いっぺん、死んでみるもんだ
もちろん、スマホを持ち帰った夜、多原家では大騒動とも言えないが、騒動が起こっていた。
『おかえりキョウ君! あんまりにも帰るの遅いから、教職員組合ぶっ潰そうと思ってたところだよ!!』
不穏なことを言いながら、上がり框からジャンプしてくる父を、多原はひらりと避けようとした。が、空中で体を反転させた父に見事に捕まってしまった。無駄に運動神経が良い。
『キョウ君おかえり』
『ただいまー』
ひょこっと奥から顔を出したお母さんに手を振る。お母さんはニコッと笑って奥へと引っこんだ。特にこの状況については突っ込まずに。
『それで、キョウ君』
多原に抱きついたまま、父はきりっとした表情になった。制服の左ポケットに伸びてくる手を、多原は反射的に抑えた。
『キョウ君、手が大きくなったねぇ。じゃなくて、それを渡して。どうせどこかの何崎君に連絡用に渡されたんだろうけど、それは人を不幸にするスマホなんだ』
『すごい、島崎が言ったことそっくりそのままだ……』
どこで知ったかはあずかり知らないが、島崎は多原の父のモンペぶりを完璧に理解していた。で、多分こう言うだろうということも、多原に言っていたのである。
『ちっ。キョウ君に余計なこと吹き込みやがって、あのガ……ちっ、違うんだキョウ君、キョウ君のお友達を悪く言うつもりはなくてだね?』
多原がめいっぱいの冷めた視線を送ると、途端に父があわあわと慌て始める。
『くっ、どうしたらいいんだ私は! 島崎の家はアレだけどキョウ君のお友達だし……!』
『母さん今日のご飯なにー?』
『餃子よー』
両手で頭を抱えた父から解放された多原は、「やったー」と言いながら、普通に靴を脱いで、玄関を上がって、スタスタと洗面所まで歩いて行った。
「ていう感じ。お前の言う通りにしたら、スマホは没収されなかったよ」
夜である。風呂に入って髪をゴシゴシしながら、多原は例のスマホで、島崎と会話していた。
『予想通りだけどすごいなあの人は……』
島崎の呆れやら感嘆やらが混じった声が聞こえてくる。が、多原としては、夕方ブレーキ痕にきゃっきゃしていた島崎くんと、今の超絶冷静島崎が、どうやっても重なり合わない方がすごいと思った。
もしかしたら、図書館でエロい単語探してニヤニヤしていた島崎君も仮の姿なのかもしれない。島崎は三人いるが、多原としてはエロ本島崎君が本当だと良いなあと思った。
『まーいいや、事態は昼間のうちに動いた。おおむね、俺の予想通りに進んでるから安心しろ』
そうして、島崎は昼間のうちに起こったことを話してくれた。
芝ヶ崎家当主に、鳶崎さんがレイ姉ちゃんとの結婚を認めさせたこと。その際の条件は、医療分野が得意な芝ヶ崎ナンバースリー楢崎さんちを叩きのめすこと。
それに対して、島崎と葉山さんちが打った策は、楢崎さんちの会社……楢崎マネジの株を買って支援すること。島崎が言うには、林檎さんはどっちの会社にも生き残って欲しいらしい。だから、弱い方を応援してるんだとか。
『両者潰し合いをしたところで、医療の発展が遅れるだけだからな。どっちも潰れないように配慮してるんだよ、あの人は』
「すごいなぁ、林檎さんは」
多原は感心するしかなかった。同年代なのに、なんか別の世界にいる感じがする。そんな多原の反応に、島崎は謎の苦笑。
『で、偶然。偶然、俺たちと葉山のお嬢様の目的は合致したってわけ』
「ふぅん。でもさ、なんで鳶崎さんは楢崎さんを潰そうとして、当主様もオッケー出してるわけ?」
『そりゃお前、俺と楢崎のボンボンが結託して、芝ヶ崎を潰そうとしてるからだよ』
「!?!?!?」
あまりにもすんなり出てきた言葉に、多原はびっくりして声が出せなかった。
『ていう噂を流した。鳶崎の馬鹿がこれに飛びついて、本家のお嬢様との結婚の条件にすることを見越して』
島崎の声は、とっても楽しそうだった。
『あの馬鹿がナギサメディカルを買った時から、この策は考えてた』
「それって偶然じゃないんじゃね? あとお前、ナチュラルに鳶崎さんのこと馬鹿って言ってない?」
島崎君のスレ具合が気になる多原である。
『……けふん。トビサキサンがナギサメディカルを買って、持て余すのは目に見えていたからな。だからそれに、葉山パワーを乗せた楢崎マネジをぶつけてやれば、トビサキサンが買収したナギサメディカルは倒せるってわけ』
「そっか。じゃあ、もともと楢崎マネジがナギサメディカルより勝ってたわけだから、えーと、元通りってことになるのか!」
『そうそうそのとーり』
妙に棒読みな島崎が気になるが。これならレイ姉ちゃんも望まない結婚をしなくて済むし、ナギサメディカルも楢崎マネジも潰れなくて済む。なんて完璧な計画!
