百聞は一見にしかず
縊死をした者の顔は、凄惨であるという理由で、棺の中においても布が被せられていた。
エンバーミングの手法をもってしても、“彼”の修復はできなかったらしい。
鯨幕の垂れ下がる会場で、草壁は芝ヶ崎の関係者として、白い花を棺に入れた。
『ゆっくりおやすみくだせえ』
呟いた言葉には、果たして感情が載っていたかどうか、わからない。
棺の蓋が閉められ、霊柩車に乗せられる。
よく晴れた日だった。長く、長く鳴らされるクラクションの音が、青空に吸い込まれていっても、草壁は感慨に浸ることができなかった。
これから“彼”は、火葬場に行き、葬られる。芝ヶ崎の身内たちに見守られて、若くして亡くなった、悲劇の天才として。
それはきっと、まったくもって……くだらないことなのだ。
芝ヶ崎家は古いお屋敷で、そのルーツは、室町らへんに遡るらしい。
当時、室町時代にはカラクリだの忍者屋敷だのがお金持ちのブームで、「うちもつけるぜヒャッハー!」した結果、この裏口が生まれたのだと、使用人の人は話してくれた(もちろんそんな口調ではない。多原がフレンドリーに変換した結果である)。
芝ヶ崎の土地じゃない、人通りの多い通りから、少し入ったその場所で。
使用人の人は、朽ちかけた木の扉をぎいと開けた。
「おお……!」
「こりゃ、なかなか……」
多原と花巻さんは、ちょっと圧倒された。
木の扉の向こうには、開ける前からわかってはいたが、植物が生い茂っていた。今は秋だからそんなに勢いはないが、夏だったらちっちゃなジャングルになりそうだ。
枯れた植物を容赦なく踏みつけてさくさく進む使用人の人の跡を、多原たちはついていった。芝ヶ崎のお屋敷にある植物と比べて、あんまり手入れされてないのは、ここが“人の通るところ”と認識させないためか。
廃墟マニアとか好きそうたな、と思っていると、まさしく廃墟が、目の前に見えてきた。ぼろっぼろのやつである。空き家に関する法律に、思いっきり抵触しそうな感じの。
ーーここじゃ、古民家カフェとか無理そうだな。
なんて、多原が考えていると、見た目の割にはたてつけの良いドアを開けて、使用人の人が「こちらへ」と言った。
多原と花巻さんは顔を見合わせて、頷き合う。
「大丈夫です。いざとなったらこの男、東京湾に沈めてやりまさァ」
「頼もしいです!」
「聞こえてますよ」
呆れたように言った使用人さんは、多原たちのためにドアを開けていたが、自分でさっさと中に入っていってしまった。いわゆる毒味みたいな感じだな、と多原は思った。
そうして、廃墟の床からぱかっと現れたのが、“裏口”である。
「ここを、進んでいきます」
“裏口”の中は、真っ暗……というわけでもなく、壁には電球がついていた。電気代が勿体無い。
ハシゴから地面に降り立った多原は、使用人さんに訊いてみる。
「人感センサーとかに変えられないんですか?」
「いざという時に、本家の方々を逃がすことができるように申し付けられています。切れた電球を見逃すことがないよう、全てを常に点けています」
「はぇえ」
それって、やっぱり電球の寿命を縮めてるんじゃ。と、多原は思ったが、お金持ち的には、電球が切れてるのを見逃す方が大問題らしい。
話すネタも尽きたので、三人は黙々と進んでいく。
多原はスマホを見た。だいたい十分くらい歩いている。使用人さんが振り返る。
「地上に出ますよ」
“裏口”を使ったとして、多原が令より早く屋敷に辿り着くことはない。
だが、最悪のケースになったことは確かだ。どうして一使用人が、多原たちに“裏口”を教えてしまう? 否、それは、使用人が自分の命を握られていることを、理解しているからに他ならない。彼はわかっているのだ……あの女、御霊に逆らえば、自分の首など容易に撥ねられてしまうと。
