それが、貴方への
多原が言ってることはわりと真実です。わりとほとんど大体
ーー御誂え向きに、写真を用意してるだなんて。
与野崎傑という人間の写真は、たしかに、あの日に会った少年の父親であった。
だが、林檎は、狙われているとわかっているのに不用心に父親の写真が収められたスマホを持ち歩く少年のことを、どうしても信じられなかった。
「不用心なんですね」
冷ややかに言った林檎の意図を、理解したのか。士が苦笑する。
「だって、こうでもしないと信じてもらえないでしょ?」
林檎もまた、嘲りの表情を浮かべた。
「そんなに私に信じてほしいのですか? 自分が与野崎傑の子息だと」
「……」
林檎は、どちらかといえば、少年が信じてほしいのはそのことだろうと感じていた。初恋の少年という事実ではなく、与野崎傑の息子が生きている、ということだろうと。
というか。
初恋の少年が目の前の男であるのなら、初動からして間違っている。
彼がするべきは、父親の証明ではなく、林檎との思い出話なのだ。二人だけの秘密を話せば、林檎はころりと認めるのに。
士に対して林檎が考えていること。これは単なる勘である。だが、兵站を軽視し、敗戦へと導いた葉山がその後も存続しているのは、その勘ゆえ。
「だからこそ、貴方は写真を私に見せたのですよね? 私の初恋を踏み躙って、彼の死を愚弄して。間違った意味を付け足す為に」
何もかもが間違っている。この男は、偽物を名乗ることすらも烏滸がましい。林檎は、橿屋の方を振り向いた。この自称・与野崎士を拘束する号令をかけるために。
だが。
臨戦体制に入っていたはずの橿屋は、多原にスマホを見せながらとても困っているようだった。ぽんぽんと、多原の背中を優しく叩いている。羨ましい。
「多原君、泣き止みなって」
「すみません……だけど、林檎さんと、その、士君って呼んでいいかな、士君の気持ちを思うと涙が止まらなくて、せっかく写真見せてもらってるのに目の前が歪んで見えないや……」
どうやら、林檎と士がピリピリしている間にも、多原は結局、貴重な涙を流していたらしい。
「ずびっ(洟をすする音)、この人が、与野崎傑さん、かっこいい人ですね」
「多原君、何も見えてないよね? 涙で」
「見えてないけどっ、心の目で見てます……」
与野崎士が、よくわからない表情で笑ったが、林檎もまさにそんな気分だし、面白くなかった。どうして、多原は士に肩入れするのだろうか。
「そして、俺にはわかります、どうして士君が、お父さんの写真を見せてまで林檎さんに信用してもらおうとしてるのか」
「……」
士は何も喋らない。というより、何を喋っていいかわからないという顔だった。
彼の中には、ある程度は「信じてもらえない」という気持ちがあったはずだ。懐疑的な林檎と対峙していた時は、むしろ想定内。だが、まさかの、感情移入をしまくっている人間が現れたわけである。疑われるよりも信じられる方が計算外だろう。
場の空気をかき乱し、ついでに林檎の心もかき乱している多原は、力強い表情で士を見た。
「そうしないと、林檎さんを救えないからですよね……自分の身を危険に晒してまで、士君は、林檎さんに自分が初恋の少年だと信じてもらおうとした……そうすることで、林檎さんの心に刺さった棘を抜こうとしたんだぁ……なんて良い奴なんだ士ぐん゛!!」
再び感極まった多原が、おーいおーいと泣くのを見ながら。
「え、えっと……そう、それだね」
「軌道修正が下手すぎるでしょう」
多原の話に雑に乗っかった士に、思わず突っ込んでしまう。が、多原は雑な答えを「正解」と認識したらしく、さらに自分の考えを述べる。
「自分の生存を知らせる事で、林檎さんを罪悪感から解放したかったんだね……君はまさしく、思い出の少年だ……!」
「たぶんあちらさんはそこまで考えてないと思うよ多原君」
「えっ……」
橿屋が心苦しそうにいれたツッコミに固まる多原。
「そ、そんな、どうして……俺の中で、全ての辻褄が合うのに……」
かわいそうに、頭を抱えてしまう。
「相手が悪かったですね」
林檎は、むふんと笑いながら、士に向き直った。
