ひとひとりをいなくならせる方法
人一人がいなくなるのには、兆候が必要だ。たとえば、周囲とうまくいっていないだとか、犯罪に、巻き込まれただとか。
「それでですね、この前買収した会社が……」
屋敷の庭で、私の少し前を歩きながら、婚約者殿が自慢げに言う。さも自分が買収したかのように言っているが、実際にしたのは彼の部下だ。
私が気乗りしない返事をすることに気付いているのだろう。婚約者は、話題を変えた。
「それにしても、あのような庶民と血がつながっているのは、耐え難いことでしょう。あのような、何も考えていなさそうな庶民と?」
この男も私と同じ一族なのだから、同じ血を引いているはずなのだが、それは頭のどこかに追いやられてしまったらしい。何も考えていないのはどっちだと笑いたくなってしまうのを堪えて、私はできるだけ淑やかに見えるように笑った。
この婚約者殿は、一族の悪い部分だけを集めた煮凝りである。
自信家の癖に、自分より下の人間を見つけないと気が済まない。もちろんそれは私にも言える。私があの子を好きなのは、自分より下に見ているということも言えるだろう。そして、目の前で得意げに喋る、婚約者という生き物のことも。
命の価値は平等ではないが、“人一人をいなくならせる”方法は同じ。いわばこれは、予行演習だ。
婚約者との義務的な付き合いに疲れて帰った後、私は、日課のメールを打った。阿呆のような文面だが、それでも引っかかる人間はいる。残念ながら、キョウは引っ掛からなかったようだが。
「だけど、キョウは純粋だ」
自室で携帯電話を触りながら、私はつぶやいた。馬鹿だが純粋で、お人好しだ。
『もしかして、他の人と間違って送ってます? あとその文面、紛らわしいからやめた方がいいですよ』
間違ってないよ、キョウ。
人一人がいなくなるのには、兆候が必要だ。
普通の高校生であるところの彼の兆候は、迷惑メールにうっかり返信してしまい、犯罪に巻き込まれた可能性。
そして、婚約者殿の兆候は……
「ん」
携帯電話が、たった今、メールの着信を知らせてきた。送られてきたメールは、URLのみ。迷わずアクセスする。私は芝ヶ崎だ。
『はぁ〜い! 毒舌系ユーツーバー木通しをんだよ〜! あっそっ閉じしようとしても無駄だからね〜。なにせ私、天才ハッカーでもあるので!』
「クラッカーの間違いじゃないのか」
画面の中でくるくると動く、やたらと声の高い桃色の髪のキャラクターは、常に半眼ぎみになりながら、憎らしいことを言ってくる。
「自分の容姿と声に自信がないのか? そのような仮の姿で現れるとは」
『はぁ〜? 学校でぇ、その変態性隠してクール系お姉様気取ってる貴方に言われたくないんですけどぉ〜?』
会話が通じている。キャラクターの姿をしているが、リアルタイムでの通話のようだ。
『ていうか、狭っ。ガラケーやめたら?』
「メールを打つのにこれが一番適しているからな」
『だっさいだっさいメールね。でも、リサーチが足りないね、芝ヶ崎家のお嬢さん?』
「お前は誰だ?」
学校での私を知っている。メールの送り主が私だと知っている。同じ学校に通う者?
