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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
初恋と失恋と
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おみやげ

「キョウ君!? そのアザ、どうしたの!? ああ、擦り傷まで……血が出てるじゃないか!!」


例の新年会の日。多原家の玄関。


多原の父は、令の前にもかかわらず、号泣しながら息子を抱きしめた。当の息子である多原はけろっとしていて、むしろ誇らしげである。


胸を張り、腰に手を当てて、一所懸命、されたことを説明していた。


「あのね、試練をね、頑張ったの! 蹴ったり殴ったりされて痛かったけど、泣かなかったんだ!偉いでしょ?」

「うん、偉いねキョウ君は、本当に偉い」


多原は気付いていない。父親の声が低くなっていることに。そばで見守っている令を多原の肩越しに、射殺さんばかりの目で見つめていることに。


ーーこれで満足か?


そうやって、令に問うているように見えた。令は視線を真っ向から受け止めた。


ーー満足ではない。


突き放して、傷付けば、手に入ると思ったのに。出来上がったのは、変な方向に防衛規制を発揮した幼馴染だった。


手を繋いで帰る道、多原はずっと、語尾に「ローストビーフは手に入らなかったけど」と言っていた。多原は、ローストビーフを手にいれられなかった代わりに、“泣かなかった”という勲章を手に入れようとしているのである。


虐められて傷ついたという自覚が本人にあれば、やりようがあったものを、残念ながら、多原が欲しいのは、令の庇護や抱擁などではなく、ローストビーフ。

思ったより違うところに着地したので、令は頭を抱えたいところなのである。ローストビーフに負けた。


「それで、キョウ君に試練を与えた子達の名前って、覚えてる?」

「ううん。聞いてない!」

「キョウ君……」


明らかに復讐する気満々の父親に、元気いっぱいに、気の抜けるような返事をする多原。我が息子に向かって柔和に笑っていた眼差しはしかし、令を見る頃には鋭利なものへと変わっていた。


ーー君は、覚えてる? 


令は頷いた。敦埼と、染先の子息だ。


「あっ、でもこれじゃあ、再挑戦した時にローストビーフ貰えないや! ど、どうしよう……」

「キョウ君、ローストビーフって、何?」


そんな会話を耳にしながら、令は、どうやったらこの幼馴染を自分のものにできるのか、その道は、意外と遠いのではないかと、考えていた。











『いや、ローストビーフをあげれば良かったじゃん。キョウ君は食い意地張ってるから、食べ物あげたら無条件に好感度アップするでしょ』


令の思い出話に、無粋なツッコミをしてくる木通しをん。その目は半眼になっている。


『それと、葉山林檎がキョウ君と島に行ったことの何が関係あるわけ?』

「関係はあるだろう。キョウがあの女と二人になったところで、食べ物でしか懐柔されない」

『逆に言えば、島で美味しいご飯を食べたら無条件に好感度アップするってことじゃん。こうしちゃいられないよレイにゃん。島のインフラ機能をダウンさせなきゃ』


据わった目で言うしをんは、背景から何やら黒いものを出している。つくづく、二次元の存在というのは便利なものだ。


が。


「インフラ機能を、ダウンさせられるのか?」

『あったりまえでしょ。木通しをんはね、魔法使いなの。大好きなキョウ君のためなら、国一つオトせるんだから!』


自分の胸に手を当てて、そう言うしをん。彼女の二つ名は、電脳シンデレラの筈だが。


『官公庁のデータベースだって、個人パソコンの中だって、ちょちょいのちょいだよ!』


自信たっぷりの彼女に、令は、淡い期待を抱いてしまう。


「そうか、それなら、お前に頼みたいことがある」











「はいっ、レイ姉ちゃん!」


あの頃の多原は、身分差なんてあまり理解していなかった。だから、夏休みの後、堂々と本家に赴いて、令に土産を渡してくれたのだ。


「この前ね、水族館に行ったんだ! こーんなおっきな平べったい魚が泳いでて、楽しかった!」


小学校の頃の多原は、全身を使って、魚の大きさを表現してくれた。


同じく小学校の頃の令は、かろうじて穏やかに、それに相槌を打つしかなかった。本当なら、多原を抱きしめて、本家に連れ帰りたかった。自分の目が届くところに置いておきたかった。


「水族館と、あと、どこに行ったんだ?」


探るような口調だが、令の愛しい幼馴染はそれに気付かない。質問されて嬉しいというように、ニコニコニコニコ、満面の笑みで答えてくれる。


「うーんとね、色んなところに行ったよ! 友達とカブトムシをとったり、貝殻を拾ったり!」


どうやら、多原は家族と一緒に、自然に満ち溢れた場所に行っていたらしい。


「楽しかったか?」

「うん、とっても!」











「その年の夏休み、キョウは突然姿を消した。結局この町に帰ってきたが、私は、気が気でなかった」

『わかるぅ』


渋い顔をした木通しをんが、腕を組みながら神妙に頷く。


『でも、お土産もらって良かったじゃん。私なんて二次元だから貰えないんだよ?』

「ーーそれが、私を欺くためのものだとしたら?」

『……?』


令は、スマホを持ったまま、箪笥に向かった。箪笥の中には小箱が入っていて、その中には、例のキーホルダーが大切にしまってある。


指で摘んでぶら下げる。ちゃり、と音が鳴った。イルカのキーホルダーの裏には、特定施設の名前が刻まれている。ゆらゆらと揺れるイルカを見ながら。


「私が手を尽くしても、突然いなくなったキョウの居場所はわからなかった。だが、夏休みの後、キョウは水族館の名前が刻まれたキーホルダーを持って、私の前に現れた」

『あー、なるほど』


しをんが、くるりと回る。彼女が一回転する間に纏った衣装は、まるで物語の中に出てくる探偵のようだった。


『つまり、レイにゃんはこう言いたいわけだ。“あの父親がそれを許すか”って』


親指で人差し指で顎を挟むしをんの口の端は、綺麗に釣り上がっている。


『たしかにそれはおかしいねぇ。わざわざどこへ行くかを隠蔽してたのに、わざわざキョウ君に場所を特定できるお土産を買ってあげちゃうんだ。で、それをレイにゃんに渡すのを許すのは、もっとおかしいね』


令は頷いた。


「旅行中だけ、邪魔をされたくなかったということも考えられる。旅行が終わったから場所を開示しても良いということも。だが、あの人は、そう簡単な性格ではない」

『そのキーホルダーをキョウ君に買って、レイにゃんに渡させたのは、本当の行き先を隠すためって、言いたいんだよね?』

「そうだ」


多原からの土産で思考能力を奪う。いかにも、あの父親がやりそうなことである。


『私がするべきことは、その年の夏休み、キョウ君が、本当はどこに行っていたかを調べること。それでオーケー?』

「ああ、よろしく頼む」


通話を切って、令は、キーホルダーを、愛おしそうに、そして憎らしげに見つめた。


ーーこれで、欠けていたピースが、ひとつ埋まる。


多原について知らないことが、一つ、無くなるのである。

ふと、あの時の多原亘の、射殺さんばかりの目線が、脳裏を掠めた。令は口元を緩めた。


「人の恋心を利用した罰ですよ」





















だから、彼は罰を受けるはずだったのに、私は罰を下せなかった。


私はきっと、ちょうどいい人間だった。彼の大切なものを守るのに、ちょうどいい人間だった。


「ああ、なんて軽率だったんだろう、私は」


これはずっと、思っていることだ。

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