弱い者勝負
「漆崎の巫女は、かわいそうな生き物だ」
暗闇にひとり生きる男は、そんなことをぽつりと呟いた。
正確には一人ではない。彼には話し相手がいる。島崎の嫡子がたどり着いた答えにも辿り着けない男に、正解を教えてあげている。
「生まれた時から、子供を産むことを期待されている。だから、大切に、死なないように。柔らかな泥の中で育てられるんだ」
這い上がることなど、決して許されない泥の中で、その一生を終えていく。次の世代に呪いをうつして、彼女は死んでいくのである。
「彼女はそんな運命を厭った。漆崎を終わらせるつもりで、何の力も持たない貴陽君と交わろうとしているんだ」
生まれる子供は平凡。漆崎は特殊な力で成り上がってきたから、その力がなくなったとなれば、終焉を迎えてしまうだろう。
「いやいや、君が好きな破滅思考じゃなくて。彼女には、それしかやり方がないんだよ。人を犠牲にするというやり方しか、ね」
だから、多原に願いの叶う札を送った。寄生生物が、宿主に尽くすように。これから腹を破り、食い散らす予定の少年に対して、歪んだ自己犠牲を発揮したのである。歪んだ自己犠牲ーー罪悪感とも言おうか。
「今回彼女が貴陽君の名前を出したのは、自分にとって貴陽君がどういう存在かを知らせるため。彼を差し出せば、彼女の機嫌がとれることを印象づけた」
二つの派閥争いを利用して、多原を手中に収めようとしたのである。その過程が、どうであれ。もしかしたら、手足の一本は失っていたかもしれない。
大切なのは、生殖機能を失わずに“納品”されることだから。
「宣言が撤回されたところを見ると、彼女の目論見は失敗に終わったんだろう。ひとまず、君の望んだ通りにはなっているね……ああ、僕の望み? それならご心配なく。昢弥君がどれだけ不信感を植え付けたところで」
言葉を止めて、男はゆっくりと、口の端を吊り上げた。
「僕の最高傑作は、それを超えてくる」
「えっ、お前、楢崎さんちに軟禁されてるの!?」
島崎が衝撃的なことを言ってきたのは、多原が漆崎神社に特攻して、生贄になり損ねた話をした後である。
「だだ、大丈夫なのか? どうする? 今から楢崎さんの家に行って土下座する?」
『お前の土下座は一部にしか需要がないからやめろ』
「あるんだ、需要」
慌てふためいて言ったことなのに、一部の需要を認められてしまった。どこにあるんだろう。
「あっそうだ、緋織さんに頼んでみようか?」
あの後、なんやかんやで邪悪は退けられたらしい。緋織さんに新しいお札をもらった多原は、早速シャーペンを取り出すが。
『ていうか、何でレイ先輩に頼まないんだ?』
島崎の言葉で手が止まる。そういえば何でだろう、という疑問は湧かなかった。
『レイ先輩、っていうか、本家の長女、お前にゲロ甘じゃん。お前が頼めば、俺ぐらいすぐに助けてくれるんじゃねえの?』
それはそうだ。ゲロ甘、かはわからないが、この状況を打破してくれるのは、レイ姉ちゃんだと、多原もわかっている。
わかっているが、多原は選択肢から、レイ姉ちゃんを除いていた。
『あ、もしかしてお前ーー』
どうしてここで、島崎との電話の内容を思い出すのか。簡単だ、本人が、目の前にいるから。それと、
「キョウ」
「レイ姉、ちゃん」
二日連続の本家は堪えるが、緋織さんが宣言を撤回してくれたことはよかったと安堵していた時である。廊下で一人きりになった多原の前に、昨日は姿を現さなかったレイ姉ちゃんが、いた。
「どうして、私を頼らないんだ? 頼ってくれれば、お前の力になったのに」
「……それは」
多原が視線を逸らした隙に、レイ姉ちゃんが距離を詰めてくる。多原は慌てて、後ろに下がった。そんな攻防(?)を繰り返している内に、いつかに飛びついた柱に、背中が当たった。
嫌な汗が、こめかみを流れる。そんな多原の前髪をそっとかき分けて、レイ姉ちゃんが至近距離で笑う。
「キョウは、私が信用できないんだろう?」
「……」
図星である。島崎に指摘された通り、多原は、レイ姉ちゃんを信用できないのだ。
本来なら、レイ姉ちゃんに、いの一番に土下座しに行って、島崎の自由を勝ち取るところなのに、それができないのである。
『こっから先は、誰も信用するな』
