見守りカメラ
「刃こぼれは、許さない……」
多原は、花蕊さんに書いてもらった紙を見ながら、彼の言葉を反芻した。
ちなみに、持ってる紙には、『花蕊』と馬鹿でかく書いてあり、その上にはふりがなが振ってある。同音異義語が多い世の中。もしかしたら別のかずいさんもいるかもしれないので、高校から持ち帰った小テストのプリントの裏に書いてもらったのである。
これで、夕雁さんもあの花蕊さんかぁ! となるはずである。よかったよかった。
よかったよかっ……
「ていうか俺、夕雁さんと会わなきゃいけないの? 郵送とかじゃだめ?」
ということで、伝書鳩扱いされた多原は、草壁家に来たわけである。
「っ……」
かつてない緊張感で、多原は草壁家のインターフォンを押した。応答なし。もう一回。応答なし。
「あれ、もしかして、いない?」
心の底から喜びが湧き上がる。いそいそと鞄を地面に置いて、ファイルに挟んであるプリントを取り出す。草壁家の門を下敷きがわりにして、シャーペンで花蕊さんの言っていたことを思い出しながら書いていく。
「えーっと、ふくしゅうをしたい、はこぼれをゆるさない……っと」
それを綺麗に折りたたんで、そっ、と門の下に差し込む。
「ミッションコンプリート!」
いなかったもんは仕方ない。ベストは尽くした。多原はやり遂げた顔で、異常に出た脂汗を拭って、さあ帰ろうと後ろを振り向き。
「……い、いつから?」
「さあ、いつからかな?」
一部始終を見ていたであろう夕雁さんは、にっこり笑ったのであった。
「きよう君も肝が据わってるよね。草壁の家の門を使って書き置きするなんて」
「あ、あはは……」
通されたお屋敷では、テレビ番組が流れていた。なんかこう、動物にアテレコする系の。それを夕雁さんは微笑ましそうに見ては、多原のことをちらちらと見てくる。
「私、こういう番組嫌いだったんだぁ」
「そ、そうなんだ」
「でも、最近ついつい見ちゃうんだよね。何でかって思ってたんだけど、ようやくわかった」
テレビでは、家具から家具へジャンプしようとしていた猫が、失敗して落っこちていた。
「きよう君も、こんな感じだなぁ〜って」
「あ、あはは」
完全にペット扱いされた多原は、引き攣った笑いしか出なかった。
「それはそうと」
机の反対側に座っていた夕雁さんは、多原の横にすとんと座った。
「きよう君は、花蕊をどう思った?」
夕雁さんが、何を言わんとしているのか。多原に何を期待しているのかわからなかった。
なので多原は、直感で答えた。
「たぶん俺を殺しにきてた」
「うーん、正解! さっすが私のきよう君」
犬にでもするように、夕雁さんは多原の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
ーーや、やわらかい。
それも、頭を引き寄せられてなので、夕雁さんの体温をもろに感じてしまう。
「花蕊はね、私の熱狂的信者なんだぁ。私のお父さんを殺したのも、私のため」
「ころし、」
いきなり重い話をされて、多原の息は止まりそうになった。それでも、夕雁さんの声のトーンが変わることはない。今日の天気の話でもするように、多原の頭を撫でながら。
「私、人を殺すの好きだよ? 人が苦しむのも好き。きよう君のことも、殺したいって思ってる」
「ひえっ」
「でも、それって誰かに認められるの間違いだと思う。誰かに認められる時点で、陳腐なものになるんだよね?」
謎の持論を展開する夕雁さんに、多原はぶぶんぶんと首を縦に振った。こういう時は共感しておくものだって、雑誌に書いてあった。
「アイツの目の付け所は正解だよ? きよう君は私の可愛いペットだもん。そのペットが伝言を持ってきたら、思わず聞いちゃうもんね」
くすり、と、頭の近くで夕雁さんが笑う声がした。
「きよう君のことを嫌いなくせに、きよう君に伝言を頼むしかない。あははっ、いい気味! 花蕊にあんな顔させられるの、きよう君だけだよ!」
「夕雁さんは、その、花蕊さんのこと、嫌いなの?」
「うん、大っ嫌い! だから、花蕊のことを困らせたきよう君、もっと好きになっちゃった!」
「俺、花蕊さん困らせてたの!?」
多原としては、いつちびるかわからない状況にあったのに。
「ていうか、あんな顔って」
まるで見てきたような言い方である。そう思って、夕雁さんの手から脱すると。
「……」
えも言われぬ表情で、夕雁さんは笑っていた。テレビ番組では、ペットの見守りカメラの映像が流れている。
「花巻」
「へい」
ささっと花巻さんが夕雁さんのそばに来て、バインダーを渡す。それを手に持った夕雁さんは、朗々と、綺麗な声で内容を読み上げた。
「『わかりました。伝言を伝えるにあたって、聞きたいことがあるんですけど』『なんだい?』『かずいさんはどういう漢字ですか? 苗字ですか、名前ですか?』『これは失礼した。かずいは苗字だ。花のしべと書いてかずいと読む。珍しい苗字だろう』『そ、そうですね……』三十二秒の沈黙。『…………なにか、書くものはあるかな』」
読み上げられるたびに、多原の肌は粟立っていった。一言一句、違うことのない。さきほど花蕊さんと繰り広げた会話である。
ぺらりと紙をめくって、夕雁さんは、にんまりと笑う。
「『ていうか俺、夕雁さんと会わなきゃいけないの? 郵送とかじゃだめ?』」
「すんまっせんでしたーー!!」
多原はその場に土下座した。
手のひらでコロコロと転がされた多原は、今日一日いろいろあったなあと思いながら歩いていた。いろいろありすぎて、
『それで、俺に電話してきたわけ? 囚われの島崎君に?』
変わらない島崎のトーンに、多原はほっとした。さすがは終身名誉親友の島崎である。自分で囚われとか言うな。
「俺はもうわからないよ、林檎さんも、夕雁さんも、レイ姉ちゃんも、」
『成長したなぁ、多原』
「なんで感動した風に言うんだよ」
友人が悩んでるっていうのに。多原がぶすくれて言うと、島崎が『ごめんごめん』と謝ってきた。
『お前にとっては苦しいかもしれないけど、これが正解だよ。お前は、本家の長女を助けることだけ考えればいい』
「……なあ、島崎。それなんだけど」
多原の脳裏に、夕暮れの教室が甦った。多原に向かって手を伸ばしてきた彼女は。
『……多原?』
「なんでもない。レイ姉ちゃんを絶対救おうな」
……時は、多原が花蕊と会う前に遡る。
「なんだ、これ?」
多原は、下駄箱で、一通の手紙を見つけた。




