祝福と三つ巴
多原君は、不思議な男の子だ。
『ほら見て。トイトイ』
あいにく私は、自分の住んでいる街が嫌いだった。今日このお祭りに来たのだって、嫌いなこの街に負けたくなかったからだった。
屋台の立ち並ぶ通りを抜ければ、鳥居の前はしんと静かだった。あと少しでお別れするという時に、多原君は、眼下に広がる街を指差した。
『とっても綺麗だよ。百万ドルの夜景だね』
電気代にしろ、何にしろ、私にとってそれは、何の価値もない風景だった。この神社は山の中腹にあって、長い石段を昇った先にこの鳥居があるわけだから、景色はそれなりに良いだろう。
私は拳を握った。せっかく良くしてくれた男の子に、共感できないことが悔しくて、涙が滲んだ。
『トイトイ?』
でも、それがちょうどよかった。涙が滲んでいれば、言い訳がつくから。多原君が綺麗だと言った景色を、霞んだ視界で見られるから。
私は、ようやく顔を上げた。
『……ぁ』
多原君は、本当に、不思議な男の子だ。
『すごく、きれい……』
私が嫌いなはずの街が、光り輝いていた。
私は眼鏡をとって、ごしごしと目元を擦って、掛け直した。今度は、はっきりした視界で、眼下の景色を見下ろした。なんともない夜景だ。工事中の市街地が赤く光っている、家々の明かりや、ビルの明かりはいつもと変わらない。
それなのに。
世界は、光り輝いて見えた。
私が嫌いなはずのこの街が、光り輝いていた。
『大丈夫だよトイトイ。君を脅かすものは、もう何もない。世界は君を、祝福してくれている』
多原君の大袈裟な言い回しに、私は笑ってしまった。祝福、祝福か。
たしかに、これは、祝福なのかも。
『今思えば、キョウ君は私を、謎の儀式の生贄だと思ってたんだろうね。だから、やたらと私を元気付ける言葉が多かったわけだ』
電脳シンデレラ、ユーツーバーの木通しをんは、そんな話をした後にきゃらきゃらと笑った。
『でも私は、そんなキョウ君に救われた。きっかけが勘違いでも、それは事実だし、それに』
言葉を止めて。しをんは、眉を下げながら、今度は弱々しい笑い方をした。
『キョウ君も、決してこの街を好きじゃなかったはずなのに、ああ言ってくれた……芝ヶ崎家を調べた時、腸が煮え繰り返るかと思ったよ〜。あいつら、何も知らないキョウ君に、随分な仕打ちをしてくれちゃってさぁ』
「重要なのは、多原君を芝ヶ崎から切り離すこと。貴方もそう思わない?」
『いやぁ、そうしたいのは山々なんだけどね。お嬢様も知っての通り、私はレイにゃんにも恩があるから、それができないんだぁ』
「ごめんね」と顔の前で手を合わせるしをん。
『だから、組むのは無理。せっかくのお誘いだけど、私が尽くすのは二人って決めたから。じゃあね、白川家のお姫様』
ぷつん。
画面上から木通しをんが消える。芳華は、パソコンの前で指を組んだ。
「彼女を味方にできれば良かったんだけど。そう上手くはいかないか」
「もう一度つなぎますか」
「ううん、大丈夫。木通しをんの意思は固いだろうから」
かつて、多原が高校に入学する際、木通しをんと鎬を削ったクリアテック社員に、微笑みながら首を振る。
「私が素性を知っているという牽制はできた。これで、彼女は好き勝手できなくなった」
「素性を明かすことはしないのですか?」
「たとえば芝ヶ崎格とか? それも良いかもしれないけど、三者の均衡は保ちたいじゃない?」
「例の芝ヶ崎ですか」
芳華の言葉の意味を察したクリアテック社員の表情が険しくなる。
「確かに、木通しをんには生きていてもらわなければいけませんね」
「それを、彼女も見越しているからこそ、私の誘いに乗らなかったんだろうけどね……食えないなぁ! こ〜んな怪物だらけの世界に生きてるなんて、多原君かわいそう! 私が早く保護してあげないと」
『ってことで、無事に解放されたよ〜! あっ、体にくっつけられたウイルスとかは振り落としてきたから安心してね?』
けろっとした笑顔でそんなことを言うしをんに、令は頭が痛くなった。
