死んでようが、死んでまいが
思い出の島に行ったら、髪の毛一本ほども情報を掴むことのできなかった初恋の少年が現れた。
そんな偶然、あるだろうか?
ーーあるわけがない。
林檎は冷静だった。
吹聴していた自分が悪いが、今まで何度、葉山の力をあてにして、自称“初恋の少年”が林檎の前に現れたことか。そして、彼らが“そうじゃない”とわかった時、何度、死の喪失を味わってきたことか。
橿屋もまた、林檎を背に庇い、一歩も動かない。少年もニコニコと笑って、これ以上は近づいてこない。
時が止まったかのようなこの空間で、唯一動いているのは。
「もっ、もしかして! 林檎さんの初恋の人ですか!?」
驚きから、興奮に変わった様子の多原である。警戒心が薄いところもまた好都ご……魅力的なのだが、そんなにほいほい少年に近づこうとしないでほしい。
帽子をとった謎の少年は、頬をかいた。少し照れているかのように。
「いや、林檎ちゃんの初恋かはわからないけど……この島で会ったことは、事実だね」
「……っ!!」
人の善い多原は、口をぱくぱくとさせて、しかし、目元をぐしぐしと腕で拭った。林檎には手に取るようにわかる。
おそらく、感動的な雰囲気の中、部外者の自分が泣くわけにはいかないと思って耐えているのだろう。
そんなところも好きとは思うけれど、問題は、別にこの場は感動的な雰囲気じゃないということだ。嗚咽さえ聞こえてきて、林檎は無性に苛立ってきた。
ーー多原君の涙は、あなたが消費して良いものではないんだけど?
橿屋の腕をどける。
「貴方は誰ですか? 私は、貴方なんて知りませんけれど」
「え」
泣きそうになっていた多原が、腫れた目をぱちくりとさせる。林檎は、ぎゅんっと方向転換。ハンカチで優しく、多原の目元を拭った。
「知らないんですか……? 初恋の人じゃ、ない……?」
それはそれで、多原は泣きそうだった。林檎は心が痛みながらも、頷く。
「こんな偶然、あるわけがありません。だって、あの子は亡くなったんですもの」
「やっぱり、信じてもらえないよね」
背後から、寂しそうな声が聞こえてくる。多原は、少年が目に見えて弱っているのを見て、オロオロしている。
ーーあの男は、明確に“敵”なのに。
林檎は鋭い目つきで、少年を睨んだ。
林檎たちが島に行くことは、ごく一部の人間しか知らないはず。それなのに、この少年は先回りして廃墟で待っていた。怪しいことこの上ない。
「僕のことが誰かって、林檎ちゃんは言ったよね」
「林檎ちゃんと呼ばないでもらえますか。反吐が出ます」
「随分嫌われちゃったな……でも、そうだよね。僕達、ひどい別れ方をしたものね」
「うう、ぐすっ」
完全に、初見の少年に感情移入している多原は、潤んだ目で少年を見ている。林檎はそれが面白くない。さすがは、自分を殺そうとした鳶崎の子息と親友なだけはある。
「多原様、私とこの男。どちらを信用するのですか?」
林檎は、多原に詰め寄った。多原は相変わらず涙目だったが。
「勿論林檎さんだけど。でも俺は、その人が林檎さんの初恋の人だったら、すっごく嬉しいよ」
「〜〜っ!!」
その笑い方が優しくて、今度は林檎が、口をぱくぱくとさせる番だった。どきどきする心臓を抑えながら、格好つかない威嚇を、謎の少年にする。
「そ、それで、貴方は誰なんですか。名前くらいは、聞いて差し上げますが」
「名前は教えられないんだ、って言ったよね」
「なんですか、それは。信用するに値しませんね」
林檎は少年の言葉を嘲笑った。初恋の少年と重なるとでも思ったのだろうか。だとしたら、あさはかな考えだ。
「……でも、君にだけは、覚えていてほしくて。思い出してほしくて。僕の名前はねーー与野崎士って言うんだ」
その瞬間、多原にはわかった。殺気ってやつだ。
あるとき花蕊さんに向けられたものと同じものを、林檎さんが、初恋の少年(仮)に向けている。しかしなぜ?
