たすけて
ピンポーン。
その場の緊張感に相応しくない、若干間の抜けた音が鳴り響く。
「おっじゃましまーすっ!」
オートロックがかけてあるはずの、ホテルの一室。そのドアをいとも簡単に解錠したツインテールの少女は、背後に付き従っている男に向かって、肩をすくめた。
「ここもハズレみたいだね?」
「ですが、近づいてはいるみたいですぜ」
柄の悪い男は、窓の方を見ながら言った。
少ししか開かないはずのホテルの窓は、大きく開かれている。よく見るとストッパーが壊されており、それで、人が通れるくらいの隙間を確保できたのだろう。
「おお〜っ、結構、高いね」
壊された窓から身を乗り出す少女。「落ちないでくださいよ」と、さして心配する様子のない男。
を、「これで良かったのだろうか」と、ハラハラしながら見守る、二人にカードキーを渡したホテルスタッフ。
「見て花巻。あそこ。不自然に草が折れてる」
「落下した跡でしょうね。隠蔽するヒマもなかったか……」
「お荷物を抱えてれば、そうなるよね」
二人だけにしかわからない会話。次の瞬間、少女の姿は、ホテルスタッフの視界からーー消えた。直後、ぐしゃりと嫌な音が聞こえる。
「えっ、ちょっ……」
まずい、告知義務がないとはいえ、うちのホテルが事故物件にされてしまう。
「ったく、落ちるなって言ったのに……」
焦るスタッフに反して、柄の悪い男は頭を掻いていた。躊躇いもなく、少女の死体があるであろう場所を覗く。
「どうでしたかお嬢ー?」
「うん、ここから逃げることは可能かもねー!!」
嘘だろ、とホテルスタッフは思った。嘘だろ、ここ、5階だぞ。
男の隙間からちらりと地面を覗けば、ツインテールの少女が笑顔で手を振っていた。ピンピンしている。化け物という言葉が、頭をよぎった。
「このホテルには、二人とも、もういないかもー!!」
「そうですかぁ! じゃあ、この近隣を探しましょうかぁ!?」
どデカい声でやりとりする二人。当然のように窓枠に手をかける、たしか花巻と呼ばれていた男は、自分の唇に人差し指を添え、ホテルスタッフの方を向いた。
「このことは、俺たちだけのヒミツな?」
可愛くもなんともない、ただ、恐ろしさだけが引き立つポーズである。
ホテルスタッフは、こくこくと頷いた。
「死ぬかと思った……」
くそ、あの支配人め。道理で自分で相手するのを嫌がってると思ったら。VIPはVIPでも、怖い人たちじゃないか。
「あの刺青見たか、ぜったい、カタギじゃねえよ……」
それでも、悲しき習性で、シーツを回収し、新しいものに張り替えていると。
カタ……。
「!?」
物音がして、ホテルスタッフは、部屋を見回してしまう。幽霊に怯えたのではない。あの二人が戻ってきて、彼の悪口を聞いたのではないかと思ったのだ。
額縁の裏に貼ってあるお札で、大体の幽霊は退治できるが、人ともなるとそうはいかない。
「やべえ人間を退治できるお札とか無えかな、はは……」
「ほんとう、オカルトで退治できたら良いんですけどね……」
「!?」
第三者の声がして、ホテルスタッフはそちらの方を向いた。ぼさぼさの髪、隈が浮いた目元。だが隠しきれないオーラ。
あの二人が探していた、今をときめく芸能人。
「す、須高深春……!?」
どうやら、彼女は部屋の中のクローゼットに隠れていたらしい。
「あっ、『白雪の孤高』、クランクアップおめでとうございます!」
「えっ、知ってるんですか!? 嬉しい! ありがとうございます!」
照れたように笑う深春。『白雪の孤高』は、同名の小説が原作の映画であり、深春は、その映画のヒロイン役だ。
「クランクアップだけは、絶対にしたくて。無理して撮影行ったんです。だけど、それで、見つかっちゃって」
「あの二人は何なんですか、どうして貴方を探しているんですか?」
「それは……言えないです」
深春の顔には、影ができていた。
「言えば、貴方を危険に巻き込んでしまうから。いえ、もう、巻き込んでるも同然ですね。怖い思いをさせて、ごめんなさい」
ほっそりとした指が、ホテルスタッフの手を包む。4Kで見る彼女よりも、実際に見る彼女の方が、はるかに綺麗だった。
「このことは、私たちだけの、秘密にしてくれませんか?」
「ははは、はいっ」
先ほどの男に脅された時のドキドキとは違うドキドキが、スタッフを襲った。
「ふふ、ありがとうございます。貴方のこと、私、一生忘れません」
「そんなわけないんだよね、もう、顔忘れちゃった」
数十分後。
ホテルから脱出した深春は、愛用のパソコンを抱えながら舌を出した。男ってちょろい。
「完全にあたしの芸能人パワーにやられてたよね。上目遣いでちょっと儚げな声を出してやれば、男はイチコロなんだからっ」
てくてく歩いていた深春は、歩く速度を早める。
「将来の大女優様に握手してもらえたんだから、巻き込んだ分のおつりだって返ってくるわけでっ」
すたすた歩いていた深春は、今度は小走りになる。
「ほんと、実は感謝しなきゃいけないの、あの人なんじゃないっ!?」
たったった、と走っていた深春は。
不意に、立ち止まってしまう。
「あの人が殺されなくて良かった……」
それまでとは一変、ぽつりと、呟く。ファンとか、ファンじゃないとか。深春を知ってるとか知ってないとかじゃなくて。
心の底から、そのことに、深春は安堵した。
知らない人は巻き込めない。助けてなんて、言えるわけがない。
なぜなら、巻き込んだ人が死んでしまうから。草壁夕雁は、そのくらいはする。
深春が踏まされたのは、虎の尾であり、撫でたのは竜の逆鱗。考えなしに突っ込んだ自分が、すべて悪いのだ。
……それでも。
深春は、とある少年の顔を思い浮かべてしまう。深春の嫌なことを、ちゃんと理解してくれた男の子のことを。
不思議と、思い出してしまうのだ。
「……て」
気付けば、深春は彼の名を、声に出していた。
「たすけて、多原君」
「良いんですかい、あのホテルには、まだ須高深春が残っていた筈……」
素人が隠れているのなんてすぐにわかる。どうして、あんなバレバレの工作に、気付かないフリなんてしたのだろうか。
花巻の問いに、夕雁は、人差し指を立てて自分の考えを教示した。
「保険だよ。伊勢はどうにも信用ならないから」
「保険……?」
「そう、伊勢が裏切った時の、保険」
「だから、伊勢は」
新山は腕をさすった。春の女神から発せられる言葉は、会議室を確実に、確実に、零下へと導いていた。
酷薄に唇を歪めて、思い切り嘲ったような笑みで。白川芳華は言い放つ。
「草壁夕雁に、多原君を捧げようとしてるんだぁ?」




