木通しをんの釣果
そんなわけで、多原は、自分を殺したいと思ってそうな花蕊さんに会っても、ちびることなく対応できたのである。
「うん、たぶん、対応できた」
島崎と会話を終えた後。多原は、これで良かったのかと自問した。
島崎に、白川さんの存在を教えなかった。島崎との電話の内容は、楢崎さんに聞かれてるそうだから、それはそうなんだけれども。
多原は、ベッドに寝転がりながら、スマホと睨めっこしていた。
……島崎に伝える手段なら、まだ、ある。
ブックマークしているページを開けば、再生数の低いお菓子作りのASMR動画が再生される。雰囲気なんて、多原好みでばっちりなのに、どうして再生されないんだろう。
自分達しかコメントしていない動画に、新しいコメントがついている。そのコメントを読んで、多原はスマホをそっ、とベッドに置いた。
「よし、寝るか!」
現実逃避。
『キョウ君の興味だけを惹く動画なら、作るのもテンション上がるんだけど、あの男の興味も、となるとね。なんで好きでもない男の情報を集めないといけないんだか』
令の画面上で、ぐでん、と寝そべる木通しをん。その姿はいつもの等身ではなく、二頭身。本人が言うには、省エネモードらしい。小さなしをんが、小さなリモコンのボタンを押すと、そこには、ユーツーブのページが開かれた。
『よいしょっと』
開かれた画面の中に入り、コメント欄へと移動するしをん。
「なんでもありだな」
令は、驚き半分呆れ半分で呟いた。令の携帯を縦横無尽に歩き回り、しをんは、とあるページにたどり着いた。
『でも、さっすが私! 目論見どーり!』
再生数二桁、コメント数だけが異常に多い、料理動画である。令は今まで知らなかったのだが、世の中には、ASMRというジャンルが存在するらしい。音楽だけでなく、声や、音を聞くことで、癒しを得ることができるそうだ。
たしかに、生地をかき混ぜる時のカシャカシャという音や、果物を切る音は耳に心地よい。
迷いのない手つきを見ながら、レイは質問する。
「これは、誰かに菓子作りをさせたのか?」
『まっさかー! キョウ君に見せる動画だよ? そんなやらせみたいなことしないって!』
ぷんすかと怒るしをん。それとは反対に、令は口元を吊り上げた。
ーーそうだろうな。
自分が逆の立場でも、そうする。
令は、動画を凝視した。オーブンで焼き上げる時、扉に顔が映ってはいないか。自宅で撮っているのなら、環境音がヒントになる。どこかスタジオを借りているのなら、そこから、しをんの本体にたどり着くことができるだろう。
『特定厨になってるとこ悪いけど、私は完璧だから、そこらへんは抜かりないよ。ユーツーバー舐めたらだめだって。撮影場所はスタジオじゃないし、自宅でもないから』
「それなら、そこはどこなんだ?」
『言うわけないでしょ、いーだっ!』
あっかんべえをするしをん。次の瞬間、彼女は釣り竿を持っていた。
『とーにーかーくっ! 無事にキョウ君と、あとその島崎っていう男が釣れたわけ。社会学で大多数の人間を排除して、心理学で特定の人間を釣る。やってみるもんだよね、案の定、二人はこの動画を、連絡手段にしてくれた』
ばしゃっ、という効果音が聞こえたかと思えば、しをんは、二匹の魚を釣り上げていた。一匹はバケツの中へ、一匹は、串を通して火の中へ。
……到底あり得ない話である。特定の人間だけに波長の合う動画を作るなんて。
だが、木通しをんは、見事にそれをやってのけた。
当然だ、彼女には、多原貴陽の興味だけを惹く動画を作り上げた“実績”がある。
あとは、それを島崎昢弥に適用して、二人の興味の最大公約数を提示してやるだけ。
結果、二人の密談は、こちらに筒抜けというわけだ。
感想を言うフリをして、来るべき日のための、“作戦”を立てている。その作戦を、令と、しをんは把握している。相手、というか、島崎昢弥が考えていることは、葉山林檎が脱落すれど、変わらない。
ーーキョウを騙そうとしていることは許せないが。
それは、自分達も同じこと。だが、ここにきて、暗雲が立ち込め始めた。
『これは、まずいねー……』
島崎のものと思われる、新しいコメント。その頭文字を拾っていけば。
