操り人形と天敵
ご当主様は察する力はあるけどその先どうしたらいいかわかんないタイプです。
こんな時間に、面会の予約も取らずに。
直接本家に乗り込んできた阿呆の名前は、鳶崎巳嗣。芝ヶ崎のひとつ下に位置する鳶崎の跡取り息子であり、現在、孫娘である令との婚姻を企む男である。
「ご当主様のお耳にも入っているでしょうが、現在、芝ヶ崎には、二つの魔の手が迫っています」
見目だけは良い青年である。芝居がかった仕草で、芝ヶ崎の窮状を嘆いた。
「一つは葉山。これはご存知の通り、楢崎、島崎を煽り、本家への反乱を企てさせました」
当主は巳嗣の言葉をじっと聞いていた。その顔に刻まれた皺一つ、動かすことをせずに。
……その論には、確証がないと、当主は考えていた。島崎と楢崎の跡取りが組んでいる。それは、島崎昢弥の身が楢崎預かりになったことからもわかる。
そして、両者を煽ったとされる葉山ーー正確には、葉山林檎は、たしかに、楢崎マネジへの出資を決めた。巳嗣が言った通り、裏切り者の楢崎マネジを支持することで、芝ヶ崎への敵意を示したというところか。
ーーだが、葉山林檎はそのすぐ後に、此奴にも出資している。
それは、目の前の本人が一番わかっているだろう。そこで、巳嗣の言う言葉に不具合が生じる。
葉山が芝ヶ崎を潰したいのなら、鳶崎の味方をするなんてことは、しないはずなのだ。それどころか、巳嗣が葉山の出資を受けること自体が裏切りなのではないかと、芝ヶ崎のいくつかの家では声があがっている。
ーーどのようにして、葉山から金を引き出したかはわからないが、これが此奴の手落ち。楢崎を潰すことに目が眩み、当初敵対していた葉山に近付くとは。
たしかに、芝ヶ崎の資産が増えるのならと婚姻を許可したが、葉山の磨きすぎて薄汚い金を取り入れてまで勝負に勝つ姿勢は気に入らない。
葉山を食えるのならよし。だが、この若造の行く末は、葉山に食われる未来しか見えない。
……しかしながら。そんな当主の静かな失望と見限りを感じ取っていないことは、この部屋に来た時の彼の第一声で明らかである。敗戦の弁でも聞くつもりで、当主は「続けろ」と言った。
この麗しき青年は、ひとつ返事をして、当主の考える通りのことを口にした。
「二つ目は白川です。自分の息がかかった人物を、よりにもよって令さんと恋仲にあると吹聴させている」
「イセマツヤの跡取りのことか」
「ええ、同じ学校であり、接点は無いとは言えません。私としては信じ難いことですが、それが噂であれ、真実であれ、白川もまた、芝ヶ崎を食い潰そうとしていることに変わりありません」
……芝ヶ崎の上層部に流れている噂がある。それは、白川財閥の子会社と大手百貨店イセマツヤが、業務提携をするという噂。
イセマツヤは、どの三家とも関わりを持たなかったが、ここに来て、白川と関わりを持つらしい。それならそれで良い。問題は、そのイセマツヤの嫡子が、孫娘である令と恋愛関係にある……そんな馬鹿な噂が流れていることだ。
正確には、噂はそれぞれ別々で流れている。
下層で流れている出どころ不明の、令とイセマツヤの跡取り息子の噂。
上層で流れている、同じく出どころ不明の、白川の子会社とイセマツヤの業務提携の噂。
巳嗣は、これら二つの噂を合わせて、“白川がイセマツヤを使い、芝ヶ崎にけしかけた……と考えているのである。あるいは。
「その噂を、貴様が流している可能性は?」
当主はそれを疑っている。葉山にしろ、今回の白川にしろ。あまりにも、鳶崎巳嗣に有利なように動き過ぎている。巳嗣に都合の良いように敵が湧いているのだ。
すると、巳嗣は肩をすくめた。自分の一族の長にするにはあまりにも不敬な反応である。
「私が、白川や葉山を操ることができると?」
「或いは、貴様こそが、白川と葉山の操り人形だということも考えられよう」
沈黙が降りた。巳嗣は、じっと、当主のことを見ていた。それは、図星だとか、反論の言葉を考えているといった様子にも見えた。
が。
彼の中に甦ったのは、たしかな“恐怖”だった。身に覚えのある、恐怖だったのである。
“息子”を彷彿とさせる沈黙の後、
「ーーええ、その可能性も否定はできませんね。しかし……気を悪くしないでほしいのですが、その操り人形に頼らなければならないのも、また事実なのでは?」
鳶崎巳嗣の口調は柔らかく、そして、聞き分けない子供を諭すようだった。まるで、そちらが下だとでも言わんばかりに。どんなに噛み砕いても理解のできない愚鈍な人間を、それでも見捨てないいやらしさがあった。
『これは、お父様だからこそ注進させていただくのですがーー』
困ったように笑う、自分がこの世に堕としてしまった彼のような。
「……」