「残念ながら私の中では、貴方よりも、多原様が一番あの子に近いのです」
「でも、本物じゃないよね」
正体を現してきた。多原のあまりにも善に寄りすぎた解釈に雑に乗っかった少年は、もはや偽物だということを隠そうとせず、今度は林檎を嘲るように。
「僕は与野崎傑の息子じゃない。本物は死んだ。君のせいで」
ずん、と。林檎の胸が重くなる。わかっていたことなのに。一瞬だけ、呼吸ができなくなった。
「僕を本物と信じていれば、そこの多原君も言ってる通り、罪悪感から解放されたのに。ドヤ顔で笑って、わざわざ傷口を大きくするとは、葉山も落ちたものだね」
「……」
今度は、林檎が黙る番だった。与野崎士を名乗る少年は、「断言しよう」と横柄に、恭しく言い放つ。
「生者は、死者に勝てないよ。僕が写真を見せても、この施設から出てきても、君は僕を彼だと認めなかった。多原君がどれだけ本物に近かろうが、どこまでいっても偽物だ……」
「そんな、わかりきったこと」
少年は、目を閉じて、やれやれと首を振る。片目を開けて。
「いいや、わかっていない。君はさ、罪悪感を抱えたまま、偽物を愛するつもり?」
「……っ」
足に根が生えたように、林檎は立ち尽くしてしまう。
「お前、いい加減に」
橿屋の低い声にも、少年は動じないで、にこにこと笑っているだけ。
「さてと、もう喋りたいことは喋ったし帰ろうかな。恋愛脳のお嬢様の鼻っ柱も折ったことだし」
それにしても、何だろうか、この余裕は。三対一で、不利だというのにーー遠くから、エンジン音が聞こえる。
林檎ははっとした。そうだ、林檎たちも、タクシーでここまで来たのだ。ということは、
「それじゃあ、君がどういう答えを出すか、楽しみにしてるよ。葉山林檎さん」
「……っ!!」
舞い上がる土煙。明らかに林檎たちを轢こうとしたバイクの後ろにまたがって、少年はひらりと手を振った。
橿屋が車体を蹴ったにもかかわらず、そのまま走り去るバイク。それを見送るしかない林檎は、ぎゅっと、拳を握った。
「……私が」
ーー私が、あの男を疑うことができたのは、偽物だと断じられたのは。
戦後の謗りを免れた葉山の勘でも、思い出の男の子なら、二人だけの思い出を話してくれるはずだという面倒くさい乙女心でもなんでもない。
ただ一つ。
ーー死なせてしまった、罪悪感だったんだ。
放心して、林檎は空を見上げる。
偽物を偽物と断じられるのは、本物に対する罪悪感だけ。
『貴方の王子様は死んだのよ』
黄葉のパノラマが、周囲に展開されたような気がして、林檎は瞬きをした。
『生者は、死者に勝てないよ』
結局、白川芳華は、そう言いたかったのだ。彼女はまだ、手ぬるい方だった。
与野崎士の偽物が最後に投げかけた問いの答えはもう、林檎にはわかっていた。
ーーできるわけがない。
あの子はもう死んでいるんだから、林檎が罪悪感をなくすことなんてできない。そもそも、なくすつもりもない。
手詰まりだ。
「くそっ、俺の目はなんて節穴だっ!!」
悔しそうに地団駄を踏む多原を見る。
「あんな奴を初恋の人認定してただなんてッ! あんな、林檎さんを傷つける奴を!」
林檎のために激昂してくれる多原は。
ーーあまりにも、あの子と似すぎている。だからこそ、どこまでいっても偽物なんだって、私の心が。
心の奥底にある罪悪感が、そう叫んでいるのだ。
「でもっ、これで一歩近づきましたね。林檎さんの初恋は、与野崎士って人だったんだ」
励ますように言ってくれる多原。林檎は、「そうですね」と笑いながら、違うことを考える。
ーー多原君は、見つけて欲しいんだって、言ってたけど。
この島に来てしまって、自覚させられた林檎にはわかる。
林檎が、何をするべきか。
ーー証明しなきゃ。
きっと、永遠に終わることはない証明を。
ーー私が愛するのは、貴方だけだと。
死んでしまった貴方だけが本物なのだと、この優しい少年を傷つけて、証明しなければ。
「それが、貴方への」
「林檎さん?」
思わず口に出してしまいそうになり、林檎は、ふるふると首を横に振った。
ーーそれが、貴方への罪滅ぼしになるから。




