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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
芝ヶ崎内乱
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諦めた者の天国と地獄

いちばん共感性に優れてるのはトイトイ

『女の子は失恋すると強くなる』

「何の警句だそれは」

『たった今私が考えた警句。ね、葉山林檎はキョウ君を諦めたと思う?』


朝の静かな空気の中。鍛錬で流した汗をタオルで拭いながら、芝ヶ崎令は、じっと画面の中の木通しをんを見た。


「それは……わからない。私はキョウを諦めないと決めているから」


令の素直な言葉に、二頭身モードのしをんもまた、うんうんと頷いた。そう、彼女たちは、“諦める”ことを知らない。だから、シミュレーションの上で話を進めていくしかないのである。


「だが……私たちの中での“暗黙の協定”を破るということは、彼女の心情に何かあったという証左だ。それが、失恋であれ何であれ」


暗黙の協定。


それは、鳶崎巳嗣を見殺しにすること。

彼女たちの中では、多原に恩を売ることよりも、鳶崎巳嗣という外敵を殺すことに重きを置かれていたのだ。笑える話だが、彼女たちにとってなによりもの愛情表現はそれだったのである。


迂遠で不健全な愛情表現は、多原に恋する女たちに共通していた。そしてその共通認識にはいつしか、「多原に手を出した人間から殺す」ことが付け加えられていた。彼女たちは、均衡の維持を選んだのである。


ゆえに。鳶崎巳嗣を助ける動きを見せることは、それまでの均衡を崩すこと。多原のことが好きな女全員を敵に回すことと同義なのである。


それを、葉山林檎ともあろう者がわかっていないはずがない。


『勿論、その暗黙の協定を逆手にとって、こっちの動揺を誘っているっていうのも考えられるけどね。キョウ君を諦めたフリとか、あのプライド高そーなお嬢様がするかって話』


令は、しをんの言葉に全面的に同意した。葉山林檎は、彼女たちと同類だ。表面上ーー令でいう芝ヶ崎の身内には偽っていたとしても、ライバルに「諦めた」と宣言することは、たとえ偽りであっても屈辱であり、絶対にしたくない。


葉山林檎がしようとしていることは、均衡を破り、そして何より、ライバルである令たちに膝を折ることなのである。


『だから、ほんとーに葉山のお嬢様がキョウ君を諦めたとしたらさ、もう無敵で困っちゃうよねってハナシ』


肩をすくめて、しをんは画面の中で首を横に振る。


『私たちは結局臆病だから、キョウ君に積極的に関わっていけないけど、吹っ切れた葉山林檎なら、存分に良心を発揮できる』

「誰が臆病だ」


芝ヶ崎のプライドが刺激された令は、冷たい声で眉を顰めるも、直接相対していないしをんはどこ吹く風。じと、と半目になった。腰に手を当てながら言う。


『レイにゃんと私に決まってるじゃん。幼馴染の関係性から一歩も進めてないどころか、自分から後退してるレイにゃんと、ただの通行人Aの私。キョウ君が欲しいけどキョウ君に手を出せない、うじうじ悩んでる私たちより、下心なんてなくなった葉山林檎の方が、皮肉だけど圧倒的に有利』

「……」


ぐ、と珍しく、令は言葉に詰まった。令の場合は、多原に手を出せないのは家柄的な問題もあるのだが、それを臆病と言われたら、肯定するしかない。傲慢さを美徳とするわけではないが、結局、令は、多原に嫌われることを恐れている臆病者なのだ。


そっと、息を吐いて。


令は、口の端を緩やかに吊り上げた。朝の空気だけでない、頭の芯が冷えていく感覚。存外穏やかな声が出る。


「……私は、お前を味方にして本当に良かったと思っているよ」

『な、なにいきなり。そんなんで喜ぶと思ったら……か、勘違いしないでよね! これは感情モーション選択を間違った結果なんだからね!』


二頭身モードを解除したしをんは、目元と口元を緩ませながら、両手を頬に当てていた。彼女が左右に揺れるたびに、花柄のエフェクトが出てくる。面白い仕掛けだ。


『は、葉山林檎が無敵モードになった今、私たちはどういう対応をすれば良いと思う? やっぱり、買収阻止かな』

「買収は止められないだろう。葉山林檎の良心は止められない」


厄介なことにな、と令は付け加えた。まだ下心があれば、葉山林檎の行動は制限されただろう。だが、圧倒的な大義名分を手にした彼女は、どんな手を使ってでも、買収を実現してくる。


