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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
芝ヶ崎内乱
63/117

暗闇でしかはぐくめない

『レイにゃん、聞いて聞いて!』


月曜日の朝である。


珍しく、神妙な顔をした木通しをんは、大量の汗をかいていた。いや、実際に汗をかいているわけではないのだが。


画面の遠くにいたしをんは、令を手招きした。が、当然、令がそこに来れるわけがなく。結局しをんが画面ににじり寄ってきた。なんだこの茶番は。

しをんは、口元に手を当てる。内緒話でもするように。


『今私、とってもやばいことになっててね』

「手短に話せ」 

『つ、冷たい……えーっとぉ、じゃあ、言うけど、驚かないでね?』

「ああ」



『簡潔に言うと…………身バレしましたぁ!!』



「ああそうか、みばれしたんだな」


そろそろ高校に行かなければならない時間だ。令は淡々と、学校に行くための準備をし出した。


『って、身バレの意味理解してないでしょ!? ねえレイにゃん!? ちょっとネットで検索してみてよう!!』


しをんが騒ぐので、仕方なく、令は携帯で“身バレ”とやらを検索し……


「これは……確かに拙いな」

『まずいでしょ〜? えへへ〜どうしようレイにゃんたすけてほんとに』




とりあえずは、二人とも学生の身である。身バレの件は、家に帰ってきてから話すことにした。


ーー当然のように自分が学生であることを否定しなかったな。


それだけ、木通しをんは焦っているのだ。


高校の正門に着く。案外、この学校に通う木通しをんは、すぐに見つかりそうである。


「あ、あのっ」


声をかけてきた男子生徒を一瞥もしないで、令はすたすたと歩いた。芝ヶ崎本家での出来事は、彼にも伝わっているらしい。


「あの、芝ヶ崎先輩、俺ちょっと訊きたいことが……」


他人行儀な呼び方は、教育の成果である。今までの令は、自分の力が足りない故に多原を遠ざけていたが、父の「やり方」を知った今、態度を変えることは(やぶさ)かではない。


「あのっ、れっ、芝ヶ崎先輩っ」


いかにも不安ですといったような顔をしながら、健気にも令に追い縋る。心の奥底で、嗜虐の炎が、蛇の舌のように、ちろちろと燃え始める。


「なんだ?」


人目につかないところに誘導して、多原に向き直る。


「もう少しで始業のチャイムが鳴るぞ、キョウ」


愛称で呼んでやれば、ぱあっと表情が輝いた。


「レイ姉ちゃん、えっと……鳶崎さんとの結婚の条件が変わって……それに同意したって、本当?」

「ああ、本当だよ」

「な、なんで? レイ姉ちゃんは、結婚が嫌なんじゃないの?」


せっかく明るくなった表情が、徐々に曇っていく。この幼馴染は、実にわかりやすい。令のことを思って、こんな顔をしてくれているのだ。


それのなんと愛おしくて、愚かなことか。


今すぐに抱きしめてしまいたいのを自制して、令は、つとめて悲しそうな表情をつくった。心にもないことを述べる。


「だが、いずれはしなければならないことだ。家柄でも、実力でも、鳶崎ならば申し分ない。芝ヶ崎を守っていくのには、必要なことだ」

「だけど、レイ姉ちゃんはそれで良いの? 好きでもない人と結婚して、幸せなの?」

「キョウ。自由恋愛は、芝ヶ崎では通じないよ」


これは、少しの願いをこめて。多原とて、末端とはいえ、芝ヶ崎の人間なのだ。この先、彼に好きな人間ができたとして、芝ヶ崎のしがらみから、解放してやる気は無い。


「覚えておくと良い。私()()は絶対に、芝ヶ崎という檻からは逃れられないんだ」


それは、願いと呪いを込めた言葉である。多原は、しばらくぎゅっと口を閉じていたが。


「でも、芝ヶ崎の闇の組織は福利厚生にサブスクを採用してたよ」


意味のわからないことを言ってきた。だが、本人は至って真剣そうだった。多原の瞳の奥には、令が慄くほどの、強い光があった。


「俺は、闇の組織が、福利厚生にサブスクし放題や、格安で映画を鑑賞できるのを採用してるって聞いたときに、すっごくがっかりした。闇の組織って、なんとなくブラックなイメージがあったから」


