待ち伏せと怪物
なんて、少女が微笑んだそのとき。
ーーばさっ!
閉じ込められている蔵の奥で、何かが落ちる音がした。たぶん、本だ。この蔵には、書物がたくさん置いてあって、小さな図書館みたいになってるから。
暗順応してきた目を凝らして、棚と棚の暗闇、それから、棚の裏の暗闇を点検する。棚の裏には、先程の音の原因と思わしき本が落ちていた。少女はそれを拾い……ふう、と息を吐く。まさか、そんなわけあるまい。これは、ひとりでに落ちた本だ。
「うん、そうに違いないよね! もしくは、鼠とか!」
芝ヶ崎の蔵に限って、そんな生き物の侵入を許しているはずはないのだが、少女は現実逃避をした。でなければ、足の震えが止まらないからだ。
……そう。
『俺は幽霊とか信じちゃうタイプだから無理』
多原の言った言葉は、実は少女にも共感できることだった。少女は、たいていのものには恐怖を感じないが、幽霊は無理だった。それも、自分の所業とはまったく関係のない幽霊が、マジで全然ダメだった。
「ほぅら、鼠さん、出ておいで〜」
「残念、鼠じゃないよ」
「ひに゛ゃあっ!?」
唐突に声が返ってきて、少女は飛び上がった。軽く五十センチは浮いた。
「ああ、驚かせて済まないね。でも、こうやってワンクッション置いた方が、心臓が止まることはないと思ってね」
いつのまにか、少女の背後にいた男は、朗らかな声でそう言った。ていうか、草壁の自分の背後を取るなんて。男の方を見ずに、少女は問うた。問いながらも、答えはわかっていたからだ。
「貴方、誰です?」
「誰だと思う?」
こんな蔵に侵入できる人物なんて、一人しかいない。少女は、かすかにため息を吐いた。ため息吐くのなんて、久しぶりだ。
ーーあーあ、せっかく避けてきたのに。
少女は振り向いた。温厚そうな笑顔なのに、冷たさを感じる容姿。似てるとこなんて、何一つない。
「はじめまして、きよう君のお父さん。突然だけど、息子さんを私にください」
「はじめまして。もちろん、お断りだ」
「どうしてですか?」
多原は困惑した。
「どうして、中に入れないんですか?」
「入れるなと言われているからです」
多原がしりとりを仕掛けようとしていた使用人さんは、頑として聞かなかった。芝ヶ崎家の門の前に、他の使用人さんと列を作って、多原たちの侵入を拒んでいる。
周辺が芝ヶ崎の土地でよかった。この光景は、あまりにも異様だから。たぶん、他の土地でやったら、ご近所さんに事件性を疑われて通報されてしまうだろう。あれ、それのほうが良くない?
「おうワレェ! お嬢が中にいるんじゃ、開けんかい!?」
「ここに、草壁家のご令嬢はいらっしゃいません。どうぞ、お帰りください」
花巻さんの恫喝にも怯まずに、使用人さんは丁寧に頭を下げて。多原をじっと見る。
「多原様」
「は、はい」
「なぜ、このような草壁の粗忽者と?」
「そこつもの?」
「ご友人は選んでくださいね」
俺は字引きじゃねえぞとばかりに解説をスルーしてくれた使用人さんは、少しばかり溜め息を吐いて。
「今は、お引き取りください」
「君がこの蔵に入れられることはわかっていたよ。なにせ、見られても平気なところは、ここしかないからね」
「だから、私を待っていたんですか? この蔵の中でずっと? お仕事は?」
「終わらせてきた。私には、優秀な部下がいるからね」
「それ、押し付けたっていうんじゃないですか?」
息子とは似ても似つかぬ父に、少女は珍しく困惑していた。
ていうか、蔵に入って待機してた不審者に困惑するのは、ごく普通のことだと思う。それが、お婿さんにしたい男の子の父親だったら尚更。
そんな少女の胸中を知ってか知らずか、本棚の中の一冊を手に取って、「それくらい、私にとっては重要案件なんだよ」と彼は言った。