「あれ? 俺いる?」
ふと、我に返る多原である。島崎と一緒に芝ヶ崎リフォーム作戦するのは良いが、これって多原いらなくない?
「なんなら足手まといじゃない?」
『いいや? お前には、重要な役をやってもらう』
電話の向こうの島崎は、とっても楽しそうだったが、多原は嫌な予感しかしなかった。
「島崎昢弥。うん、名前は覚えた」
送られてきたデータを見ながら、暗がりの中、男は一つ頷いた。ちなみになぜ暗がりかといえば、作戦会議する秘密基地っぽい雰囲気にしたいからである。まさしくあの子が好きそうな。
「貴陽君の親友というのは本当みたいだね。そうかあ、僕の手を利用されたのかぁ、面白い!」
彼は勢いよく顔を上げ、額に手を当てて呵々と笑った。
「僕が蔵に引きこもっている間に、若手の有望株も育ってきているというわけだ。成程なぁ、いっぺん死んでみるもんだ! ……けど、令の邪魔をされたら堪らないな」
額に当てた手のひら。その指の隙間から、真っ黒い瞳を覗かせて、彼は携帯を手に取った。ディスプレイに表示された番号の主は。
「あ、もしもし? 君も巳嗣くんと一緒の反応をするんだねーー僕の提案に乗らないかい?ーーああ、また間違えた。同じことをするなんて、僕は本当にダメな大人だなぁーーただしくは、死にたくなければ、僕の言うことに従えーーそうそう、それで良いんだよ。じゃあ期待してるよ、
楢崎君」
……芝ヶ崎格が生きている。
それを、目の前の愛しい人は、知っているのだろうか。
風が吹いて、令の黒髪をさらっていく。滑らかな指が、髪を耳にかけるのを見守って、巳嗣は声を出した。
「令さん」
「何でしょうか?」
お淑やかに微笑む令からは、あの電話の主との血のつながりなんて、これっぽっちも感じられなかった。笑いながら人を殺そうとしてくる、狂った男の血なんて。
巳嗣は、拳を握りしめて、ほどいた。
降って湧いてきた機会。すべてを嘲弄する男が用意してくれた舞台。今になってわかる。巳嗣は、操り人形でしかない。
「巳嗣様」
だが、舞台を降りることは許されていない。巳嗣には、御霊という監視が……いや、芝ヶ崎式という監視がついている。
ーーいま思えば。私と令さんが婚約したのも、彼らの手の内だったのかもしれないな。
巳嗣は、自嘲の笑みを浮かべた。
「何でもありません……いえ」
誤魔化そうとして、巳嗣は、ただ一つ、令が秘密にしていることに思い当たった。
それを一つの、よすがにしようとした。真っ黒に塗りつぶされてしまった、希望のよすがに。
「私が貴方と夫婦になった時には。どうか、教えてくださいませんか。初めて会った時にあなたが言った、言葉の意味を」
令は、瞬きをして、
「っ……」
女遊びに慣れている巳嗣が、呼吸するのを忘れるくらいの、蠱惑的な笑みを浮かべた。
まさしく、あの日のような笑みだった。
「ええ、いつかお教えいたします。貴方と私が、どのような点で似ているのかを」




