多原君は自分で料理を作りたい
「だから俺は、あなたのところに来ました」
『おい、愚民。早く料理を持ってこい』
『え?』
多原は困惑した。気がつけば、目の前には鳶崎さんがいて。お高いレストランの内装の中に溶け込む彼は、多原に冷ややかな目を向けた。
『え、ていうか、ここどこ……ですか?』
『お前の店だろうが。早くしろ、私は空腹なんだ』
多原は目をぱちくりした。窓ガラスで自分の格好を確認すると、なるほど、多原はコックコートを着ている。
ーーいや、着てるからって作れるわけでもないんだけど。
などと思っていると、鳶崎さんの目が光り出した。なんか、ビーム出そう。
『へい、ただいまぁっ!』
こういうレストランのコックさんが絶対にしないであろう返事と共に、多原は厨房に遁走した。
……遁走したのはいいが、多原はそこで、頭を抱えることになった。
『なんっっにも食材がない!』
そう。鳶崎さんに料理を出そうにも、冷蔵庫の中は空。米もないしパンもない。出るのは水道水だけ。
『どうしよう、白湯しか作れない』
殺される。水道水の煮沸煮とか言っておけば、誤魔化せないだろうか。
『いや、誤魔化せるわけないだろ』
と。
声のした方に振り向けば、多原のよく知る人物がいた。彼は、にこにこしながら、大鍋を持っている。大鍋の中にあるのは、カレー粉と、玉ねぎ人参じゃがいも。それに、豚肉である。
『島崎ィ……!』
多原は感涙に咽せそうになった。持つべきものは島崎君である。
『よしっ、カレーを作ろう!』
よかった、材料があって。若干都合が良い気がしなくもないけど。
多原は早速、具材の下拵えにとりかかった。その直後である。
『お待ちください多原様』
『り、林檎さん!?』
またもや、どこから現れたのかわからない闖入者。林檎さんは、女神もかくやという笑顔を浮かべながら、多原にそっと、シチュールウと牛乳を差し出す。
『これで、シチューを作りませんか? 鳶崎巳嗣は、シチューが好きなはずです』
『は? カレーだろ』
『いやいや、ここは肉じゃがだろう』
もはや、多原は驚かなくなっていた。なぜかって、このカオスさ。夢に違いないからだ。
現れたのは、あの時一回だけ会った楢崎さんである。スーツをびしっと着こなした楢崎さんは、糸こんにゃくとめんつゆを持っていた。
『巳嗣君は、和食が好きに違いない』
『そうとは限らない。鳶崎巳嗣は、ポトフが好きかもしれないぞ』
『レイ姉ちゃん』
当たり前のように乱入してきたレイ姉ちゃんは、袋に入ったウインナーを持ってきていた。なんともシュールな図である。本人が真顔なのも含めて。
『キョウ、ポトフを作れ』
『レイ姉ちゃん、それはどうして?』
『私が食べたいからだ』
『うーん』
普通に欲望に忠実なレイ姉ちゃんは、明らかに夢の中での存在である。だけど、ちょっとだけ。多原はこのレイ姉ちゃんに、現実の成分を見てしまったのである。
それが何かはわからないけど。
で、その後も、夕雁さんがポテサラを作れと、キュウリを多原の頬にごりっとしてきたり、緋織さんがもはや流れを無視しておでんの具材を買ってきたりして、厨房は人でいっぱいになってしまった。
『んで、多原。お前は何を作るんだ?』
『え、えーっとぉ』
じりじりと詰め寄ってくる、てんでばらばらの物を作らせようとしてくる人々。追い詰められた多原の肩に、ぽんと優しく置かれる手。
『多原君が、好きなものを作れば良いと思うよ』
『白川さん……!!』
後光さえ見える白川さんは、右手にハヤシライスのルウを持っている。
『白川さん……?』
多原は大いに不安になった。白川さんもちゃっかり、ハヤシライスを作れと言外に言ってくる。
『ええっと、ええっとぉ……! そ、そうだ! 鳶崎さんに、何がいいか訊いてみます!』
多原、魂の逃走。再び鳶崎さんの元へ。
窓の外を眺めていた鳶崎さんは、絶対零度の視線を多原に向ける。
『遅い、料理は決まったのか?』
『そ、それが、思ったより材料が多くて全然決まらなくて。鳶崎さんは、どれがいいですか?』
そう言って、多原は、みんながお勧めしてくれた料理を挙げていく。そのどれもに、鳶崎さんは首を振った。
『全然駄目だ』
『えぇっ』
じゃあ何を作れって言うんだ。
『じゃあ、何を作れば良いんですか』
多原は若干投げやりに鳶崎さんに訊いてみた。そんな多原に、鳶崎さんは、やっぱり冷めた瞳で。
『お前が作りたい料理に決まってるだろう』
大長編の夢っていうのは、全部覚えているのは難しい。だけど、朝起きた時、多原は夢の内容を鮮明に覚えていた。
それは、多原が苦手な鳶崎さんが出てきた夢だったからかもしれない。なんかカオスな夢だったからかもしれない。
だけど、一番は、なにかを掴みかけている気がしたからだ。
「カレーも、シチューも、肉じゃがも。みんなが俺に作らせようとするものは、鳶崎さんの口に合わない」
それが、とっても重要な気がしたのだ。
ごちゃごちゃする頭を、夢を見ることで整理してわかった。当たり前のことだ。みんながみんな、多原にカレーを作らせようとしているわけじゃない。思惑をもって、違うものを作らせようとしている。
誰も信用するな、と島崎が言う。それはきっと、アホな多原が生きていけない世界での、最上のアドバイスだ。
多原は器用じゃない。誰々を、この点で信用できるとか、見極めをすることは難しい。
「だったら、信用できない人を信用すれば良い」
それが、多原のたどり着いた答えである。
「だから俺は、あなたのところに来ました」
芝ヶ崎家本家。扇子を広げたレイ姉ちゃんのお兄さんは、多原のことを文字通り見下ろした。温度を感じさせない真っ黒な瞳は、夢で見た鳶崎さんの目にそっくりである。
「本当は、鳶崎さんに直接会いたかったけど、それはできないから」
「私で妥協したと?」
多原は、こくりと頷いた。「素直だね」と呆れたように言って、レイ姉ちゃんのお兄さんはうっすら笑う。何を考えているかわからない笑み。逆信用ポイントに値する。
ーーこの人だったら、俺は疑うことができる。
多原は、至極最低な理由で、レイ姉ちゃんのお兄さんを信用していた。
もうひとつ。
『誰が見ても、令さんの方が才能がある。立場に見合っている才能がない者は窮屈だ。私が引導を渡してやる』
鳶崎さんの言ってたことを鑑みるなら、この人は、鳶崎さんの敵である。レイ姉ちゃんの結婚式阻止に、重要なピース。
多原は、急激に冷めていく体温に、身震いした。
ーーさあ、こっからだ。
脳内では、木通しをんちゃんが、ちっちゃい旗を振って多原を応援してくれている。
それから、夢の中に置き去りにしてしまった鳶崎さんが、窓辺に座っていた。
ーー俺はこの人から、材料を引き出す。
そして今度こそ、多原にしかできない料理を、完成させてみせるのだ。
「俺と、取引しませんか。芝ヶ崎律さん」




