何もかもが早すぎる
見知った景色が後方に流れていく恐怖を味わいながら、多原は右と左を順番に見た。
後部座席には、チンピラその一とその二。そして多原はチンピラたちに挟まれて、チンピラサンドの具になっている。
そもそも、どうしてこうなったのか。
それは五分前くらいに遡るが、別に遡らなくても説明できる。島崎がドロップアウトした下校途中に挟まれて車に詰め込まれたのだ。
「そんで多原ぁ、お前、俺らのこと思い出したぁ?」
そして、執拗に多原に思い出せと言ってくるのである。そう言われても、多原の知り合いにチンピラなんていないし。幽霊ハンターのお兄さんとか、草壁さんちが一瞬思い浮かんだが、あっちは何か違うものだし。
「あの、人違いじゃないですか?」
「お前のこと多原って認識してんだから、人違いじゃねえだろうよぉ。もっと思い出せよ」
「いだだだだ」
多原の毛根に恨みでもあるのか。多原の左に座るチンピラその一が、前髪を掴んでくる。
「そうは言われても、思い出せないものは思い出せないっていうか……っていうか、どこに向かってるんですかこの車」
「どこだと思う?」
にんまりと笑うチンピラその二。とはいっても、多原はその一に髪の毛を掴まれたままなので、想像である。
「なぁ、多原家の。お前さ、本当に俺たちに見覚えない? 昔よく、新年会で遊んでやったよなぁ?」
「新年会?」
頭皮が痛みを訴える中、多原は何かを思い出しそうになり……頭痛を覚えた。なにか、嫌なことを思い出しそうになっている、そんな気がする。
「っていうかこれ、絶対髪の毛引っ張られてるせいじゃん! いったんやめてもらっていーですか!」
「しょうがねぇな」
ぱっ、と髪の毛を放されて、多原はほっとした。その頭で、頑張って昔の新年会のことを思い出そうとする。
いつからか、レイ姉ちゃんが隣に居なくなった芝ヶ崎の本家で行われる新年会。父は出禁だから、多原一人だけが招待されていて。
人々に囲まれて談笑する、綺麗に着飾ったレイ姉ちゃんを見ながら、多原は死んだ目でご馳走を貪り食い……。
「特にローストビーフが美味しかったことを覚えている。ほどよい赤み、グレービーソースの香りが食欲をそそり……」
「食レポしてんじゃねーよ、あと本家の新年会になんでローストビーフがあるんだよ。和食だっただろうが」
また髪の毛を掴まれそうになったので、多原は、さっと両手で頭を守った。
ーーあれ。
そして、この防御姿勢をしたことで、多原の中の封印されし記憶が紐解かれた。本家の新年会、子供たちだけの遊び。
『お前さぁ、令様に飽きられたんだって?』
『今ならお前をいじめてもいいよなぁ』
「あ……」
思い出した。多原は、そっと顔を上げた。目の前にいる青年は、記憶の中、芝ヶ崎の敷地内で多原のことを蹴ってきた少年にそっくりだった。そして、多原の右側に座るのは、多原のことを立たせて、羽交い締めにしてきた少年にそっくりだ……
「うっ……」
そのとき。多原は、口元を手で押さえた。喉の奥から、何かが込み上げてきた。
「おいおい、やっと思い出してくれたと思ったらそんな反応か? 俺は悲しいなぁ多原くん」
チンピラその一が、優越感たっぷりに言うのを、多原はぶるぶる震えながら答えた。目に、涙すら浮かべながら。
「ちが、ちがう……」
「はぁ? 何が違うんだよ!? トラウマ思い出して今にも吐きそうだってのによぉ!?」
「違うんだ、これは」
「これはぁ?」
「純粋な、車酔い」
もう限界だった。多原はにっこりと笑って。
「ごめん、吐く」
宣言した。
途中から、景色ではなくチンピラたちの顔を見ていたのだ。多原が吐くのは当然だろう。
「まだいける気がする」
応急処置的にビニール袋をくれたチンピラその二は、多原のその言葉にびくっと肩を揺らした。
「お前、まじでやめろ。本当に」
「俺に吐いて欲しくなかったら、名前と目的を速やかに言って俺を解放することだな。でなければ、貴様らにはもらいゲロをしてもらう」
「新手のテロリストかてめーは。ていうか、まだ名前思い出してねーし。敬語なくなってるし」
