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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
初恋と失恋と
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私の王子様は

『あっははは! だとしたらそれは、焼き芋の煙ですね!』


ご機嫌な声に、葉山由平は、眉を顰めた。


多原亘は、核心的なことを言わない。のらりくらりと由平の問いを躱している。それは、下位の家の人間だからこそできることだ。


由平の、“こちらが本気を出せばすぐにでも望むものを引き出せる”という慢心を読み切っている。どの程度なら相手が会話に乗ってくれるかを測りながら、軽い口調で話を引き伸ばしているのだ。


本家の次期当主に刃向かった狂犬というイメージと、噂に聞く親バカのイメージが先行していたが、なかなかどうして、手強い敵である。


それに、しても。


「……使われなかったとはいえ、火葬炉で芋を焼くとは」

『否定の言葉はあるでしょうね。まあ、でも? 人を焼くのも立派な役目ではありますが、キョウ君を喜ばせる方がよっぽど立派な役目であると、そう思いませんか?』


由平は閉口した。倫理観を問うているのに、逆に妙な価値観で問い返された。


『貴方だって、娘さんのために、今回初めて手を汚したでしょう?』


かと思えば、急に核心に触れてくる。これにはどう答えるべきか、由平は迷ってしまう。葉山の強さの理由は、清廉潔白ーーつまり、弱みを握られないところが大きいからだ。手を汚したことは事実だが、それは弱みを認めたことになる。だが、それを認めねば核心へは踏み込めない……数瞬考えて、由平は。


「ああ、初めて、手を汚した」


あくまでも初めてを強調して肯定した。やはり根底には、“多原などどうにでもなる”という思いがあったからだ。


『それにしては、うまくいき過ぎましたね。才能があるのかもしれませんよ?』


茶目っ気たっぷりにそう言われて、由平は心底不愉快になった。なぜならば、手を汚すことは、由平の本望ではなかったからだ。嫌悪さえしている。が。


『ああ、才能があるというのは、貴方のことではありませんが』


予想外の言葉に、由平は、目を見開いた。つまりそれは、


「他に、ここまでたどり着いた人間がいると?」


多原亘は、いわゆる、ゴールで待つ人間である。撹乱目的の迷路をくぐり抜けてくる人間を、逐一見ているわけであるから、それに言及するのも可能…………見えない刃が、ひたりと、由平の首筋に突きつけられた感触がした。


ーー牽制。


その情報が与えられた理由の一つには、それが考えられる。同じ結論に辿り着いた者がいるのを示唆することで、由平の動きを封じようとするということだ。


『ああ、いえ、近いところまでは辿り着いたということです』


一転、由平優位なことを示す多原亘。安堵する一方、不思議と、見えない刃は、由平の首の皮を、つい、と破き始めた。


……戦前戦中戦後。葉山が生き延びたのは、次の時代を読む力に長けていたからである。その血が流れている由平には、わかる。これは牽制などではなく、潰し合いなどではなく。


「ーー近いところ、ということは、最後の一手が足りなかったんだな」 

『ご名答。流石は葉山のご当主であらせられる……そこまでわかっているのなら、私が言わんとしていることはわかりますよね』

「……ああ」


つまるところ。“うまくいき過ぎた”のは、由平の方で。“才能があるかもしれない”のは、その、もう一人の方。


手を汚し慣れていない由平がここまで難なくたどり着いたのは、そのもう一人の方が、道を踏み固めてくれていたからなのだ。


そしてそのもう一人が、()()だったからこそ、多原亘は、初恋の真相をひた隠しにしようとする。


……由平は、諦めて言う。


「“林檎”はあと一歩で、真実に辿り着いていたんだな」











由平が挙げた手段の数々に、橿屋は絶句。あの島の機密性は、“国”で片付けられない、化け物たちの思惑が蠢いてこそ。


まさしく一律の倫理など関係なく、独特なイデオロギーで成り立っているのだ。


ーーいや、でも、確かにそうか。あの時代、ああいったことは珍しく無いのに、あの島だけ保護されるってことは、そういうことだよな。


だからこそ、多原亘も、与野崎傑も。あの島を、芝ヶ崎格への対抗手段としたのだ。禁忌というものは、実に都合が良いのだから。


由平の話は続く。


「林檎は、私の先を行っていた。八歳にして、手を汚すことを厭わなかったんだ」


自らの初恋を暴くために。


雨は激しく屋敷の外壁を叩いている。由平は、橿屋の方を振り返った。


「私は林檎のことをそう言いたくない。だが、彼ははっきりと言ったーー私の娘を、化け物だと。足りなかったのは、三家の当主しか知り得ない情報のみ」


そのピースが無かったからこそ、林檎は、あと一歩、及ばなかった。


「……多原亘は、私に、娘の異常性を知らせないために、わざわざ遠回りしてくれていたんだ。だが、私が火葬炉の使い方に否定的で、多原亘の言葉に同意しなかったからこそ、彼は、私を抑止力にすることに決めた」






