手加減
ちょっと短めですが、ここで区切りです。もうちょっとだけエピローグは続きます。
……こうして、林檎さんと多原は、“同志”とも呼べる関係になったのであった。
多原は願わずにはいられない。都合の良い真実が、どうか、みつかりますようにと。その道は険しく、辛いものかもしれないけれど、多原はずっと、林檎さんの行く道を見守っていようと思う。
みつからなかったとしても……林檎さんの辿ってきた足跡を指し示すことは、多原にもできるのだから。
それに。
船に乗る直前。多原は、ふと後ろを振り返った。
なぜか、聞いたこともないウミネコの声が、聞こえた気がしたからだ。
「多原様?」
「あっ、なんでもないです!」
慎重に船に足を下ろし、多原はウミネコのことを考える。
ウミネコは、渡り鳥ではないらしい。ネットで調べた。まだ、日本にいるのかもしれない。南に行けば、すぐ、そばで……。
ーー案外すぐそこで、“都合の良い真実”は見つかるのかも。
それは、願望なのかもしれないし、予感なのかもしれない。多原は後者に賭けたかった。烏滸がましい話だけれど……なぜか、多原には、林檎さんの初恋の少年の気持ちが、手に取るようにわかったからだ。
潮風に髪をなぶられながら、小さくなっていく島を見て、多原は決意を新たにする。
ーーそれまで俺は、どんなことがあっても、林檎さんの味方でいるんだ。
それが、“同志”というものなのだから。
「……というような表情で。盛大に勘違いをして、多原君は帰って行きました」
ことの次第を橿屋が説明すると、目尻に皺を寄せて、葉山由平ーー葉山家現当主は穏やかに笑った。
「成程、多原君らしいな。そして、娘らしいとも言える」
「旦那様は……すべて、ご存知だったのですね」
意図せず、咎めるような口調になってしまったが、橿屋は敬愛するお嬢様のことを思うと、口調がきつくなってしまった。
「私に……俺に、多原君を連れて来させる前から。いつから、ご存知だったのですか?」
「島を出て三日後くらいかな。娘に元気がないんだ、葉山の持てる力全てを使って、“初恋の男の子”とやらを探し出したよ」
由平は、座っていた椅子から立ち上がった。窓の方へ歩いていく。お世辞にも晴れているとはいえない灰色の空が、そこにはあった。
「“うちの娘の初恋相手は貴方のご子息か”。直球で、彼にそう聞いたよ。彼というのは、言うまでもない、多原亘だ。ここまでは、林檎も聞かされているんだろう?」
当たりである。橿屋は、「はい」と短く返事をした。その先をはやく聞くためである。
「だが、林檎はこの場にいない……多原亘の言う通りだったな」
ーー多原亘の言う通り?
橿屋は眉根を寄せた。一体、どういうことなのだろうか。
由平は、窓を開けた。湿った空気が部屋に入りこんできた。なぜ、そんなことをするのだろうかと橿屋は思ったが、それは、苦情混じりの由平の言葉で、曖昧とはいえ理解できた。
「こうでもしないと、息が苦しくなってしまうーーこれから話すことは、娘には秘密だよ」
「結論から言えば、私の問いに対して、多原亘は、答えを出さなかった。“そうだしたら?”という仮定の一点張りで、多原君が……これだとわかりにくいな、貴陽君が初恋の少年であること、多原亘が工作をしたことを、認めようとしなかった」
「それは、旦那様が、葉山のご当主であったからでは?」
力関係は明らかだ。
多原が初恋の少年だと認めてしまえば、葉山の力を使って愛息子を取り上げられてしまう。多原亘が息子を溺愛していることは有名だから、これは想像できる。
かといって、明確に否定すれば、天下の葉山に嘘をついたことになる。ましてや、自分の工作を指摘されれば、やはり、結果は同じ。
だから、言葉を濁す。あくまでも仮定の話で進めることで、核心を避けているのだろう……。
ーーって、思うんだけどな。
ここまで考えておきながら、橿屋は自分の考えを屑籠に投げ捨てた。
演説事件において、一族の実質的トップに刃向かった狂犬が、いまさら、上下関係など気にするだろうかと。というかそもそも、葉山を恐れているのなら、工作なんてこと、絶対にしない。
だとしたら、なぜ。
考えても仕方ない。考えても答えは、なぜか出ない。橿屋はじっと、由平の答えを待った。
由平は、後ろ手を組んで、相変わらず、窓の外を見上げている。表情は当然見えなかった。
「“息子を取り上げられたくないのならそう言ったらどうだ”と、私は愚かにもそう言ってしまった。気持ちが逸っていたんだーーいかにもな悪役仕草。芝ヶ崎とはいえ、末端の多原なぞどうにでもできる……そうやって、慢心していたんだよ」
さぁっ、と音が聞こえた。雨が降り始めたのだ。ぽつ、ぽつと外壁に当たっていた雨はやがて、開いた窓から部屋に侵入してくる。
由平はそれでもなお、動かない。息が苦しくなってしまうから? いや、これは。
橿屋は、瞳を眇めた。
ーー自罰的行為。
己の慢心を罰するために、わざと濡れている。雨が降りそうな天気で窓を開けたのは、息苦しいというよりも、むしろ。
「とんでもなかった、手加減していると思っていたのに、手加減されていたのはこちらだった。彼が仮定の話にとどめていたのは……私に、とあることを教えたくなかったからだ」