自身の嘔吐を盾にする多原に、軽蔑の目を向けるチンピラその一。
二人とも、ゲロを吐いた袋を持ちたくないので、仕方なく多原に持たせている状態だ。多原は、たぷんと袋を揺らして見せつけてやった。
「盛大なゲロしやがって。お前、本当に多原貴陽か?」
「おお、俺は本物の多原貴陽ですよ」
「偽物みてえな答えだな、おい。まあいいや、俺は渡会。んで、こっちが野呂瀬。俺らは二人とも、芝ヶ崎の……そうだな、中の下に位置する家柄だ」
車の窓は全開だった。たぶん多原のそれの臭いを逃すためだろう。
多原の持っている袋をちらちらと見ながら、渡会が言う。
「……今日お前を拉致ったのは、他でもねえ。お前、ちょくちょく芝ヶ崎本家に呼び出されてるだろ」
「はあ、呼び出されてますね?」
「じゃあさ、お前、こんな噂を聞いたことがないか? 芝ヶ崎令は、鳶崎巳嗣ではない、他のやつを好きだって」
「そうなんですか?」
多原の十八番、渾身の知らないふり。伊勢君と律さんとで立てた作戦が、うまく回っていることに安堵しながら、ちょっとだけ怪しく思った。
ーー俺が、伊勢と計画を立てたのは三日前なんだけど。
なんか、噂が回るの速くないか?
渡会と野呂瀬は、芝ヶ崎で中の下だと自称している。
けれど、多原達が立てた作戦では、はじめに攻略するのは、芝ヶ崎の最底辺だったはず。三日でこんなところまで届くなんて、おかしくないか?
多原の疑問をよそに、「だから使えないって言ったべ」と野呂瀬が理不尽に小突いてくる。
「まあいーや。俺たちの目的は、これが、本当のことかどうかを知りたいだけ」
そう言って、渡会が多原に見せつけたのは、ネットの匿名掲示板。
「文字、読むと、吐きそうに」
「しゃーねーな。じゃあ読むぞ? “大手百貨店のI株式会社の息子とS家のお嬢様は恋愛関係にあるってマジ?”」
「……マジなんですか?」
「いや、俺らが聞きたいんだけど」
そうではない。多原は、自分たちで作った陰謀論が、ネット上に公開されていることにマジなのかと聞いたのだが、それを渡会が知る由もない。
「その人、開示請求とか考えてないんですかね?」
多原、過去の自分に思いっきりブーメランを投げつける。「それなんだよなぁ」と、意外にも思慮深く、渡会が同意する。
「イニシャルでぼかしてはいるが、こんなの訴えられたら一発で終わりだ。だけど、拡散力は半端なかった。これを見た底辺の暇人が、近頃芝ヶ崎で流れてる噂の通りだと、喜んでやがる」
そこまで聞いて、多原は理解した。
多原が却下された匿名掲示板への書き込み。そして、律さんが自分の派閥を使って流してくれている噂。
つまり、口伝えとネットの合わせ技だ。
本来は、芝ヶ崎の底辺に位置する暇人達が、口伝えで恐る恐る噂を広めていく予定だったのが、ネットの書き込みによって信憑性を一気に引き上げられ、噂の出回るスピードが早くなっている。だから、芝ヶ崎でも、中の下である渡会と野呂瀬の耳にも入ってしまっている。
ーー誰だ、これ、書いたの。
多原は、吐き気も忘れて、渡会のスマホを奪った。日付は、昨日。あまりにも早すぎる。スマホを奪い返し、渡会は、多原の耳元で笑う。
「こぉんな情報、アンチ鳶崎の俺たちとしては? 確かめずにはいられないわけ。うまくいったら、俺たちが鳶崎のポジションになれるんだから」
「でも、令さんが鳶崎さんを好きじゃなかったとして……鳶崎さんは、悪役になるだけ、ですよね?」
そう多原が問うと、渡会が目いっぱい嘲笑って。
「これだから馬鹿は救えねぇ。相手はあの、イセマツヤの御曹司だぞ? しかも、バックにはあの白川がついてるんだ」
多原は、今度こそ、放心した。何がどうなっているのかわからない。どうしてそれを、この男が知っている?
「そこでだ、多原くん」
多原の首に腕を回して、渡会が言う。
「本家のお嬢様が、イセマツヤのボンボンと出来てるか。今からそれを、確かめにいこうぜ」
なにせお前は、お嬢様の元・お気に入りだからな。




