優秀なマネージャー
アイドルっていうのは、本当に大変なんだなと、思わぬところで多原は思った。
「弊局の番組を好んでご視聴されておられるとお聞きしました。中には、この枕崎が担当した番組までご覧になられているとか……」
父の取引先というより、ファンの印象を受ける枕崎さんは、なぜか、多原の見ている番組のことを知っていた。
ドラマとかアニメは良いにしても、夜中こそこそ見ているいかがわしい系のバラエティまで把握されているのは良くない。非常に、良くない。
多原は、額に脂汗を浮かばせて、枕崎さんの立て板に水のような話を聞いていた。本当は額の汗を拭いたかったが、両手は枕崎さんにがっちり掴まれたままだ。そろそろ、手がふやけそう。
だから、アイドルっていうのは、きっと大変な仕事なんだなと多原は思うのだ。
一人と握手するだけでも、指紋や掌紋がなくなってしまうのではと思うのに、これが何十セットと続くのである。終わりの頃には、皮膚がめくれてなくなってしまうのではないだろうか。
などと、多原が若干グロい妄想をして、自分の末路に一人で勝手に怯えていると。
「お時間でーす」
救世主島崎君が、べりっと、多原から枕崎さんを剥がしてくれた。そうだ、アイドルには、剥がしという奴があるんだった。
「島崎、お前は、優秀なマネージャーだな」
自認アイドルになった多原がそう言うと、島崎は親指を立てウインク。まさかのノーツッコミで、多原は一人、ボケを持て余した。持て余したついでに両手のひらを見てみると、指紋も掌紋もついていた。人間というのは、案外丈夫らしい。
多原がホッとしていると、枕崎さんが、「あっ!!」とデカい声をあげた。
「握手会に夢中になってて忘れてた! 新山、早く会議に行こうぜ!」
「ちょ、待っ……」
「今日は総務省のお偉いさんが来るってさ! だから時間ズレたんだよ。じゃ、多原君、島崎の坊、俺たちはこれで!」
何かを言おうとする新山さんを引きずって、枕崎さんはその場から去ってしまったのだった。
「何で邪魔した」
新山は不機嫌だった。せっかく、草壁夕雁への有効なカードを手に入れたってのに。
「バカお前、死にたいのかって言っただろ」
多原と時間ギリギリまで会話することで、新山を寄せ付けなかった枕崎は、さっきまでのハイテンションが嘘のように、助手席で済ました顔をしている。
新山は、道路標識を見ながら聞いた。ここでは四十キロ制限。
「ていうか、何で俺の車にさも当然のように乗ってるの?」
「タクシー返しちゃったからだよ」
悪びれもしない。ガソリン代払え。
「ガソリン代よりも高くつくぜ、お前の命を救ったんだから」
心を読んだかのように言ってくる。命を救ったとは、大袈裟な。
「お前、多原君に草壁夕雁のことを話そうとしてただろ?」
「そうだよ。あのお人好し加減なら、協力してくれるだろ」
「多原君はな」
「……てことは、あの、島崎の坊がネックなわけだ?」
あの、何の変哲もない、警戒心があるだけの高校生が。
「やれやれ、芝ヶ崎というのは、魔境か何かか?」
冗談めかして言う新山に、枕崎は冷たい目を向けた。それは、島崎によく似た目だった。
「その通り。あそこは、魔境だ。子供だからって侮るな。草壁夕雁の話をしていたら、お前は、島崎の坊に売られていたぞ」
「売られていた? 誰んところに?」
「草壁夕雁のところに」
ハンドルを持つ手に、力がこもった。乾いた笑いが漏れ出る。
「……なんで?」
「それが一番手っ取り早いから」
目の前の横断歩道を、小学生が渡っていく。対向車線の車の運転手も、交通ルールにしたがって、車を停車している。が、車体は、停止線からすこしだけはみ出ていた。
小学生が渡り切ると同時に、新山は車を発進させた。