「与野崎。本気でそれを言っているのですか」
橿屋さんもまた、戦闘態勢に入っているようだ。ついていけてないのは多原だけだが、多原にできることはせいぜい、頭上にはてなマークを浮かべることだけ。
だけどはてなマークを浮かべて突っ立ってるわけにもいかないので、多原は精一杯キリッとした顔で少年を見た。少年ーー与野崎士と名乗った彼は、多原にひらひらと手を振る。多原もキリッとした顔で振り返して、「多原様!」と林檎さんに咎められる。
「“演説事件”の最重要人物の苗字を名乗る人間など、信用してはなりません! だいたい、与野崎傑に子息はいない筈です」
演説事件。多原の父が、レイ姉ちゃんのお父さんに勝ったというあの事件である。だけど父は、あの事件についてなかなか話してくれないので、多原は詳しいことを知らない。
知ってるのは、芝ヶ崎格って人が悪いということだけ。
「その通り。それを名乗るなんて、一体どういう魂胆だ、ガキ?」
微妙に口の悪い橿屋さんが、ちびりそうな低い声で士少年(仮)に問う。士は、肩をすくめた。
「魂胆も何も。本当のことだから話しただけですよ、橿屋さん。僕はね、父から、存在を抹消された人間なんです」
「ーーつまり僕は、芝ヶ崎格の残党の追手から身を隠すために、この島に療養と称して滞在していた。最初から、病人じゃなかったんだ」
「成程、筋は通りますね」
一切の感情を抜きにして。林檎は、息を吐いた後にそう言った。
裏切り者である与野崎傑の息子。その存在が露見すれば、芝ヶ崎格の一派に付け狙われる可能性が高い。
そこで、与野崎傑は、息子をこの島に連れてきて、療養施設の患者かのように装わせた。問題は、当の本人がそれを理解していなかったこと。与野崎士は、島をフラフラと出歩いて、林檎に出会ってしまったのだ。
「だけど父は、それを逆手にとった。僕の死を、葉山の令嬢を使って補強しようとしたんだ」
幸いにして、林檎は思った通りの勘違いをしてくれている。これを利用しない手はない。病気が悪化したかのような言い回しを息子にさせ、林檎と別れさせる。林檎が島からいなくなる日に、火葬炉から煙を出させる。
林檎は眉を顰めた。
「手が込みすぎていませんか」
「そうでなければ、あの人たちを騙せはしないよ」
与野崎士は、さらりとそう言った。
「いずれ、僕の存在は、芝ヶ崎格の一派にばれてしまうだろう。だからこそ、父は、君を利用して罠を張ったんだ」
「……」
果たしてそれは、信じて良いものだろうか。
あの父親を名乗る人間が、与野崎傑であるなどと?
林檎は、慎重に言葉を選ぶ。
「与野崎傑は、私は、名前しか知りません。写真でもあれば良いのですけれど」
「これで良かったら、どうぞ」
士は、持っていたスマホをタップして、橿屋に差し出した。橿屋が林檎にスマホの画面を見せる。写真を直撮りしたのだろうもの。
「……」
表情に出さないのが精一杯。だが、画面の中の人物は、まさしく、あの時の少年の父親を名乗る人物だった。
士が邪気なく笑う。
「信じてもらえたかな」
「まあ、信じようが信じまいが、林檎ちゃんからは情報を引き出せるってことだ。いやあ、貴陽君は良いタイミングであの島に行ってくれた!」
芝ヶ崎格はご機嫌だった。彼の終身ライバルである少年が、彼に都合よく動いてくれたからだ。
おかげで、葉山林檎の初恋の人間とやらを用意して、とある事実を確認できる。
『お、俺はよくわかりません。なんで、多原君は島に行くことになってるんですか……あの子は島が苦手なのに……』
電話向こうの青年が不満そうに言うのをもっともだと思いながら、しかし、妙な納得感に襲われているのも事実である。
「それは、貴陽君が貴陽君であるからじゃないのかな」
葉山林檎と決別すると思っていたのは、格もそう。だが、これはこれで面白い。
『あ、貴方の計画が総崩れになってるんですよ』
「でも、貴陽君の不確定要素は良心だけだから」
いざとなったらそれは、彼の非常に重要な弱点となるので、育てていく方針である。
「なんにせよ、これで、傑くんの弱点に近づいたってわけだ。息子が死んでようが死んでまいが、これを利用しない手はない」
『し、死んでたら利用できないじゃないですか』
「? 骨とか、あるだろ?」
何を不思議なことを言っているのだろうか、電話向こうの青年は。
「さあ、彼の報告を待とうじゃないか。鳶崎物商の証拠を隠蔽するのには失敗したけど、ここからは、僕達が攻める番だよ」




