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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
芝ヶ崎内乱
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白川さんと恐怖と理解の女子会

店内は、貸切だった。


「クリアテックとイセマツヤの事業提携は、限られた人間しか知らない情報だった」


こつ、こつ。少女は歩いてくる。


「だから、特定するのは容易だった。でも残念、あっちじゃなくて、こっちが裏切っていたなんて」


小さな溜め息が降ってくる。そっと顔を上げれば、少女が冷たい目をこちらに向けていた。それは良い、裏切り者を見る目として、正解だろう。


問題は。


……ことり。


持っていたお盆から、イチゴのたっぷり乗ったケーキの皿を二つ。香り豊かな紅茶とコーヒーのカップを一つずつ、机に置く。


「さて、証拠隠滅(自殺)に失敗した貴方は、どうやって責任を取ってくれるのかしら?」


向かい側の席に座り、白川芳華は、冷たい表情を保ったまま。フォークを手に取った。


「このままだと、私は芝ヶ崎格の存在を世に公表することになる。解き放たれた怪物に、世の中は混乱するだろうけど、私にはどうでも良いもの。でもね」


イチゴの乗っているスレスレの場所に、銀のフォークを突き立てて。芳華は、こちらを覗き込むように視線を合わせた。


「たったひとつだけ。芝ヶ崎格を助ける方法がある。死に損なった貴方には、それを考える義務がある」


新雪のようなクリームを口に運び、「さすが私」と何やらよくわからない自画自賛をする芳華。


拷問というには、この場所は長閑(のどか)すぎた。


休日の午後の昼下がり。本来は、大きな窓から採光するところを、分厚いカーテンで閉め切ってある。窓の向こうからは、人々のにぎやかな声が聞こえた。


この喫茶店は、白川の系列店。部署は違うが、内装などはホームページで見たことがある。なるほど、総帥の娘という立場であるなら、貸切にするのも容易ということか。


……いや、それならば、もっと相応しい場所があるはずだ。少なくとも、前市長が魂をかけて開発した繁華街に立地する喫茶店で、到底される話ではない。そうだ、ここに相応しいのは。


「食べないの?」


ことりと、首をかしげる芳華。


「せっかく、貴方と女子会をするために作ったのに。ね、糸屋(いとや)(しずく)さん。結果がどうであれ、楽しくお話しましょうよ」




ーーこの人は、女子会というものを履き違えている。


クリアテックの開発部門に属する糸屋雫は、そう思った。


美味しいケーキに美味しい飲み物、女性が二人集まれば、別に女子会になるわけではない。現に、こちらは、白川芳華に脅されている。   


ーー私に考える義務があると、彼女は言った。ということは、私ができること?


考える雫、それとは対照的に、ケーキを食べ進める芳華。


「ところで、貴方のところに勝手に紅茶を置いたけど大丈夫? コーヒーの方が良い?」 

「い、いえ」


どちらでも良い。芳華は、にっこりと笑った。


「そう。お砂糖とミルクはあるから、欲しかったら言ってね。うちのミルクポット、とっても可愛いんだ」

「ありがとうございます」


雫は、甘いものが好きだ。だが、この敵地でミルクと砂糖を入れる気にはならなかった。紅茶に口をつける。苦いが、美味しい。状況が状況でなかったら、心安らいでいただろうに。


コーヒーに口をつけて、芳華は息をついた。


「ところで、貴方はどうして芝ヶ崎格の命令を聞いて、情報漏洩なんかしたの? 貴方の両親は確かに『演説事件』に関わっていたけれど、貴方に彼を近づけることはしなかったはず」

「ええ、そうです。両親は、私に同じ轍を踏ませようとしなかった。でも……ある日、突然電話がきたんです。非通知で」


あの時のことは、鮮明に思い出せる。なにせ、それは雨の降る夜。雫が、歩道橋の上から、車列を見下ろしていた時だったから。


「普段の私なら、絶対に出ません。でも、その時は状況が違ったんです……私は、死のうとしていました」


心が疲れていた。すぐに弱ってしまう自分の心に嫌気が差して、雫は、解放を望んでいた。


「天啓だと思いました。神様なんて、とっくに信じていなかったけれど。私が電話に出ている最中に死んだら、この人は悲しんでくれるのかなって」


けれど、非通知の電話から漏れ出てきたのは、雫の予想だにしない言葉だった。


雫は、艶やかなイチゴにフォークを突き立てた。そのイチゴに負けないくらい、自分の頬は、熱を持って赤らんでいる。


「彼はね、こう言ったんです。『自殺しやすい人間は、どんな人間だと思う?』って。死ぬ寸前に来たのが、宗教の勧誘で、なんだか笑えてきてしまって」


雨の中、雫は答えた。


「『心の器が、小さな人間です』。どんな小さな出来事にも揺らいでしまう人間、まさに私のことだと思いました」


芳華は、黙ってそれを聞いていた。雫は、それをいいことに、話を続けた。わかってほしい、理解してほしい。私が恋に落ちた瞬間を。


「『それなら、自殺させやすい人間は?』。彼はこう問うてきました。私は、それにどんな違いがあるのか、彼に問いました。興味本位に。すると、彼はこう言いました」


『自殺しやすい人間と、真逆の人間だよ』と。


『君を苦しめている、無神経な人間達のことだ。心の器が大きな人間達は、自分の器がどのくらいかということに神経を向けることをしない。僕たちのように、心の器が小さな人間は、どんなに小さな一滴であろうと、全神経を使って、自分を守ろうとするだろう。だが、彼ら彼女らはそれをしない。表面張力なんて働かない、お馬鹿さん達ばかり』