「芝ヶ崎っていうのは、本来そういう人間の集まりなんだよ。目的のためには、手段を選ばない」
「遅刻しそうだったら、歩行者を跳ねていいと思ってたり?」
「それに近い」
「とんだ倫理観だな」
「なによりも自己を優先するからな」
自分の走ってる道路こそ、優先道路と思うタイプだ。
「島崎は、普段なら優良運転者だ。だが、多原君に危害が及ぶとわかったら……」
「平気でルールを破るってわけね」
諸刃の剣だ。
おそらく、島崎を非芝ヶ崎たらしめているのは、あの多原というガキだ。だが、その箍を外せるのも、また同一人物というわけだ。
なんて友人関係だ、即刻、解消した方が良い。
「最近はこれに、鳶崎も加わったと俺は見ている」
「鳶崎?」
って、前にも聞いたような。
「芝ヶ崎のナンバーツーだ。多原君を殺そうとしてた噂があるんだが、最近親友になったという噂がある」
「なるほど、多原君は多原君で、変なんだな」
あの物騒な少女に気に入られていることは、実際に会ってみても信憑性が沸かなかったが、こうしてみると、それなりの理由がありそうだとわかる。なんかさらっと、「殺そうとしてた」とか言ってるけど。
「だから、多原君に接触するなら、島崎や、鳶崎がいない時が良い」
話の流れが変わって、新山は、目を見開いた。助手席を見たくなるのを我慢して、道路をじっと見つめた。
「お前、反対派だったはずじゃ」
「そう見えただろ?」
至極楽しそうな声。
「だけどさ、多原君に会って思ったんだ。こんなに待ち望んでくれる視聴者がいるのなら、お前のこと、死なせても良いかなって」
新山は、眉を顰めた。
なかなかに酷い言葉だ。意味がわからない。
「塹江先生を失って。お前が腑抜けになりながら作る番組、俺、見たくないんだよな。だったら、天才のまま死なせるのもアリかなって、思ったんだよ」
「お前にしては、ストレートな褒め言葉だな」
「だろ?」
得意げに笑う声が聞こえる。
「天才プロデューサー新山素仁ここに眠るって、墓に刻んでやるよ」
「やめろ恥ずかしい」
「だからそんなことされたくなければ、死に物狂いで生き残るんだな?」
助手席をちらりと見てしまう。枕崎は、窓の方を見ていたが、今は夜だ。表情は筒抜けである。
感謝と揶揄いを含めて、新山は笑いながら言った。
「ばーか、当たり前だよ」
テレビあかつき、会議室A。
普段は編成会議が行なわれる小さな会議室に、テレビ局のお歴々が集まっている。
「ちーっす、遅れましたぁ」
“総務省のお偉いさん”に恨みのある新山は、軽い態度で扉を開けて部屋に踏み入った。新山の後頭部を、枕崎がグーで殴る。
「あれ? 総務省のお偉いさんは? まだ来てないんすか? 時間早めといて?」
「おい、新山。口を慎め! お前は普段からそうやって……!」
高寺編成局長が目を釣り上げて怒鳴り散らす。新山はそれを無視して、空いている席に座った。
「にしても会議室Aは狭すぎっしょ。どうせ来るの、行政局の人らでしょ? もっと広めのところを取っておかなきゃ……、」
「俺の声ちっちゃいから、ここにしてくれって言ったんですよ」
突如として聞こえてきた声に、新山の体は固まった。聞き覚えのある、クソガキボイスだ。
ドアを開けて入ってきた少年は、我が物顔で、お歴々の間を縫って歩き、新山の前でぴたりと止まる。
「あー、君が」
「対面するのは、初めてですね。新山素仁プロデューサー」
爽やかな笑顔。だが、新山はそれには騙されない。散々人を高いところから見下して、操りやがって。
多原たちと同じ制服を着た少年は、新山に手を差し出した。
「改めまして、伊勢隼斗です。これから長い付き合いになると思いますが、どうか、よろしくお願いしますね?」




