鳶崎主従
「男は自分の力で成り上がっていくものだが、そもそも地盤がないとそれはできない。すなわち、君のような下級の生まれのものは、外部の力を借りないと成り上がれないということだ」
「はあ」
「理解できないか? 私が手を貸してやると言っているんだ。権力も財力もない多原家に、良い縁談を持ち込んでやると言っている。現在の多原家は、芝ヶ崎の中でも下から数えた方が早い。が、この縁談を受ければ、中ほどの地位にまでは行けるはずだ。君のような凡人では到達しえない」
「縁談って、草壁家のお嬢さんとってことですよね?」
事前に、そのお嬢さんにネタバレされていたので、多原はそんなにびっくりしなかった。さすがに「俺を殺すつもりなんですよね?」とは言わなかったが。
多原はめちゃくちゃ帰りたかった。学校が終わって、その帰りに寄った本家の人たちにこってり絞られて、その上にこの人が現れるなんて。
「なんだ、知ってるのか?」
鳶崎さんは、形の良い眉を上げた。多原は頷いた。鳶崎さんは嫌な笑いを浮かべた。
「ならば、話は早い。草壁は芝ヶ崎ではないが、この私、鳶崎家と提携している。これが一体どういうことか。わかるね?」
「ひっ」
声音が優しいものに変わった。ぎらぎらとした御曹司スマイルで、鳶崎さんは多原に壁ドンしてきた。女の子だったら一発だが、多原は男の子である。芝ヶ崎の人たちのことを、レイ姉ちゃん以外、基本的に怖い人たちだと思っている。
「君の家は、私の家の庇護を受けられるんだ」
ちなみに、壁ドンの壁は蔵である。使用人たちは、芝ヶ崎のナンバーツーに位置する鳶崎家のお坊ちゃんを止めようとしてくれず、多原はずるずると、蔵が林立するこの場所に来てしまったのだ。たぶん、上流階級のこの人には、体育倉庫の裏的な感覚なんだろう。よくわからないけど。
「私が令さんと夫婦になり、当主になった暁には、君にもそれ相応の地位を与えてやろう」
与える前に以下略。
「ん?」と凄んでくる鳶崎さんから全力で目を逸らしていた多原は、「ん?」と思った。
「あれ、でも、当主になるのは、れ、令さんのお兄さんなのでは?」
あの人、次期ご当主様だし。
すると、鳶崎さんは、少し驚いた後、嘲笑を浮かべた。
「誰が見ても、令さんの方が才能がある。立場に見合っている才能がない者は窮屈だ。私が引導を渡してやる。とはいえ、血の濃さは何よりも重要だからな。無碍には扱わないつもりだ」
すっごいなこの人。
多原は思った。あの扇子を広げてねちねち嫌味を言ってくるお兄さんのことを、こんなふうに言えるなんて。さすがは芝ヶ崎上位ランカー。
だけど、この婚約を受けたら多原は草壁のあの子に殺されてジ・エンドなので、嫌な物は嫌だと断る必要がある。
「俺は、上位ランカーにはなれないです」
「上位ランカー?」
「お、お、お、お断りします! 俺は自由恋愛派なんで!!」
多原はしゃがんで、鳶崎さんの壁ドンしてる腕をくぐり抜けた。
「さらばっ!!」
などという言葉を残して走っていってしまった多原を、巳嗣は睨んでいた。
「温情をかけてやれば、やはり、下賤は下賤か……」
「こんなところにいらっしゃったのですね」
「令さん」
眉間の皺を一瞬でとって、巳嗣はこの場にやってきた愛しい婚約者に微笑んだ。令は、多原の背中を見て、それから蔵を見て、眉を顰めた。
「あれと、何を話していたのですか?」
「なに、たわいもないことですよ。つまらなさすぎて、忘れてしまいました。令さんは、どうしてここに?」
「貴方を追ってきたんです。使用人たちに、居場所を聞いて」
少し頬を染めて言う令は、いじらしかった。巳嗣は、令のことを抱きしめた。
「いけません、鳶崎さん」
「そろそろ、私のことを名前で呼んでくれませんか? 鳶崎だと、私のことには限らないのですから」
「では……巳嗣さん」
令はのびあがって、巳嗣の耳元で囁いた。その声は、これまで聞いた彼女のどんな声よりも、甘やかなものだった。巳嗣は、令を抱きしめる力を強くした。
あの女のような冷たい肌ではない、陽の下に生きている、温かな肌だ。
「令さん、私は誓います。貴方の亡きお父様に代わって、貴方を守ると」
芝ヶ崎令は、悲劇の少女だ。幼い頃に、彼女は父を亡くしている。死因は縊死。彼女の父は、さきほどいた下賤な男の父親に敗れて精神を病み、ついには自分の命を絶ってしまった。それの後を追うようにして、彼女の母もまた、同じ屋敷で毒を煽って死んでしまった。
令には後ろ盾がないが、せっかくの才能を腐らせていくなんてもったいない。だから巳嗣が、令を庇護するのだ……、?
