじゃないですか。島崎の頭ならまだしも」

「何だとう多原、高貴なる島崎くんの頭を叩いておいてぇ!」


島崎が変なテンションで絡んでくるが、多原はそれをスルーした。島崎がちょっと悲しそうな顔になった。 


「鳶崎さんは、俺よりもずっとすごくて頭が良いから、俺に叩かれてもご利益はありませんよ。無病息災とか、頭が良くなるとか」


なんとか穏便に、鳶崎さんを叩かない方向に持っていこうと微笑む多原だが。


「ひえ」

「……もういい」


途端に殺意と、ついでに表情を消した鳶崎さんが、くるりと向きを変えた。


「お前は、令さんとの結婚式に呼ばない」

「やーい多原から逃げんのかできそこ……げふんっ、鳶崎の御曹司ぃ」


多原が睨む前に、島崎は表現を変えてくれた。それにも振り返らず、鳶崎さんは、御霊さんと共に歩いて行ってしまう。その背中に手を伸ばそうとする多原だが。


「鳶崎さ」

「せっかく向こうから退散してくれたんだし、呼び止めることはねえよ」


今度は島崎が、爪を立てずに多原の肩を掴んで止める。思いっきり煽ってたくせに。


「でも」

「お前のやることは否定しないけど、思うことはある。そこまでして、あの人を救いたいって思うのか? 救ったとして、お前にメリットは?」


うちのレストランが儲かる。と多原は言いたかったが、なにせ夢の中での話なので、実際に利益が出るわけではない。なので、多原は、門脇社長に言ったことを繰り返す。


「それとこれとは」

「別じゃないんだよ多原。お前がこれから先、生きていくには、損得勘定というものが必要だ」


エロ本島崎くんは、賢者島崎くんの顔になっていた。こう表現すると別のことに聞こえるな。


「人を救うってことは立派だけど、それなりのリスクも覚悟しなければいけない。ていうか、リスクしかない。鳶崎の家は今のところ安泰だが、実際は、鳶崎巳嗣の横暴で評判が落ち始めている。これは島崎家調査に基づくものなので間違いない」

「島崎家ってなんなの一体」

「簡単に言えば、芝ヶ崎の栄枯盛衰を記録するために設置された家ってとこかな。今は役割が変わってるけど」

「よくわからんけど、信頼していいの?」

「ユーツーブをソースにしてたお前がそれを言うの?」


多原は撃沈した。


「お偉いさんは大抵忘れちゃうんだけどさ、立場っていうのは、自分で作るのが半分、他人が作るのが半分なんだよ。まあ要は、生徒会選挙みたいなモンだ」


生徒会選挙。確か、今の生徒会長は、激戦を勝ち抜いて会長になったんだっけ。


と、考えたところで、多原は当然の疑問を抱いた。

一人だけ、圧勝した人間が、いた。


「レイ姉ちゃんは?」


島崎は嫌そうな、それはそれは嫌そうな顔をした。


「アレは例外だから忘れろ。つまりだな、鳶崎さんは、まだ会長ではなく、立候補してるだけってこと。自分で自分を認めていても、他人が認めなきゃ、権力なんてすぐに手のひらからこぼれ落ちる。鳶崎物商の倒産は、いずれ来る未来を早めるだけに他ならない。倒産を免れたところで、鳶崎巳嗣は救われない」


