多原くんの陰謀論
「とはいえ」
律さんにしては、のそのそとした動きだった。
手に取った扇子を広げることはせずに、彼は、ぺしぺしと自分の手のひらを叩いた。
「はあ……頭ごなしに却下と言っても、君は別の人間を、それこそ鳶崎君を頼りに行ってしまうだろう。こちらとしても、それは本意じゃない」
ぺしぺしぺし。気のせいか、叩く速度が早くなっているような。
「つま」
「ああ、反対の意味にはしてくれるなよ貴陽君。本当に、本意じゃないんだ。あえて、鳶崎君に頼りに行ってほしいと言っておこうか?」
多原の言葉を遮って、律さんはそう言った。
ーーか、撹乱!
反対の意味を、多原が言う前に言われてしまった。さすがは芝ヶ崎家次期当主、頭が良い!
ぺし、ぺし。速度は緩やかになっていく。多原の戦慄を見てとったように、律さんは、そっと、口の端を持ち上げた。
「……だから、条件をつけよう。この場で答えを出さなくても良い。もっとも、この場で答えを出せなければ、この交渉は、令の知るところになるけどね」
ーーつまり、レイ姉ちゃんのレシピを、ポトフを作んなきゃいけなくなるってことだ。
多原は、拳を握った。それでは意味がない。多原がしなければいけないのは、自分の料理をつくることなんだから。
ーーいやでも、スパイス程度なら良いんじゃないか? それだったら、俺の料理って言えるんじゃ。
律さんの条件を呑んだとして、たとえば細かいところを修正するとかだったら、別に……ちょっと甘いことを考え始めた多原は、一応、律さんに聞いてみた。
「じょ、条件って?」
「令が好きなのは君だった、という筋書きに変更するんだ」
ーーあぁああああ!!
多原の脳内では、ニコニコしながらマーマイトを丸々一瓶、鍋にぶち込む律さんの光景があった。それは、紛れもなく、律さんの料理である。ていうかそんなことやったら鳶崎さんが死んでしまう。
「え、えっと」
自分で言っておきながら、多原は改めて、律さんの悪意を味わっていた。このお兄さん、やっぱり多原のことが嫌いなのだ。そんなことしたら、ただでさえ悪意バチバチの芝ヶ崎一族さんが、多原のお命を頂戴しに来てしまうではないか!
ーー考えろ、考えろ俺! どうにかして、殺されないようにしないと!
多原だって、誰か具体的な人を、“レイ姉ちゃんが好きな人”役に立てることも考えたのだ。だけど、そうするとその人が殺されちゃうし。
一人、島崎が浮かんだけど、絶対島崎協力してくれないし。
だから、架空の“レイ姉ちゃんが好きな人”をでっちあげて、結婚を阻止するつもりだったのに。
ーーたしかに、具体的な人間を用意しないよりは、用意したほうが説得力が増すんだけど、殺されちゃうんだよ!
誰も被害者を出したくない多原としては、具体的な人物を指定するのは避けたい。
ーーだからって、芝ヶ崎ランカーたちと戦うことができる人間なんて。
他の二家しか思いつかないけど、それはダメだ。葉山家と白川家の介入は、律さんとか、芝ヶ崎が警戒しちゃうし……。
ーーもう、俺が死ぬしかないのかな。
遺言状に、島崎は無実ですって書こう。別に無実じゃないけど。
遺言状って、スマホのメモでもいけるのかな。家にあるレターセットでも良いのかな?