緋織さんに土下座できたのは、彼女が本家じゃないからだ。でも、レイ姉ちゃんは違う。窮地に陥っている多原の親友と、明確に敵対している本家なのである。それが、多原に土下座を拒ませる。
『俺たちが、親友だからだよ』
耳に蘇る島崎の言葉。
多原は、意を決して頷いた。
「……成程」
そして、びくりと肩を震わせた。レイ姉ちゃんが、笑っていたからだ。怒られると思ったのに。
「キョウが私を疑うのも無理はない。事実、今の私は、島崎昢弥を救える立場にない。私は本家で、今はお前の親友と敵対しているからだーー加えて、楢崎と対立する、鳶崎の縁者になろうとしている」
水を浴びせかけられた気分だった。
島崎のことで頭がいっぱいで、レイ姉ちゃんもまた、望まない立場にあることを、多原は、忘れていたのである。
「今の私は無力だ。頼ってくれれば、と大口を叩いてみたが、何も力になれはしない」
レイ姉ちゃんは、どこか寂しげにそう笑って、多原から離れた。
「自分のことすらどうにもできない人間が、誰かを救うなんてーー」
「……そんなこと、言わないでよ。レイ姉ちゃん」
今度は逆に、多原から、レイ姉ちゃんに近づいて、その手を取った。真剣な顔で、レイ姉ちゃんを見つめた。
「ごめん、ひどいこと考えて。島崎のことはなんとかするし、レイ姉ちゃんのことだって、なんとかしてみせる。覚えていて、レイ姉ちゃん。俺は、いつだって、レイ姉ちゃんの味方だから」
「キョウ……」
ふわりと、抱きしめられた。
「お前は、本当に良い子だな」
多原が大好きな、優しいレイ姉ちゃんだ。
『弱者演技乙!』
罵られた令は、「なんとでも言え」と無表情で言った。そんな令に、画面の中のしをんは、顔を真っ青にして(キャラクターなので文字通り青い)自分の体を抱きしめる。
『いやぁ〜こっわいわぁ〜! 自分が不信感を持たれてるのを感じ取って態度を変えるの、さすがは芝ヶ崎令ってかんじ〜!』
「褒めているのか?」
『勿論! キョウ君が島崎昢弥に味方してるのは、親友だからじゃなくて、弱い立場にいるから。仮にレイにゃんが弱い立場にいたら、キョウ君はレイにゃんに味方した。それを見抜いて、自分も弱い存在だってアピールしたんだよねぇ? 自分も島崎昢弥と、同じくらい可哀想だよって』
「ああ。キョウは素直だから、自分の非を認めて謝ってくれたよ。あの子は、本当に良い子だ」
『この腹黒。キョウ君可哀想!』
泣き真似をするしをん。
『でも、なんか釈然としてない感じだね?』
「それはそうだろう。まさか、親友ごときに負けそうになるとは」
令は、眉を顰めた。
ーー島崎昢弥。
令の大切な大切な幼馴染の心にいつのまにか入り込んで、疑心を植え付けた男。
「キョウには、必要のない存在だ」
冷たく、そう吐き捨てた。
『俺はレイ姉ちゃんになんてことを……』
「いやいや、それで良いと思うぜ? あんなこと言っちゃったけどさ、俺を助けたところで、本家の長女の立場が悪くなるだけだし」
一方。
多原に疑心を植え付けた島崎は、芝ヶ崎令の演技に舌を巻いていた。いや、多原が騙されやすいだけかもしれないけど。
ーーにしても、そうか。芝ヶ崎令には、“結婚させられる”ってカードがあったな。
そのカードがなくなれば、多原は完全に島崎の方に着くのだろうが、そのカードがあったからこそ、多原をこっちに引き込めたわけで。ああ、めんどくせっ!
『でさぁ』
「なんだ?」
『お前、楢崎さんちでひどいことされてない? 本当に大丈夫?』
「あぁ……」
ユーツーブ見ながらポテチを食っている。ひどいことと言えば、英雄志向の男が変な鳴き声をあげてるのを聞かされるくらい。と、答えれば良いのだが、うーむ。
「口に出すのも躊躇われるくらい、ひどいことをされてる」
「してないよ!?」
島崎が答えると、すぱーん! と襖を開けた楢崎が、空気を読まずに突っ込んでくる。
「してないからね!? なにサラッと嘘をついてるの!?」
「骨の一本や二本は折られてる」
「そんなことしたら、君の御父上に同じ目に遭わされるからしないよ!?」
そばでぎゃんぎゃん喚く楢崎に冷たい目を向けながら、島崎はにやりと笑った。同情引こうと思ったけど、うまくいかないもんである。
「てことだ、多原ぁ。俺の方は心配せず、お前は伸び伸びやれ」




