“最高傑作”
箱庭だけが、二人きりを許してくれると。
そう、信じていたのだ。
「お前、どうしてここにいる」
「へ?」
漆崎神社の巫女さんがラスボスみたいなことを言ってた次の日。多原はまたしても、鳶崎さんに嬉しくない壁ドンをされていた。
多原としては、「どうしてここにいる」はこっちのセリフで、どうして他校の鳶崎さんが、この高校に来ているのか、大いに疑問だった。あと、鳶崎さんが凄い勢いで手をついたのは校門の石壁で、痛くないのかなとも思うのであった。捻挫とかしそう。
多原は、周囲の視線にいたたまれなくなりながら、途切れ途切れに答えた。
「こ、ここ、の……生徒、だから、です?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
じゃあどういうことを言ってるんですか! と怒鳴り返せたら良いのだが、小市民多原、そんなことはできない。
「あはは、そうっすよね〜、そういうことじゃないですよね〜」
と、頭の後ろに手をやって、「俺わかってますよ」アピール。それが鳶崎さんの怒りに油を注ぎ、あわや多原の顔の前に、拳が突き出されそうになった、その瞬間。
「先生、こっちです!」
「ちっ」
聞いたことのある声と、鳶崎さんの舌打ちで、多原は解放された。
去りゆく背中が見えなくなった頃。
多原は、へなへなと地面に座り込んだ。
「だいじょーぶか?」
降ってきた声に顔を上げると、そこには、「先生、こっちです!」の声の主、島崎がいた。ちなみに先生はまだ来ていない。これは、島崎のファインプレーだ。
「ありがとう、島崎。助かった」
「いいってことよ。何か、怖そうな人だったな。なにお前、あの人になんかしたの?」
「するわけないだろ。あんな怖い人に」
多原は立ち上がった。どうして鳶崎さんが、あんなに怒り狂っていたのか、多原にはわからない。
「どうしてここにいる」という発言からして、多原は学校に来れなかったはずというニュアンスを感じ取れたが、なんか知らんうちに、多原は危機に陥っていたのだろうか。
「何がどうなってんだか」
「わからない、何故あの男が、普通に登校している?」
車の中。巳嗣は、下を向いてぶつぶつと独り言を言っていた。
「どうしてどうしてどうして……どうして、上手く行かないんだ」
はじめは、あの使用人……葉村の言葉から。いつまで経っても吉報が耳に入ってこないことに業を煮やして、巳嗣は、葉村に連絡をとった。すると、葉村には、『私には、多原様を案内した記憶はございません』と言われてしまった。
いいや、たしかに芝ヶ崎と約定を交わさせたはずだ。そうだ、本家に行って真相を確かめようと行った先では。
『そんな約定は知らない』と、芝ヶ崎家当主に一蹴されてしまった。はじめから、話は通っていなかったのだ。
だが、それを差し引いても、今回の顛末には、疑問が多い。
「草壁夕雁を解放したのが、偶然屋敷に入った泥棒だと? そんなもの、到底信じられるはずないだろう」
なんだ、その苦しい言い訳は。裏口の監視カメラも見せてもらったが、問題は、天下の芝ヶ崎が泥棒に入られて、それを二日間、野放しにしていることだ。
ーーあの葉村という使用人も、あの連絡を最後に消息を絶った。
すべては、白昼夢のように。巳嗣だけが、世界に取り残されていた。
さて。
その消息を絶った葉村はというと。
「……」
「どうした? 食べないのか?」
場所はみどり町から少し離れた洋食屋。眼下にて、どこに行くのかもわからない車がひしめく中、葉村は多原の父親と向き合っていた。
彼は、フォークでカルボナーラの黄身を崩して、葉村を見据えた。
それは、葉村がこれから辿る運命である。
葉村は、粛々と、ティラミスを口に運んだ。
「いやあ、してやられたよ。まさか、アイツが生きていたとはねえ。ほんっとうに、してやられたよ」
ぐちゃぐちゃに混ぜられる麺と卵黄。穏やかな彼には珍しく、苛立ったようなフォーク捌き。
「自殺するようなタマじゃないと思っていたがね、自分の存在を消して、芝ヶ崎を掌中に納めていたとは……私の提案にあっさり従ったのは、私が屋敷に踏み込んで、あの蔵に近づかない為、だったんだろう」
「はい。ですが、貴方はそれを逆手に取り、私が多原様に足止めされている間に、格様の蔵にお近づきになった。おあいこだと思いますが」
「私が“裏道”を知っている可能性には思い至っていたくせに……わざと見逃したんだろう。君は御霊ではなく、格の犬ということだな」
「勿論。芝ヶ崎の頂点は、格様ですから」
葉村は微笑んだ。それを見て、多原の父親は、苦々しい表情を浮かべる。
「これだから、アイツの信者は嫌なんだ。使われていることに気付いていながら、喜んで歯車になろうとする。結果的に君は、芝ヶ崎から姿を消さざるを得なくなったというのに」
「格様のお役に立てたなら」
「光栄ですとでも?」
「ええ」
「救えない」
カルボナーラを食べ切ってから、多原の父親は、冷え冷えとした目を葉村に向けた。
「アイツに言っておけ。子供たちは、私たちの分身じゃない。くだらないことに、キョウ君たちを巻き込むな、とね。そんな蔵に引きこもってないで、直接私を叩きにくれば良い」
「貴陽様が生まれる前なら、そうしていたでしょうね。格様からの伝言です。“お前の大切な息子奪ってやるからな、ばーか”」
箱庭だけが、二人きりを許してくれると。
そう信じていた。
……私の大半を形成するものを捨てなければ、手に入らないと思っていた。
芝ヶ崎の世界からキョウと私だけを切り取って、二人で幸せに暮らしたいと思っていた。
それなのに、それを知ってしまったあのとき。生徒会室で二人になった時。私は、「違うな」と思ってしまったのだ。違う、私が求めているのは、これじゃない。
鍵をかけた二人きりの世界。透明な存在になった二人だけの箱庭。箱庭でなければ、キョウを手に入れることはできないと、そう思っていたのに。
その道もあるのかと思った。
芝ヶ崎を捨てずに、キョウを思いのままにする方法があるのだと、知ってしまった。くだらない因襲、くだらない権力こそが、私の味方になるのだと。
芝ヶ崎から離れることを考えていた私は、私よりかしこい父に、教えられた。どうすれば、芝ヶ崎を利用できるのかを。「こうやってやるんだよ」と、教えられてしまったのだ。
私も死体になれば良い。私が透明な存在になったら、芝ヶ崎という、箱庭よりも強固な檻の中で、キョウは思いのままだ。すぐ外が地獄の箱庭よりも、最初から逃げられないとわかっている檻の方が、ずっと優しい。ずっと、キョウのことを守ってあげられる。ずっと、他ならない私が!
「ふふ、ふふ……こんなにも、簡単なことだったのか」
嫌いで嫌いで仕方なかった自分の血に、私は初めて感謝した。なんとも思っていなかった父親に、私は初めて感謝した。ああ、ほんとうに。
「私は、芝ヶ崎で良かった……!」
何回かの呼び出し音の後。
上機嫌な彼の言葉に、葉村もまた、口元に笑みを浮かべて答えた。
「ええ、貴方の読み通り。令様は、怪物に育っておられます。ええ、ええ。将来が楽しみですね。流石は、貴方の“最高傑作”です……」