「思惑がある私たちと違って、葉山林檎の目的は簡潔明瞭。だから、力を一点に注ぐことができる」

『分散してる私たちにはできない芸当だよね〜。もちろん、偽装工作もするだろうけど、キョウ君と堂々と会えるっていうのはメリットであり……なんだか、かわいそうってかんじ』

「かわいそう?」


しをんの花柄エフェクトは消失していた。かわりに彼女の顔に浮かんでいたのは、苦笑いの感情モーション。


『そりゃそうでしょ? なにせ、自分の諦めた男が、自分が諦めたからこそ懐に転がり込んでくるんだから。私だったら発狂するよ』

「それは、そうだな……」


自分にない視点を示されて、またもや、令は感心するしかなかった。かわいそう。なるほど、殺意以外に、そのような感じ方もあるのか。


ーー私は確かに臆病者だが。


多原が懐に転がり込んできた時点でモノにすると決めている。どんなに嫌われても、泣かれても、懐に転がり込んだ時点で多原の落ち度だ。


だから、手を出さずに耐えて発狂するという選択肢は、はなから思いつかなかったのである。自分が発狂する前に、あの幼馴染にわからせてやれば良いだけなのだから。


こうしてみると、多原を想う同類といえども、違うところがあったりするのだ。


果たして、葉山林檎はどちらなのだろうか?






ーーあぁ、やっぱり好きだなぁ。


心の中で、切ない声を出してしまい、林檎は慌てて笑顔で取り繕う。


林檎の前で満面の笑みを見せるのは、林檎が諦めた男の子。この件が終わったら、金輪際関わらないと決めている男の子である。


コンティネンタル・ラインの門脇社長から、林檎の話を聞いたのだろうか? 林檎にお礼を言いに、多原が葉山邸を訪れてきたのである。変に拒絶するのもわざとらしいし、本当にそういう理由であり未練など何も絶対関係なく、林檎は多原に会うことに決めた。


「やっぱり、林檎さんは優しい人なんですね! 鳶崎さんを助けたいって、思ってくれたんだ!」


目を輝かせる多原に、林檎は、「いえいえ」と曖昧な笑みを返すのみ。全然違う。鳶崎を助けたいなどとは、これっぽっちも思っていない。林檎は、独善的な贖罪をしたいだけである。


だが、人を疑うことを知らない(美化)多原は、林檎の笑みを何か違うものに捉えたらしい。


「さすがは葉山家のお嬢様、すべて手の内ってわけですか……」


と、無理やり悪どい笑みを浮かべた。その似合ってなさといったら。


「林檎さん?」


ーー本当に、どうして。


諦めたはずなのに、諦めたからこそ、こんなに近い。


警戒心のない野生動物みたいなところも、嫌な人間相手に素直な言葉を並べられるところも、全部全部、あの子と似ている。あの子の好ましい部分を受け継いでいたから、林檎は、多原を好きになったのだ。


ーーどうして、今になって……。


それは、葉山故の傲慢。捨てたはずの、狂おしいほどの恋心と一緒に、溢れ出てくる汚い心情。


ーーどうして、多原君は、あの子じゃないんだろう。


多原君があの子なら良かったのに。そうすれば、全ては大団円だったのに。


「林檎さん? 大丈夫ですか?」

「……多原様」

「は、はい」

「貴方は、離島に行ったことがありますか?」






ーー未練たらたらじゃねえか。


多原が帰った後。橿屋は、呆然と立ち尽くすお嬢様を見た。


「お嬢様」

「わかっていたんです。それが、愚かな質問だと」


林檎は目元を拭っていた。橿屋は、無言でハンカチを差し出した。お礼を言って、林檎はそれを受け取る。


「向こう、向いてた方が良いですか?」

「ハンカチをくれておいて、そんなことを言うんですか?」


林檎がくすりと笑う。そして、聞こえてきたのは、震える声である。


「わかって、たんです……っ、多原君の身辺は、たくさんたくさん調べたから、でも、私は、多原君が、そうだったら良いなって、思ってしまった……!」

「俺も、そうだったら良いなって思ってましたよ」


橿屋は、本音を吐露した。死んでしまった男の子が、何かの間違いで、あの少年だったらと。


そうであったなら、林檎の流している涙は、また別のものとなっていただろうに。


「でも、そうじゃなかったっ……また私は、多原君に、理想を押し付けてしまった……ぐすっ、今度は、失敗しません。私は、ちゃんと、多原君を諦めます……もう、吹っ切れましたから。だから橿屋」


貴方がそんな顔をしないでください。

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