「でもそれは、俺の勝手な考えだった」。多原はそう続けた。ぎゅっと、体の横で、両拳を握る。


「実際は、そうじゃなきゃいけなかったんだよ。闇の組織だって、時代に合わせていくべきなんだ」

「な、何を言ってるんだ、キョウ」

「芝ヶ崎だって、ちょっとずつ変わって行ってる。あれはきっと、そういうことの現れだったんだよ! レイ姉ちゃん、大丈夫だよ。時代は、変わっていってる。芝ヶ崎でも、芝ヶ崎以外のお金持ちの家だって、好きな人と結婚して良いんだよ」

「……キョウ」


力強く言い放った幼馴染は、あまりにも。


校舎の影に、朝の陽が降り注ぐ。目を眇め、令は、多原を見つめようとして。


「うわ眩しっ」 


あまりにもアホヅラな幼馴染から、令は、顔を背けようとした。自嘲的な笑みを浮かべる。


「はは、本当に眩しいな……キョウ、ありがとう。お前がそう言ってくれるだけで、私は嬉しいよ」

「レイ姉ちゃん」

「だが、もう関わってこないでほしい」

「……」


あまりにも眩しかったから、自分の目に入れても痛くないように、ひどい言葉を投げつける。


「キョウ、お前が思っているより、芝ヶ崎の闇は、深くて、暗いんだよ」

「……っ」


何かを言おうとした多原に背を向けて、令は歩き出した。


ーーそうでなければ困る。


そうでなければ、令の背後で立ち尽くす少年は、指の隙間からするりと逃げて行ってしまう。


『“特別”な君たちが寄ってたかったら、“普通”のキョウ君はすり減ってしまうのに』


好いている人間と一緒になって良いのなら。


もう、悲劇は生まれている。多原貴陽という人間は、もうこの場にはいない。下手をしたら、この世にも。


ーーだから、私は辛抱しているのに!


芝ヶ崎の暗闇でしか、令の愛は認められないのに。


怒りさえ覚える。どうしてあの幼馴染は、自分の価値をわかってくれないのだろう。


ーーあの子は私のものなのに、私のもののはずなのに。


「どうして、私とあの男の噂を流したんだ? 貴陽」






「うっわ、撃沈してる。おい、昼飯食いそびれるぞ」

「わ、わかってるわ」


昼休み。島崎にシャーペンでツンツンされて、多原はむくりと、伏せていた顔を上げた。


「お前、目がやばいぞ? 大丈夫そ?」

「オフコース……」


かろうじて親指を立てる多原。脳裏には、朝、レイ姉ちゃんとした会話が蘇っていた。情けない声が漏れる。


「うう、嫌われた、レイ姉ちゃんに……」

「ふ、ふーん? ちょっと話してみ?」


多原は、挙動不審な受け答えをする島崎に、朝のことを話した。もちろん、クラスの人たちがいるから、細かいことはぼかしている。


そこは、多原の永世親友(予定)島崎くん。ふむふむと頷いて、


「そりゃ、お前が悪いな」


と言い放った。


「お前何その根拠、闇の組織ってふざけてんの? ユーツーブの情報を根拠にするくらいあり得ねえ」

「なんで俺の黒歴史を掘るの?」


とはいえ、木通しをんちゃんは黒歴史ではない。悪いのは、しをんちゃんが注意書きを書いておいてくれたにもかかわらず、宇宙人説を信じちゃった多原である。


多原はちょっと足掻いてみた。


「ていうか、闇の組織はお前も知ってるじゃん」

「普通の人間は闇の組織を信じねえんだよ」

「……レイ姉ちゃんなら、信じてくれるって思ってた」


実際、多原はいたずらに、レイ姉ちゃんの心を傷つけただけだった。湧いてくる自己嫌悪を、ちぎっては投げ、ちぎっては投げてみるが、あんまり効果がなかった。


「だから」


多原は、がたんと立ち上がった。クラスメートの目が多原の方を向いて、多原はいそいそと座り直した。


「カッコつかねえー」

「げほん、だから、な、島崎。俺は思うんだ」

「ほうほう」

「俺は絶対に、レイ姉ちゃんと、本当に好きな人が結婚する未来を掴んでみせるって……なんで舌打ちすんだよ!?」

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