そして、引き金は
『おっはよ〜レイにゃ〜ん! 良いニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?』
朝からこのテンションは疲れるな、と令は一瞬遠い目になったが、今回の作戦の功労者は、間違いなく彼女である。『きゃぴっ』と手でピースを作って目元に持っていくポーズをするしをんに、令は「良い方だ」と言った。
別に令がそれを聞きたかったのではなく、しをんが褒めて褒めてと目を輝かせていたからだ。
案の定、しをんはとても嬉しそうに画面の中でぴょんぴょん跳ねた後(しをんの動きは実にバラエティがある。パターン化されているというより、現実の動きに即しているようだ)、『まずはこちらをご覧ください』と一礼。
狭い画面に映ったのは、裏口へと通じる道である。黒いパーカーを着てジーンズを履き、帽子を目深に被った男が、カメラに背を向けるようにして、扉の中に入っていく。その動きは実に自然。存在しない人間とは、とても思えない。
時刻は午後の三時ごろ。ちょうど、多原たちが例の使用人に、裏口へと案内された頃だ。
『この前わかったけど、芝ヶ崎ってデジタルに弱いからね〜。監視カメラの映像が全てって思っちゃうんじゃない?』
『ああ、“伝統を大事にする”家だからな』
他人事のように言って、令は、“作られた犯人”の出来栄えに感心する。木通しをんの技術は本物だ。監視カメラの映像を、書き換えてしまうなんて。
今、芝ヶ崎の屋敷では、監視カメラの再生が行われ、この男を屋敷に侵入した犯人と断定し、警察に圧力をかけて調査をしている。絶対に捕まるはずのない犯人を、追いかけているのである。
『謎の男は三十代後半で、芝ヶ崎のお屋敷には偶然入れたっていう設定。そこで金目のものを探してたら、なんとびっくり、女の子が閉じ込められていたのでした〜!』
「その少女から芝ヶ崎がいかに恐ろしいか教えられた男は、すぐに少女と共に裏口を通って人混みの中へと消える。別の監視カメラを追っても、男に似た存在は見つけられるが、男自体は見つけられない」
『とーぜんだよねぇ〜、その人って、架空の人だから! 街中歩いてる人から要素をランダムに抽出してキャラクリしたんだもん』
「きゃらくり……?」
『キャラクタークリエイト。ゲームとかでよくやるよね。髪の毛の色とか、目の大きさ、肌の色、体型服装……自由自在に変えられるんだよ』
しをんは、自分の髪の毛を摘んでみせた。鮮やかなピンク。到底現実世界にいなさそうな彼女もまた、クリエイトされた存在である。
現実の、誰かによって。
『とまあ、犯人でっち上げ作戦は、私たちの勝利に終わったわけだね。とーぜん、この天才ハッカー木通しをんちゃんの腕の前には、どんな人間も膝をつくっていうものです』
腕を組み、得意げに話すしをん。令は頷いた。
「事後処理も、草壁殿が上手くやってくれたからな。うちも、草壁とは対立したくないらしい」
それにしては、ずいぶんあっさり返したものだが。
『まあ、草壁さんちって、あくまでも裏の世界では良心的だからね。あのうちを敵に回したら、対抗勢力として、良心的じゃない人たちと手を組まなきゃいけないし……戦争したくないけど戦争しなきゃいけない感じだったから、“犯人”は、時の氏神だったんじゃない?』
「そうだな……それで、悪いニュースというのは?」
『それがさぁ〜……』
途端に歯切れが悪くなったしをんは、気まずい雰囲気を出している。
「?」
令の携帯に送られてきたのは、画質の荒い画像だった。これは、改ざんされる前の画像だ。
『あの監視カメラ、最新式じゃなくてさ、だからフェイクを作りやすかったんだけど。最大限画質良くするね』
いくぶんか見やすくなった画像を見て、令は、眉を顰めた。
「……あの女」
『流石は、草壁さんちの一族だよねぇ。ただでは転ばないっていうかぁ』
画像の中では、多原に絡んでいる草壁夕雁。それも許し難いが、彼女が後ろ手に隠し持っているのは、あるいは、スカートと上着の間に挟んでいるものは、和綴じの本である。
『全部は読めないけど、芝……家……って書いてあるんだよねぇ。心当たりある?』
「芝ヶ崎家之家系図、だ」
そこには、令と、令の兄の名前も書かれているが。
問題は。
「あの蔵には、家系図はないはずだ」
当たり障りのない書籍がしまわれていたからこそ、草壁夕雁は、あそこに入れられたはずなのだ。とすると、家系図はどこから来たのか。簡単だ。
令は、途中で会った、あの温厚そうな父親を思い出していた。
「だから、草壁夕雁に接触したのか、あの男……!」
いつもは漫画本を読むところを、夕雁は、和綴じの本を開いていた。
「んー」
「どうしたんですかぃ、お嬢」
夕雁のだらしない格好を注意することなく、忠実な犬であるところの花巻は、そばに寄ってくる。夕雁は、くすりと笑った。
「やっぱり、きよう君にお花を贈ったの、正解だったなーって思って」
「プリザーブドフラワー、ですかぃ?」
「そうそう。ていうか、花巻。私、きよう君にプリザーブドフラワーハンターっていう称号つけられてたんだけど。なんか、知らない?」
「えっ、あっ、ししし、知らないっス!」
横目で見た花巻は、わかりやすい表情をしていた。本来なら指の一本や二本は行くところだが、夕雁は「まあ、いっか」と、本に目を移した。
「ダサいけど、私にピッタリだからね。プリザーブドフラワーハンター」
「ピッタリ、なんですかぃ?」
「そう。芝ヶ崎のきったないプリザーブドフラワーを、いつか摘み取りに行くんだぁ」
夕雁は、わくわくしながら、墨の滲んだ、その文字をなぞった。令と、その兄の名前の上に書かれている文字を。
「無様に生きながらえてる花。人間を楽しませるっていうより……人間を楽しんでるのかな?」
ぱたんと本を閉じて、夕雁は畳の上で伸びをした。やっぱり床板より畳の方が快適だ。花巻が首を傾げるので、夕雁は「要するに」と説明してやる。
「きよう君のことをペットにするには、前途多難ってことだね。なんにせよ、引き金は私の中にある」
そうして夕雁は、親指と人差し指で銃をつくり。天井に向かって、それを放した。
「ばーんっ」