「単刀直入に言うよ。君がやろうとしていることは、私が心からしたいと願っていることだ。だけど、それはできない」
「どうして?」
どうして、芝ヶ崎の秘密を暴いたらいけないんだろう。
『芝ヶ崎家之家系図』。そう表紙に書いてある和綴じの本を開いて、そして閉じて。
彼は、言った。
「怪物を目覚めさせることになるから」
「お嬢、お嬢……!」
芝ヶ崎のお屋敷から少し離れた街角。涙を堪えて声を絞り出す花巻さんに、多原の胸はきゅうっとなった。
この人が多原の元を訪ねてきたのは、ちょうど多原がプリザーブドフラワーについていた手紙を読んでいた頃だった。
完全にその道の見た目だったので、多原はおっかなびっくり対応したのだが、花巻さんは弱っていたらしい。自分の名前を名乗り、多原に縋って言ったのだ。
『お嬢がいなくなったんです。何か知りませんか』と。
多原は、すぐにプリザーブドフラワーについていた手紙を見せた。
手紙には、『明日には婚姻届を持ってくるから、学校で待っていてほしいな』と書いてある。その明日は昨日だ。女の子は、ついぞ、多原の前に姿を現さなかった。
これはたぶん、嘘告というやつなんじゃないか。多原がそう思っていた矢先に花巻さんは現れて、多原の推測に否をつきつけた。
『それにしても、プリザーブドフラワー、ですかい。あ、お気遣いありがとうございやす』
多原の母がお茶を運んできたのに礼をして、花巻さんは顎に手を当てる。
『もしかして、お嬢は芝ヶ崎にいるのかもしれやせん』
『えっ、なんでですか?』
鳶崎ならともかく、芝ヶ崎?
『……え? えーと、お嬢は特に、プリザーブドフラワーに目がなくて。いわゆるプリザーブドフラワーハンターなんでさァ』
『プリザーブドフラワーハンター!?』
粗忽者と同じくらい、初めて聞く言葉である。
『そ、そうそう。お嬢は芝ヶ崎のお屋敷に珍しい花があると聞いて、日々、プリザーブドフラワーにしたいと嘆いておりやした! と、く、に! あの植物が生い茂ってる蔵の周辺に何かがあると睨んでたんでさァ』
『成程、そこに行ってる可能性は高いかもですね!』
多原は安堵した。芝ヶ崎だったら、自分でも役に立てるかもしれない。それにしても、まさかプリザーブドフラワーが伏線だったなんて。侮れないものである、プリザーブドフラワー。
なぜか脂汗をびっしりかいている花巻さんは、「やってやったぜ」という表情をしていた。
『そうと決まったら助けに行きましょう、花巻さん!』
なんて、息巻いたのはいいものの、結果としては文字通りの門前払いである。多原は無力感に打ちひしがれていた。
「すみません、花巻さん。お力になれず……」
「いや、多原君がいなかったら、門に近づけもしなかったと思うんで、気にしないでくだせえ。こっちこそ、巻き込んですいやせん」
「もうこうなったら、草壁さんに話すしかないですね……全面戦争になるのが目に見えてるけど」
多原が、うーん、と頭を抱えて言うと、花巻さんがびくっと肩を揺らした。
「あ、それだけはやめておいたほうが良いんじゃないですかい? うん、それだけはやめておいた方が良い。絶対に!」
「でも、こうしてる間にも、お嬢さんは危害を加えられてるかもしれないですよ!?」
「それが無いとわかってるからお嬢は、うぇげっほん! も、もう少し粘ってみやしょうよ。穏便に解決する! それが一番で、んだテメェ……」
多原を宥めるような口調だった花巻さんは、一瞬でヤのつく顔の人になった。しゃがみ込んでる多原は、顔を上げた。
「今は、お引き取りくださいと言ったでしょう」
無表情な使用人さんは、そう言った後、踵を返した。
「裏口をご案内します。どうぞ」