「どうしましたか?」
「いま、声がしませんでしたか?」
「声ですか?」
令は、ことりと首を傾げた。巳嗣は、声のした方を見た。笑い声だ、誰かの笑い声。
「風の音ではないですか?」
「たしかに、聞こえたんです。誰かが、何かを言う声が。外部の者が侵入しているのかもしれません。芝ヶ崎家にかぎって、そんなことは無いと思いますが。念の為に、敷地内を探させましょう」
令の手を繋いで、巳嗣は急いだ。今度は、近いところから声が聞こえた気がした。だが、そこには巳嗣の可憐な婚約者しかいなかった。
多原が屋敷から帰ろうとすると、使用人の人が呼び止めてきた。
「侵入者? ですか?」
「はい。念の為、入り口を封鎖するよう、鳶崎様に言われています。しばらくこちらにご滞在ください」
多原は困った。ご滞在って、またあの屋敷に帰らなければいけないのか。
「じゃあ、ここで待ちます」
「立って、ですか?」
多原は頷いた。使用人の人は、困った顔をしながら、「はよ家の中に入れや」という雰囲気を醸し出している。
「あの」
「お風邪をひきますよ」
しりとりでも仕掛けようとしていた多原に声をかけたのは、艶やかな黒髪の女の人だった。驚くほどに白い肌をしていて、女の人の方が風邪をひきそうだ。女の人にとられた右手は、やっぱり冷たさを感じた。
「御当主様に会うのが気まずいのでしょう。私のお部屋で、休んでいってはいかがですか?」
女の人の名前は、みたまさんというらしい。多原は幼い頃から芝ヶ崎の屋敷に通っているが、初めて会う人だ。あ。
「多原貴陽です」
深々と頭を下げて、多原は自己紹介した。みたまさんは微笑んだ。
「存じ上げています。お菓子をどうぞ。といっても、大した物はありませんが」
「いただきます!」
多原は喜んだ。部屋の時計は六時を指している。そろそろお腹が空いてくる時間帯だ。
「美味しいです!!」
なめらかな舌触りの餡が美味しい最中。それとほっこりするお茶をいただいて、多原は感無量だった。まさか芝ヶ崎の家で、こんな優しさに出会うことができるなんて。
「それは良かったです」
みたまさんは、上品に笑った。多原はどきどきした。
「すみません、みたまさんは俺のことを知っててくれたのに、俺はみたまさんのことを知らなくて……みたまさんは、普段何をされてるんですか?」
「私は、とある方の付き人をしているのです。主様は、今は部屋を出ているのですが」
「へえ、なんて人なんですか?」
「鳶崎巳嗣様です」
その名前を聞いて、多原は盛大にむせた。みたまさんは、多原の背中をさすってくれた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。ちょっと、びっくりしちゃって……」
「そうですよね、自分を殺そうと画策している方の名前ですもの」
「げぇーっほ、げほっ、んんっ!」
「あらあら」
みたまさんは、多原のことを手のひらでコロコロ転がしていた。鳶崎さんの付き人なだけある。
「貴陽様は、可愛いですね」
褒めてるのかよくわからないけど、みたまさんは楽しそうだった。
「や、やめてください。俺のことはゴミクズって呼んでください」
「そんなに卑下しなくても……貴方が望めば、全てが手に入るのに」
とんっ、と体を押されて、多原はあっけなく畳に倒れ込んだ。その上からみたまさんが、多原のことを見下ろした。ぞくっとするほどに、冷たい目だ。みたまさんは、多原の頬をなぞった。
「ねえ貴陽様、知りたくはありませんか? 貴方が、本家に呼ばれている、本当の理由を」