『“なんかかくしてる?” あららぁ、キョウ君、不良少年になっちゃった?』
「キョウが不良になぞなるわけがないだろう。だが……これは、たしかに良くない」
ばりばりむしゃむしゃ。豪快に、焼いた魚を食べるしをんを見ながら、令は眉を顰めた。これは良くない。島崎の杞憂だと楽観視できたら良いが、あの男は、曲がりなりにも多原の親友である。過小評価はできない。
『これじゃあ、安心して鳶崎巳嗣を殺せないじゃん。せっかく、準備が整いつつあるっていうのに。どうするレイにゃん、結婚式、中止する?』
「まさか、続行だよ」
ここで退けば、父親が増長してしまう。蔵に閉じ込められている化け物が、ひとつ、鎖をひきちぎってしまう。
『なぁんか、焦ってない? レイにゃん』
聡いしをんが、小首をかしげる。バケツに入った魚を愛でながら。
『焦っても、ロクなことがないよ。りらっくす、りらーっくす』
「……それも、ASMRの一つか?」
『えっ、私の声に癒しを感じちゃったのレイにゃん。ふーん、へー?』
にやにやと笑うしをん。令の中に、焦りの代わりに、苛立ちが生まれた瞬間だった。
「ふーん」
返事のないコメント欄。島崎は、「そろそろ寝なさい!」とお母さんみたいなこと言ってくる楢崎さんをガン無視して、スマホを見ていた。
ーーあいつ、すっげえわかりやすいな。
なんでもない、と言うセリフは、なんでもある人間しか使わないと相場が決まっている。
ーー俺が図書委員の手伝いをしてた時に、偶然、多原に接触したやつがいるってことか。なわけあるか。
多原の話を思い出す。下校の時、草壁の元本部長と接触したらしい。そのあとに、草壁夕雁と会ったとか。電話してきた時間帯から考えて、その後は、多原は真っ直ぐ家に帰ったのだろう。
とすると、何かがあったのは、多原が下校する前だと考えられる。
ーー放課後。
花蕊のことすら話す候補に上がるような出来事があったのだ。きっと。
ーー俺が月一の手伝いに行く日は、決まってない。予測するのは、図書委員会じゃないと不可能。だけど、図書委員なら、図書館にいなければならなかったはず。
とすると、図書委員から情報提供をされていた? いや。
ーー俺が、一緒に帰れないって言った時に、教室にいた奴らが怪しい。
昼休みのことだった。万年赤点の伊勢が、購買に出て行った後。島崎は、何気なく多原に、図書委員のことを切り出したのだ。切り出そうとした。
『なあたは、』
『えー、芳華、それだけで足りるの!? もはやミニチュアじゃん、絶対お腹空くって!』
「…………あー」
ありがとう、声のでかい柏木。一回俺の言葉遮ったけど、そのおかげで、犯人がわかった。
ーー白川芳華。
静観に回っていたあの女が、満を持して、多原にちょっかいをかけたに違いない。
ーー多原がそれを言えなくなってるのは、何か秘密を握らされたから。
たぶん、裏切った時に使えとでも言って、多原に自分の弱みを握らせたのだろう。だから、多原は島崎に言おうとして、言えなかった。白川芳華は、多原の良心を利用して、口を塞いだ。
もちろんそれは、島崎の仮定に過ぎないが、大体合っているだろう。友人の勘というか、島崎がやったことと同じなので。
「あとはそれを、検証するだけ」
場合によっては、葉山林檎の代わりをさせても良い。あくびを一つ、島崎は、眠りについた。
……拍手が聞こえる。割れんばかりの。
座席に座った島崎は、この状況を把握できなかった。いま、自分は、どこにいる?
貸切の劇場だ、体が沈み込みそうな、心地よい椅子に座りながら、今か今かと、彼を待っている。
……彼?
彼って、誰だ。周囲を見回す。人々の目線は、ステージに釘付けだった。異様だ、ここの全てが。
人形のような人々は、規則正しい動きで、いつのまにか現れていた、壇上の彼を出迎えた。穏やかな笑みを浮かべる彼は、最初の一文字を言うべく、唇を形作った。
そこで、島崎は、目を見開いた。唇が、震える。
「これは夢だ、早くさめろ、覚めろ、醒めろ……」
縫い付けられたように、座席から動けない。天から、浮かれたような声が降ってくる。
『私があの男の演説を聞きに行ったのは小学校の頃だったな……』