展開が早すぎる。身バレ……木通しをんというアバターを操っている人間の正体が突き止められてしまった、ということを聞いたのが昨日の朝。問題の動画を見せられたのが昨日の夕方。そして事が動いたのが昨日の夜、らしい。
「結局、白川芳華は何がしたかったんだ?」
『戦力の見定めじゃない? あのお嬢様にとっての一番の敵は、芝ヶ崎格じゃないんだよ〜』
「舐めたことを」
『ね、本当に舐めてるよねぇ? まだ鳶崎巳嗣は、死んでないのにさ?』
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島崎は暇だった。超暇だった。いや、学生だったら勉学に励むべきなのだが、あいにく敵陣で勉学に励みたくはなかった。
なので、他の動画にも手を出してみようかと思い、なんとなく、その動画を押してみた。
「謹慎明けたら俺もケーキ作ろっかな」
「いやこれ、謹慎じゃないからね?」
隣の、人が死ぬのを看過した血も涙もない芝ヶ崎格チルドレンこと楢崎をガン無視して、覇気のない目で動画を見る。
多原とコメント欄でやり取りしている動画と違って、不思議とその動画には惹かれなかった。
なんてことはない、ASMRの料理動画で、ケーキを作っているのだが。
ーーなんか、パクリみたいだな?
画角からアングルに至るまで。島崎と多原がよく見ている動画にそっくりなのである。だけど、あんな再生回数が少ない動画、パクったところで利益があるわけもなし。
だが、どこからどう見てもそっくりだ。これは一体、どういうことなんだろう。
『それにしても参ったよぉ〜。撮影場所を特定された上に、あんな挑発動画まで作られてさ』
「結局、どこで撮影をしていたんだ?」
『秘密ぅ。レイにゃんには教えたくありませーん』
「そうか。それなら、お前とではなく白川と手を組むとするか」
令が思ってもいないことを言えば、木通しをんは、画面の中で嘲笑の表情。
『組めないくせに〜? ぷふ〜!』
「……」
『嘘嘘! レイにゃんには、ちゃんと私の正体教えてあげるからさぁ! でもそれは、今じゃないってだけ!』
宥めるように優しく、しをんは言った。
『まあ、白川家のお姫様が見据えていることは、ある意味正解かもね。私たちの敵は、芝ヶ崎格だけじゃない。むしろそっちだけを見てたら、足元を掬われるだろうからーーお義父さんにね?』
「困ったことに、私が第三勢力扱いをされているんですが、どうしたことでしょうか」
「事実そうだから仕方ないね。それで? 木通しをんの正体は掴めたのかい?」
「ええばっちりと。でも良いんですか?」
かつて、木通しをんが多原のスマホに入れた怪しげなアプリをことごとく削除した腕利きの部下は、案外良心があるようだ。気だるげな目をこちらに向けて問うた。
何を今更、と多原亘は思った。
ーーキョウ君を守れれば、それで良い。
一線を引いた自分が譲れないもの。どうせ血が流れるのなら、息子のためだけに流れるべきだ。ただし、それは最小限で。
「いやそうじゃなくて」
亘が決意を込めていると。呆れたような目で、部下がパソコン画面をとんとん、と叩く。
「息子さんの夢を壊して良いんですかって、聞いてるんですよ」
「……え」
「貴方は一人の女の子の人生を〜とか考えてるんでしょうけど、それ以前にですよ? 木通しをんの正体がバレるってことは、息子さんの推しのユーツーバーの正体がバレるってことですよ?」
「え、いや」
「私はそんなことできないな〜。愛息子の推しの正体を暴くことなんて、できないなぁ〜?」
「ぐっ……」
ぷるぷると震える亘。た、たしかに。
「キョウ君は、木通しをんの配信を楽しみにしている。生き甲斐と言ってもいいくらいに」
「言うなれば、木通しをんは、息子さんの恩人。それを取り上げるんですか?」
「だが、私は……ッ」
「まあまあ、正体は掴めたんだし、こっちが一歩リードってことでいいじゃないですか」
妙に笑顔の部下は、にこにこ笑いながら。
「……すぐに降りられたんじゃあ、つまんないですからねぇ」