すると、木通しをんとやらは、少しだけ考えるモーションをとったあと、
『貴方たちの、恋のライバル』
強気な表情で、そう言い切った。
「リサーチが足りないとは、どういうことだ?」
『敵になんでも訊くところは、本当に秀才なのかなって思っちゃうけど所詮は秀才止まりかぁ。でもいいよ、そういうとこ、キョウ君に似てるから教えてあげる。貴方がいくらキョウ君の失踪計画を立てても、あの女が近くにいる以上、それは敵わないよ』
「あの女?」
『白川 芳華』
告げられた名前に、私の心臓は冷えた。それは、キョウのクラスにいる、白川財閥の令嬢の名前。
『あの子がどうしてあの学校を選んだのか、考えたことある? どうしてキョウくんとおんなじクラスなのか、考えたことは?』
「裏から手を回した?」
私が答えると、木通しをんは、「ピンポーン」とやる気のない声を出し、赤い丸の書かれたプラカードを掲げた。
『せーかい。私がいくらシステムに潜っても改ざん出来なかったクラスの割り振り。アレを操ってるのは、白川のお嬢さん以外に有り得ない。だから、手を組もうよぉ、芝ヶ崎 令。あ、もちろん私は同担拒否なんで、一時的ね。一時的に、“白川おろし”の同志になろうよ』
私は少し考えた。姿も現さない者のことを信じて良いのかと。
木通しをんが私のことを知っているのなら、あのことも知っているのだろうか。
「では、一つ条件を加えよう。“葉山おろし”も加えると」
『葉山ぁ?』
「葉山 林檎。先日、キョウを訪ねてきた不届き者の名前だ」
『ちょっとまって』
目に見えて動揺し始めた木通しをん。なまじ技術が高いせいで、本人の動揺が隠しきれていない。
『なに、キョウ君、葉山家の女まで引っ掛けてるの?』
このやりとりで分かったことは二つ。
一つ、木通しをんは、うちの生徒だが葉山林檎のことを把握していなかった。
二つ、私のことを知っていると同時に、葉山林檎のことも知っている。
木通しをんは、私たちのような人種で、私たちのようなリソースを持っている。
そして、私がキョウにしようとしていることを知っている。
いなくなる人間が、三人に増えるだけだ。
それは向こうも同じ考えだろうが、問題ない。私たちのような人種は、一足先に大人にならなければならないのだから。
「へぇー、返信しちゃったんだ、俺は光栄だよ多原。まさか俺の知り合いから東京湾に沈められる奴が出るとはな」
「勝手に殺すな。うっ、お腹痛くなってきた」
「返信すると、生きてるメアドだと思われて迷惑メールがどんどん届くらしいぞ」
放課後である。多原はたった今、うっかり迷惑メールに返信しちゃったことを島崎に言って、ドン引きされていた。
「じゃ、俺部活行くから」
くるっと方向を変えて、教室を出て行こうとする島崎の襟を掴む。
「嘘つけお前帰宅部だろうが! 知ってんだぞ、図書館の広辞苑でエロい言葉探してキモい笑み浮かべてんの!」
「なんでそれ言うかなぁ!?」
なんて、多原と島崎がギャーギャー言ってる時だった。
「多原君、迷惑メールに困ってるの?」
「あ、え、あ!?」
多原、もともとない語彙を失う。ふわりと優しい香りがして、隣に立っているのは、誰あろう、白川さんである。雲の上の人である。
「ちょっとスマホ貸してみて?」
天女の声にそう言われてしまえば、素直に貸してしまうしかない。白川さんは、細い指先で何かを打っていた(わりとフリック入力が速い)が、「あ」と小さく声を出した。
「ごめん、たぶんこれで良いと思うんだけど、送った内容、間違って消しちゃった」
「あ、ああ、良いっすよ。あはは、あはは!」
渡されたスマホを宝物のように扱って、多原はカバンに入れた。それを悔しそうに眺めていた島崎が、そそっ、と白川さんに近づく。この野郎。
「なんて返信したんですか?」
「べつに、大したことは返信してないよ。でも、私の知り合いが、迷惑メールにはこうして返信すると良いって言うから」
白川さんは、おっとりと言った。
『私の多原君に手を出したら、貴方達のご実家を潰します。だって。きゃはははは! こっわ!』
たった今、届いたメールの文面。画面の中で木通しをんは笑い転げ、私は渋面を作った。
『でもこれで決まったね、芝ヶ崎家のお嬢さん。いいよ、白川だろうが葉山だろうが、蹴散らしてハッピーエンディングキメてやろうよ』
「ああ、よろしく頼む、木通しをん」
『声から殺意が隠しきれてないよレイにゃん? あ、私は貴方のことをレイにゃんって呼ぶから、私のことはしをんって呼んでね。あはは、友達みたい胸糞悪ーい』
「まったくだ」
これも、あと少し。もう少しだ。
芝ヶ崎の私が、なんの変哲もない一般人であるキョウと幸せになるための、
ほんの少しの、犠牲にすぎない。