ーー必要なのはなんだ。
芝ヶ崎の門を叩いて屋敷に入る。
草壁に根回しはした。じきに、令の後に草壁がやってきて、時間稼ぎをして当主らを縫いとめてくれる。その間に令は草壁の孫娘が囚われている蔵に行き、孫娘を助け出す。
だが、それだけでは足りない。
使用人は必ず、多原たちをあの“蔵”に連れて行くはずだ。孫娘がそこに囚われている、とか何とか言って。
多原に、アレを、見せるつもりだ。
「そんなこと、絶対に許さない」
怨嗟を込めた呟きは、地面に落ちて。
「そう、そんなこと絶対に許さない。親世代の確執というのはね、子の世代に持ち越すものではないんだ」
その呟きを拾ったのは、誰あろう、多原の父である。大の大人である彼は、かくれんぼをしている子供のように、茂みから現れた。
どうしてここに? と思うが、それは無駄だろう。
「大丈夫。彼はちゃんと抱き込んでおいたから、草壁の子のところに案内してくれるはずだよ」
「……貴方でしたら、草壁の孫娘を助けられるのでは?」
「それは、キョウ君の仕事だし……私は千人を切り捨てることはできないからね」
「たった一人の息子を犠牲にしても?」
令は、苛立ちを抑えられない。この男が本気を出せば、全てが解決するのに。
それをしないのは。
「叔母に同情しているのですか? あの女は、いつかキョウに、死体を見せる。死んでも死に切れなかった父の死体を」
「そうかもしれないね」
「父は、死ねと言われても死ねなかった。自殺もできなかった臆病者です。そんな者の死体を見て、キョウが何も感じないとでも!?」
「しーっ」
静かにするように言われて、令は口を閉じた。
ぎゅうと拳を握る。
……あの“蔵”にあるのは、正真正銘、令の父の死体だ。
令が一歳になる頃に、多原の父に敗れて自殺した……というのは嘘。芝ヶ崎の名誉を傷つけた彼は、その罰として蔵に入れられた。あれは、座敷牢だ。
気をおかしくしたというのは嘘。令が六歳になるまで、令は父と蔵越しに話していたのだから。
返事がなくなった次の日、祖父は言った。
『奴は死んだ』と。
父の死は、あまりにも呆気なかった。蔵に閉じ込められて、餓死するまで、あるいは憤死するまで。自分から死を選ぶまで、令の父はあの“蔵”に入れられたのだ。
叔母は、今は御霊と名乗っている女は、嘆いて、嘆いた。こちらが可哀想になるくらいに。
そうして、彼女は思いついた。思いついてしまった。自分の兄を死に追いやった男への、最高の復讐方法を。
それが、多原を芝ヶ崎に行かせること。自分の息子を愛している男にとって、自分の身を八つ裂きにされるよりも、効果的なことだ。
そしていずれ、多原に自分の兄の死体を見せて、彼女の復讐は完遂する。ただ聞き及ぶことと、実際に見ること。百聞は一見にしかず、だ。
そんな馬鹿なことを、本家に了承させるだけの力を、御霊は持っている。
なぜなら……
令は、多原の父を睨め付けた。
「私は、叔母上と千人を切り捨てますよ。鳶崎の保護も打ち切らせる。芝ヶ崎が、どうなったって良い。私がどうなったって」
千人の命を握っているのは、御霊であり……祖父が当主に就任して以来、傾きつつあった芝ヶ崎を立て直したのは、誰あろう、彼女だからである。
だから、本家は御霊に逆らえない。逆らえば、本家は転落し、千人もの人間は、芝ヶ崎の恩恵を失うことになる。
令の剣幕に押されもせずに、多原の父は、ただ、肩をすくめただけだった。
「君のやろうとしていることは正しいよ」
きっとね。