断言されて、多原はむぐ、と口をつぐんだ。とりあえず倒産を阻止しなければと思ってきたのに、倒産を阻止しても、鳶崎さんはいずれ破滅してしまう。


「生徒会長になれない奴を延命させたところで、お前に旨味はない。だったら、勝ち馬に乗った方が良い。多原、俺はお前を失いたくない」


島崎は多原の肩から手を離し、前に回り込んだ。その目は、真剣だった。かつて見たことがないほどに。


「お前が動いたことで、芝ヶ崎の一部の家が動いてる。規定ルートをひっくり返そうとしてるお前を、邪魔に思ってる奴らがいる」

「それも、島崎の家の情報?」


ーー島崎って、楢崎さんちに預かられてるのに、どうしてそんな情報を知っているんだろ。


「そうだよ。多原、俺はお前を生かしたい。だから、情報を惜しまない。お前を生かすためだったら、嫌いな立場ってやつも利用する」

「なんで?」

「えっ」


島崎が不思議そうな顔をするが、多原はそれこそ不思議だった。だって、多原に損得勘定をしろと言う島崎が、いちばん損得勘定できてないんだから。


「なんで島崎は俺のこと助けてくれるんだ? 俺って、家柄的にも最低だし、アホだし、この先伸びしろないじゃん」

「それとこれとは別の話……あぁ〜もう、お前には結構価値があるんだけどそれ話すと面倒くさくなるし……俺がお前を助けたいのは損得勘定とか言いたくないしっ!」


島崎はもうヤケクソ風に叫んだ。


「それとこれとは別って話な!? わかった、鳶崎さんが無駄に延命しようが、それによって多原が被害を被ろうがそれとこれとは別ってことな!?」

「そうそう」

「そうそうじゃねえんだよこの頭お花畑が。死んだらあの世まで説教しに行くからな。いーや、絶対に死なせねえ。この、図書館の妖精島崎くんがついてるんだ」


ぜえ、ぜえ。島崎が、息を切らしながら、親指を立てる。


「だから、精一杯やってこい」






「島崎くーん、君のお父様から伝言が届いてるよ」

「どーせ、絶縁の言葉とかでしょ」

「どんだけ冷めきってんの、親子関係」


風呂から上がった島崎が、「なんか恥ずかしいこと言っちゃったな」と、一人悶々と反省会をしていると、空気読めない系楢崎が部屋に侵入してきた。


「失敗したら殺す、だって。愛されてるねぇ」

「愛されてるかなぁ」


息子に殺すとか使う人間、物騒すぎない? 


「というか、風呂から上がって冬の夜の縁側に座るのは良くないと思うよ」

「反省会してたんで」

「愛されてるねぇ」

「勿論」


主語などなかったが、楢崎にそれが筒抜けであることは、わざわざ父の伝言を持ってきた時点でわかっている。


冬の夜は、星がよく見える。


「絶対に後悔しない道を選んだつもりなんで」






「……私は後悔してばかりだ」


冬の夜は、星がよく見える。見たくなかったことでさえ、見えてしまう。 


血がつながっている、親子であるだけの二人は、月明かりの差し込む室内で対峙していた。


「お前の母親である(れい)を死なせてしまった。澪には、まだ役割があったというのに」

「それは」 

「お前を使えば、格様の手駒を減らすことができると、そう考えた」


淡々と。鳶崎辰は、芝ヶ崎格が生存している前提で、巳嗣にそう言った。


「囮に使うにも、格というものが要る。ただの餌では食いつかない。だから、お前を見放さなかった」

「……」

「話は以上。もう寝なさい」


辰が立ち上がる。巳嗣は、思わず、口に出していた。


「見放してたじゃないですか……! 私が、()がっ、増長してたのにっ、貴方はっ」


多原貴陽のことを巳嗣がひどく嫌いな理由。他の人間と違って、巳嗣のことを拒絶しない。媚び諂うこともしない。媚び方が下手なだけかもしれないが。


そして何より。


ーー父上と似てるんだ、アイツは!


へらへら笑ってやり過ごそうとする多原は、島崎という親友だけを叩いた。巳嗣のことは、叩こうとしなかった。


それが巳嗣には不快だった。嫌悪感を曝け出してくれれば、わかりやすく媚び諂ってくれればいいのに、それをしない。


それはまるで、身近な存在を見ているようで。


ーー怖かったんだ。


芝ヶ崎式に不快感を覚えていたのは、恐怖ゆえ。そして、多原貴陽の態度に不快感を覚えていたのも。自分の足元が既に崩れているのを見てしまうようで。


ーー僕が、初めから、望まれてなかったことを、認めるみたいで。

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