そんなことを考えながら、多原は、返事をしようとしてーー
「あ」
一人、いた。芝ヶ崎にも匹敵する御三家の関係者で、表立った関係がない(今のところは)めっちゃ強い立場の人物。
「だから頼む伊勢! 俺は、志半ばで死にたくないんだ!」
「うっわアホがきた……」
心底嫌そうな顔をする伊勢君は、多原の呼び出しに、それでも応じてくれた。
「勤勉な学生の勉強時間を無為に過ごさせる罪深さを理解しての狼藉か? 多原よぉ」
「勉強時間にソシャゲのリセマラしまくる奴に言われたくはない」
スマホの丸っこい角で、多原の頬をつんつんしてくる伊勢君。多原はジト目で答えた。
今までは、クラスの陽キャだったが、白川さんによって正体を知らされた今、そして、多原がよくわからないけど弱みを握った今、怖くないのである。
「俺はお前の弱みを握っている。バラされたくなければ、大人しく芝ヶ崎令の好きな人役になってくれ! 大丈夫、お前ならやれる! 俺は信じてる! たぶん殺されない!」
「お前、けっこう酷いよな。俺のこと、秘密にしろって言われなかった?」
「“あ、伊勢君は、大手百貨店イセマツヤの令息なんだけど、今から言うことは、秘密ね”って」
「あのクソ女がよぉ。ていうか、島崎は? いっつも一緒に帰ってる」
「撒いてきた、あだっ!?」
角で頭を殴られて、多原は地面に座り込んだ。ちょっと涙目になりながら、言う。
「……芝ヶ崎とのビジネスチャンス、興味ない?」
「一丁前に俺にプレゼンか? ちょっと詳しく」
そんなわけで、多原はいけに……レイ姉ちゃんの好きな人を見事に確保してきたわけである。
伊勢隼斗は、今回の条件にぴったりの人物だ。なにせ、家はあのイセマツヤという大企業だし、これから白川さんのところの子会社と提携する予定だけど、それはまだ世間に知られていない。完全な第三勢力でありながら、バックに白川家がついている。
『どうして君がイセマツヤのご子息と?』
もちろん、伊勢君の話をした時、律さんは怪しんだ。それはそうだ、多原とかいう芝ヶ崎の雑魚に、自分の正体を明かす必要性が全く感じられないので。
まさか、クラスメートの女の子に教えてもらったとか言えない多原は、『俺のコミュ能力ですね』と言っておいた。
そんなわけで、律さんと伊勢君は、話を擦り合わせるために、本家じゃないところでお話してるわけである。
律さんと、伊勢君は。
「おーい、多原君? ちょおっとお話良いかなぁ?」
で、肝心の多原はというと、島崎に体育倉庫の裏で嬉しくない壁ドンされていた。
「昨日はさぁ、俺を撒いて、な・に・を、してたのかなぁ?」
多原は、ふいっと横を向いて、ヘッタクソな口笛を吹いた。知らんぷりである。
島崎が、ぐにに、と多原の頬を摘んで、メンチを切ってきた。
「おい、答えろこら。何が不満だ? まさかお前、鳶崎の野郎を助けようってハラじゃないよな?」
「ふぇ、ふぇふひたふへほーほは」
「何言ってるかまったくわっかんねえ」
だって、ほっぺた掴まれてるし。
島崎の手を振り払った多原は、もう一度言い直す。
「別に助けようとは思ってない」
「じゃあ何なんだよ」
苛ついたような島崎に、たしかに何なんだろうなと考える多原である。
夢を見て、他の人が薦める料理じゃなくて、自分の料理を作らなきゃとなって。他の人が、大なり小なり多原のことを思って言ってくれてることはわかっているけれど。
ーーだけど、俺は。俺がやりたいことは。
「…………ろん」
「は? 聞こえねーんですけど?」
「だから、陰謀論を作る。俺の、俺だけの」
味噌汁を動かしてる宇宙人はいなかった。だけど、多原はそれに、たしかに心踊らされたのだ。
「みんなが幸せになる陰謀論を作る。だから待ってろお前も救ってやるからな!」
「あ、ちょ、おい多原、かばん!」
なぜか身軽に感じる体。なんか背後で島崎が叫んでる気がするが、多原は止まらなかった。
ーー待ってろ結婚式! 絶対阻止してみせるからな!
そう、
「多原くんの陰謀論で」
廊下の窓から見える好きなひと。その姿が目に見えなくなるまで追って、芳華は呟いた。
「誰も彼も、救った後に。私のところに来てくれれば、それで良いよ」