「私は、どうして彼はそんなことを言うのだろうと思いました」


ざあざあと降りしきる雨の中。前髪が額に張り付いて、スーツが水を吸って重くなって。知らない男の、聞いたこともない持論を、それでも雫は聞いてしまった。


『……と、言ってみたところで、君にはそれほど響かないだろう。なにせ、君は他人と比べずに、自分を責めるタイプだから。だから、例を挙げてみよう』


雫は、全神経を、携帯に向けた。聞いたこともない名前ばかり。雨の中、必死にそれらの名前を覚えた。後にわかったのは、それらが皆、自死をしていること。そして、とある人物と、つながりがあったことだった。


欲しい言葉を投げかけてくれるのは、詐欺師に違いない。だが、雫の命を救ってくれるのは、その詐欺師しかいなかった。


「だから私は、彼の正体を突き止めて、彼のために命を捧げることにしたんです。嘘でも良い、私を救ってくれたのは、彼だけなんですから」


それだけが、純然たる事実なのだから。あの冷たい雨の中で、彼だけが、雫のことに気付いてくれたのだから! 


「彼は貴方の救世主だったわけね」


馬鹿馬鹿しい、という言葉でも、表情でもなく。芳華は、うんうんと頷いていた。


「とっても素敵な出会い」


恍惚とした表情で、ケーキを口に含む。雫は、はたと気付いた。


白川芳華。白川財閥を継ぐ予定の彼女は、籠の中の鳥で、自由恋愛なんて許されていない。


ーー女子会というのは本心で、私の恋の話を聞きたかった、だけ?


絵本の物語に憧れる子供に対して読み聞かせをしてやる。これが、雫が芝ヶ崎格を助ける道ということなのだろうか?


ーーでも、それは私以外でもできる。恋の話をすれば良いだけなんだから。


もう一歩、あるはずだ。立場が危うい雫が、しなければいけないことが。


「……芝ヶ崎格が、貴方を使って私の邪魔をしたのは、私が彼の作戦に伊勢を噛ませたからなんでしょう? 不純物が混じるのが嫌だったんだよね」


突然の話題転換。フォークをいじらしく踊らせながら、芳華は語り始めた。雫が返事するよりも前に、言葉を紡いでいく。


「でも、彼は無力だから、私が手助けしてあげなきゃって思うじゃない。私は、どんな子よりも、中立な立場にいたつもりだけど? 伊勢だって、私に完全に忠実なわけじゃないし」


ーー彼って、誰だろう。


突然芳華の言葉に登場した「彼」に、雫は興味を惹かれた。伊勢というのはわかる。イセマツヤの……御曹司のことだ。


「その、彼とは、誰でしょうか?」

「ふふ、誰だと思う?」


試すような瞳で、白川芳華は雫を射抜く。なぜ、「彼」とだけ言っているのか。なぜ、このタイミングで話し始めるのか。


ーーなぜ、お嬢様は、あんなにも幸福そうに話しているのか。


この幸福をわかってほしいという目で、なぜ、なぜ。立場の危うい雫に、芝ヶ崎格との馴れ初めを語らせた後に……



そのとき。



雫の周りから、音が消えた。それは、雫の導き出した結論による驚愕が引き起こしたものだ。


ーーありえない、そんなことは。


だが、それしか考えられない。雫にしかできないこと。自由恋愛を禁じられた白川の娘が、恋の素晴らしさを知っている雫を相手にしてやりたいこと。それは。


ーーお嬢様は、私とおなじ、恋をしてるんだ。


その、「彼」とやらに。わざと名前を明かさないのは、雫の言葉を待っているから。


「……お嬢様は、誰に、どんな恋をしているのですか?」

「内緒にしてね?」


白々しい言葉を口にして。白川芳華は、実に晴れ晴れとした表情で、彼女の恋を語り出した。


なんてことはない、雫にできることは、白川芳華の恋の話を聞くことだったのだ。普通の女の子なら簡単にできる恋の話を、この籠の中の鳥はできない。


少しの憐憫と共に、雫は芳華の話に耳を傾け……すぐに後悔した。

なにせ、彼女が「多原君」とやらにしでかしたことは、雫の情報漏洩と同じくらいに罪深いものだったから。











……。

『さて、染先桜次郎君。過去の清算をするときが、来たようだよ』


自分の器を知ろうともしない人間は、こうして簡単に、死の淵に追いやることができる。











「そうか、渡会家の長男として、か」


多原がその時のことを話すと。笑いを堪えきれないというように、その人は、体を震わせた。


「あいつ、どこまでも僕のことを嫌いだったんだな」

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