「君みたいなタイプは、一度目標が定まると、どんな手段でも使ってくるだろう」


それはお互い様だと、林檎は飲み物を飲みながら思った。どの口が言っているのだか。


「それは、絶対に、キョウ君を不幸にする。だから、君のお父さんは、君がキョウ君を見つけた時に、離れるように仕向けた。だけどまあ、キョウ君が予想外すぎた……」


世紀の親バカを一番苦しめるのは、その子供である。前髪を掻き分け、端正な顔に憂いを浮かべて(多原が絶対にしない表情)、亘は、ふうと息を吐く。


「親子揃ってキョウ君のことを気に入りやがって……“二番目ならいいだろう”とか言いやがって……」


少々口調が崩れてきている。ファーストフード店に見合わない殺気を全身から漲らせ、乱れた前髪の隙間から、林檎を睨め付ける。


「キョウ君から手を引いてくれ、じゃないと、アイツに、偽装工作がバレてしまう」

「お断りです」


即答してやると、思いっきり顔が歪む。林檎は微笑んだ。


「そのために、わざわざ、与野崎傑を巻き込んだのでしょう? 私がいずれ、真実に辿り着いた時のために」


そう。この男の主目的は、与野崎士……現在の円佐木司佐の安全を人質に取り、林檎に恋を諦めさせること。


林檎は既にわかっている。人のことを散々化け物扱いしてくるこの男こそが、もっとも化け物に近い人間なのだと。


さすがは、火葬炉で焼き芋を焼く男である。


「それじゃあ君は、キョウ君にベタベタひっついて、アイツに与野崎の息子のことを勘付かせても良いんだね? 演説事件の再来で、今度こそたくさんの人の血が流れても良いのかな」

「そんなこと、するわけありません」

「一時凌ぎの倫理観から出た答えは、信用ができないな」

「いいえ? 倫理観ではありませんわ、お義父様。だって、たくさんの人の血が流れたら、多原様が悲しむではありませんか」


息子のために、火葬炉で焼き芋を焼いた男は、一気に黙った。そう、林檎と亘は同類なのだ。倫理観なんてどうでも良い、すべては守りたいもの、手に入れたいもののために存在している。


「勿論、私と貴方がこんな戦いを繰り広げていると知ったら、多原様は悲しむでしょうね」

「脅すつもりか?」


林檎は、頬杖をついた。目を伏せる。


「まさか。ただの感想ですわ。ええ、私としても、多原様と必要以上に接触しないことはお約束します。芝ヶ崎格以前に」


林檎の脳裏に蘇るは、鮮やかな黄葉。


「絶対に、負けられない人間がいますので」


今となっては滑稽な、そして、今となっては好都合な勘違い!


この強力なカードを手放してなるものか。


「そもそも、罪悪感のために君は、キョウ君から離れなきゃいけないだろうに」

「ええ、そのとおり」


あの与野崎士のニセモノは、林檎と多原が未だに交友をしていると知ったら、訝しむこと間違いなし、だ。


けれど。


林檎の中では、すでに道筋ができている。絶対に負けられない人間を使う術が。


「普通なら離れるべきですが、彼女を使えば私は、多原様の傍にいられるのです」
















「ごめんなさい」


しおらしく下げられた頭に、困惑を呑み込んで。


「どういう風の吹き回し?」


嫌悪を押し出して言った。訪ねてきた葉山のご令嬢は、弱々しい笑みを浮かべている。


「私がしてきたことが、いかに愚かなことか、理解したんです。島を出てから、私は貴方の言葉を思い出していました」


一息おいて。恋が終わった彼女は、こう言い放った。


「そうして、このような結論に至ったーー私は、白川芳華さん、貴方と多原君の恋を、秘密裏に応援したいのです」










もちろん、そんなのは嘘である。


林檎の恋は偽物じゃなくて本物なのだから、その恋を侮辱した人間に復讐することくらいは、神様だって許してくれるだろう。


白川芳華を前に。思ってもいないことを喋りながら、林檎は幸せに浸っていた。


ーー私の王子様は、まだ、死んでいない。



林檎ちゃん編おしまい、ここまで読んでくれてありがとうございます。次回からは生徒会長ちょこっと書きつつ…

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