まさか、そんなことあるまい。以前、巳嗣が直談判に来た時に言っていた“切り札”は、今まさに、巳嗣の後ろで笑っている御霊のことでありーー彼には辿り着けないはずだ。
「私の言葉を跳ね除けることは、ご当主様の自由です。そして、いかなる災いが芝ヶ崎に降りかかったとしても、それは貴方の選択の結果」
「脅しているのか」
「赤子でもわかる事実を語っているだけです。三家のうち、一番に陥落するのが芝ヶ崎だ。内紛により疲弊した本家を、白川の手のものが乗っ取るというのが、妥当な結末でしょうか。そこで、私の出番です」
手を胸にあて、恭しく言う。
「私が令さんと婚姻を結べば、芝ヶ崎は安定します。勿論ご当主様のおっしゃる通り、私が白川と葉山の手先であったなら、それは考えうる限りの最悪な結末ですね」
鳶崎巳嗣はフェアだった。ただ、淡々と、選択肢ごとの未来を提示してみせた。どちらに進んでも地獄である、と。
当主は硬直した。
鳶崎巳嗣は信用できない。だが、白川と関係のありそうなイセマツヤの子息を迎え入れることはできない。
となれば、膠着を選ぶか。いや、事がひとつだけならば、今の自分の力でも事態は収束させられる。だが、相手が悪すぎる。
「では」
硬直する当主を愉快そうに見て。
「与野崎傑の行方を知っていると言ったら、すぐにでも結婚を許可してくださいますか?」
鳶崎巳嗣は、彼が知りうるはずのないカードをめくった。
「与野崎、傑」
「って、本当は死ぬはずだったけど、生き残った男だよね」
ばっちり音漏れを聞いていた楢崎が、少しだけテンションを下げて言う。
「どうして、世代じゃない彼らがそんなことを知っているんだ? ああ、君は島崎だから除外するけど」
楢崎の言葉はごもっとも。
島崎はその特性上、『演説事件』のことを知っていてもおかしくない。が、芝ヶ崎一族にとって、『演説事件』はタブーであり、懸命に罪を薄めようとした結果、無知の世代とも言うべき彼らが生まれたのだ。渡会や、野呂瀬のような。
だが現実としてはどうだろう。渡会は、『演説事件』の重要人物、与野崎傑の名前を知っていた。芝ヶ崎格と同じく、永遠に名前を葬り去られた人物のことを。
「……むかしむかしに猛威を振るった巨悪が、名前を変えて新時代に浸透している。そんなの、よくある話じゃないですか」
嫌な結論だが、それしかない。芝ヶ崎格の信者は、あのカセットテープを所有している、旧時代の人間だけではないのだ。芝ヶ崎格の信者は、現段階で、増え続けている。
盗聴器が破壊される嫌な音がして、顔を顰めた島崎はヘッドフォンを外した。あくびをする。
「とにかく、渡会と野呂瀬が帰ってきたら、話を聞いてみましょうか。わざわざ盗聴器ごしに話さなくても……っ」
そして、今となっては意味がないが、外したヘッドフォンを握り込んだ。「違う」。
「俺に会う気がなかったから、盗聴器を使ったんだ……!」
「どうしてこの時間だったんだ」
車内。不機嫌な巳嗣に、電話の向こうの男は至極上機嫌に語る。
「は? 天敵がいないから? 貴方に天敵というものは存在しないだろう、多原亘のことならば……? ああ、貴方の言った通り、条件は呑んでもらった。膠着した状況で、自分の身を守ることを、ご当主様は選んだ。ああ、貴方の口から聞かなくとも、家の者に聞いて……わかった。これ以上は詮索しない」
乱暴に通話を終了させ、巳嗣は、後部座席の背もたれにもたれかかった。
「これで、巳嗣様は、幸せになれますね?」
隣に座る御霊の声を聞き、果たしてそうだろうかと考える。
ーー令さんは、私のものだ。令さんを手に入れたら、私は幸せだ。だが。
巳嗣は、窓の外を見た。行き交う車のヘッドライト、テールランプ……消えたはずの信号が、ちかちかと明滅する。
冷たい手が、巳嗣の手を握った。
「何も心配することはありません。御霊は、貴方のおそばに」
巳嗣は、その手を振り払った。ふん、と鼻を鳴らす。
「誰が心配をしていると? 無礼だぞ貴様。とにかく、ご当主様との“交渉”は成った……あとは約束の日までに、“資産”を増やすだけだ」
「“膠着した状況で、自分の身を守ることを選んだ”? まだまだ青いね巳嗣くん」
通話終了。“天敵”との楽しい思い出を振り返りながら、芝ヶ崎格は、ディスプレイに映った愚かな男の名前を指でなぞった。
「お父様は安堵したのさ。自分がまだ、僕に捨てられていなかったことに。あれは、脅しなんかじゃあない。僕とお父様の、秘密の暗号さ……暗号、暗号か。サブスクより、こっちの方が好奇心をくすぐったかもしれないね」
背中を丸めて、格はクスクス笑った。
「さあ王子様。お姫様を悪い魔法使いから救ってくれよ。君の握った剣は、はりぼてなんかじゃない。君の剣は、人を殺せる本物の剣だ」




