本家の味方
多原は畳の上で正座していた。なぜかって、本家の厳しい人たちの前だから。
「いやいや多原君、正座、崩していいんだよ?」
レイ姉ちゃんのお兄さんがそう言ってくれるが、その隣に並ぶ老夫婦(本家の当主とその妻)がめちゃくちゃ怖いので、多原は我慢した。涙目で我慢した。
「今日、お前を呼んだのは他でもない。お前、葉山の家に何をした?」
眼光鋭く訊いてくるご当主様に、多原は慄きながら、「何もしてません!」と首を横に振る。
「多原君、別に、お祖父様は怒っているわけじゃないんだよ。正直に話してごらん」
糸目のお兄さんはそう言ってくれるが、多原は知っている。このお兄さんが多原のことを名前で呼ばないで、苗字で呼んでくるのは、芝ヶ崎との明確な線引きなんだと。
だから、安心させるような言葉も罠だ。多原は、ぶんぶんぶん、と首を振る速度を上げた。
「まっったく、身に覚えがないです。あるとしたらこの前葉山って家でおじさんと話したことぐらいです!」
「へえ、どんなおじさんだったの?」
「娘さん思いの、ふつーのおじさんでしたよ」
まさか、その裏で誘拐事件が起きていたことは話せない。
「そのおじさんの名前は?」
「さあ?」
「どうしてそのおじさんと会ったの?」
「ええと、それには深いわけがありましてぇ」
ここで橿屋という警察官のお兄さんを出せば、誘拐事件の話になってしまう。多原は口が硬い男。秘密は絶対に死守してみせる。
「俺から話せることはそれくらいです。だから芝ヶ崎の皆さんが怒る意味が俺にはわからないっていうかぁ……あのおじさん、芝ヶ崎のこと知ってたから偉い人なのはわかるけどぉ。へへへ、へ」
「まったく、多原君は、どうしてそう無知なんだい?」
糸目のお兄さんが早々に目を開き、多原のことを冷ややかに見てくる。優しそうに見えても、本家は本家だ。多原はゴミに見えているに違いない。
「葉山といえば、昔から、政界の重鎮を輩出する一族だろう。ついでに言えば、芝ヶ崎との仲は最悪だ。官民一体など全く考えない、媚びることを知らない一族だからね」
「えっ、それって」
ぶっちゃけクリーンな政治家じゃね? とか思った多原だが、口には出さないことにした。そんなこと口に出したら殺される。
「その葉山が、お前を養子に欲しいと申し出てきた」
「えっ」
急展開である。ご当主様の言葉に、多原は顔を真っ青にした。
「これまでの軋轢をなくして歩み寄ろうと。だが、どうしてお前なのか」
「俺みたいな雑魚だったら、養子にしたところで痛くも痒くもないから……?」
芝ヶ崎一同、多原の言葉に沈黙。すなわち肯定。
だが、多原は芝ヶ崎ナイズされた思考を言ってみただけで、葉山のおじさんがそんなことを考えるとは思ってもいない。きっとなにか、深いわけがあるに違いない。
「その様子だと、君は、養子の件を聞かされていないようだね。それがわかっただけでも収穫かな」
ぱちん、といつのまにか手に持っていた扇子を畳むお兄さん。
「けれど、覚えておくといいよ多原君。葉山の家と手を組んで、芝ヶ崎に歯向かおうものなら、君の命はないと」
しっかり釘を刺されてから、多原はじんじん痛む足を引きずって廊下を歩いていた。正座、やめとけばよかった。
「葉山、葉山かぁ」
そんなにえらい家のお嬢さんだったら、二回も誘拐されるのには納得かもしれない。なんか、政界のライバル的な存在がいるのかも。
「葉山が、なんだって?」
「きゃー!」
ぬう、と幽霊みたいに出てきたレイ姉ちゃんに、多原はそこらへんの柱に飛びついて高い悲鳴を上げた。
「どどど、どちら様ですか?」
「私から話しかけてくるときは、他人のふりはしないでいい。来てたのか、キョウ。その様子だと、お祖父様と兄に絞られた後だな」
「その通りです、はい」
「大方、葉山の家に養子にと誘われているんだな?」
「すっげ、よくわかったね」
「お前のことだからな」
なんだか、レイ姉ちゃんがいつもより優しい。多原を柱から引き剥がし、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。レイ姉ちゃんが着ている和服からは、良い匂いがした。
「それで、養子は受けることにしたのか?」
「それを決めるのは本家の人たちだよ。もちろん、断ったらしいけど」
「お前は、それで良いのか?」
「俺としてもそれで安心かな。おじさんは良い人だったけど、父さんや母さんが悲しんじゃうし」
「ああ……そうか」
納得した感じのレイ姉ちゃんの声は、少しだけ硬かった。
秋の虫が鳴いていた。
ぢりりりり、と古風な黒電話が鳴る。
「はい、芝ヶ崎ですが、はい、はい、は、はいっ、かしこまりました。しばらくお待ちくださいっ!」
電話に出た女中は、その名前を聞いて、当主の下に急いだ。
「旦那様、お電話です。は、葉山様から……」
「来たか」
うんざりした顔の芝ヶ崎家当主は、受話器を取った。
『“多原君のことは一旦諦めよう。だが、ゆめゆめ忘れないことだ。私は、君たち芝ヶ崎の足元を、いつでも狙っているとね”。きりっ。はいこれでぇ、芝ヶ崎は葉山の家を警戒するようになったね。えへへ〜どうだった? 私の声真似』
「驚くほどよく似ていたよ。節穴が耳の場合はなんと言うんだ?」
そう。
令が多原の養子縁組のことを知っていたのは、画面の向こうにいる木通しをんと組んでいたからに他ならない。
令は、肩をすくめた。
「まったく情けないよ。芝ヶ崎が、合成された声に騙されるだなんて。それくらい、しをんの技術が並はずれているのだろうが」
『えへへー、すごいでしょ私』
「ああ、敵に回したくない」
『でも、いずれ敵に回るからぁ、覚悟しておいてよね、レイにゃん?』
「まったく情けないよ。こんな小手先の技術で本家を騙せると思っているなんて」
葉山の家の一件は知っていた。問題は、あの少年の目にはどう映っているか、だ。
「お前の恋路は厳しいが」
手に持った餌を、池にばら撒く。途端に水面に顔を出す鯉達。しばらく、餌の争奪戦を楽しそうに眺める。
「キョウ君とお前が番ってくれたら、お兄ちゃんとしても、都合が良いなぁ」