門の向こう
「久しぶりだねーー林檎ちゃん」
「すごい」
桟橋に降り立った多原は、スーツケースの持ち手を握って、感嘆の声を漏らした。
なにせ、イメージとして思い描いていた島とピッタリだったからだ。
これはもう、デジャヴを覚えるレベル。
遮るものなどなにもない広い空、ところどころに見える深い緑に、崖の上にぽつんと見えるガードレール。どこを切り取っても、多原が思い描いていた島と寸分違っていなかった。これはもう、デジャヴ通り越して郷愁を覚えるレベルである。
「多原様?」
立ち止まってしまった多原を怪訝に思ったらしく、林檎さんが引き返してくる。眉を下げて、多原の体をぺたぺたと触った。
「どこか、お加減が優れないのですか? 船酔いですか? 歩き疲れましたか?」
「船酔いはともかく、歩き疲れたというのは心配しすぎでしょう。まだ船から出て少ししか経ってませんよ」
辟易したような声は、多原ではなく、林檎さんと共に引き返してきた橿屋さんの台詞である。
「お嬢様は、多原君を三歳児だと思ってるんですか? つーか、むやみに体を触らないでください。セクハラですよ」
「わ、私は純粋に多原様のことを心配してっ」
「触る必要はないでしょうが。あーぁ、無理してついてきて良かった。油断もスキもあったモンじゃない」
気のせいか、橿屋さんは、林檎さんに対して手厳しかった。もしかしたら、機嫌が悪いのかもしれない。
「橿屋、貴方は私の執事でしょう!?」
「だからこそ、お嬢様が犯罪者にならないように気を配っているんですよ。いいかい多原君、夜は絶対に、自分の部屋の鍵を開けちゃいけないよ」
低めの橿屋さんの声に、多原は、ごくりと唾を飲む。
「ま、まさか」
「そう、そのまさかだ……いやちょっと待て、飲み込みが早すぎる。もしかして」
「まさか、出るんですか」
なぜか、橿屋さんがつんのめってずっこけそうになった。
「だ、大丈夫ですか!? まさか、もう……」
「いや、これは別件」
疲れたような顔の橿屋さんは、弱々しい笑みを浮かべる。どう言おうか迷っているかのように。
「心配してくれてありがとう。えーと、幽霊は出ないよ。でも、防犯はしておくに越したことはない」
「それもそうですね」
多原は納得がいって、頷いた。たとえば、無いと思うけど賊が押し入ったとして。多原は足手まといになる自信しかないからだ。林檎さんを守る義務がある橿屋さんとしても、多原が閉じこもっていた方が安心だろう。
「すみません、橿屋さん。ご迷惑、おかけします」
自分の思いつきで、橿屋さんまで巻き込んでしまった。きっと、不機嫌に見えるのはそのせいだ。多原は深々とお辞儀をしたが、橿屋さんは苦笑い。
「迷惑だなんて、思ってないよ。俺からも、改めてお礼を言わせてくれ。お嬢様の話を、真摯に受け止めてくれてありがとう」
橿屋さんが、深々とお辞儀をする。多原もまた、「いえいえそんな」と、より角度をつけてお辞儀をし、それから橿屋さんが「そんなお辞儀を見せられたら」ともはや前屈のようなお辞儀をして、お辞儀のループは止まらなかった。
「多原様」
これ以上は頭が地面にめり込んでしまうと思われたそのとき、林檎さんが、多原の手を取った。
「早く、コテージで休みましょうか」
「そうですか、お加減がすぐれないのかと思いましたが……それなら、良かったです」
歩きながら、多原は、さきほど立ち止まってしまった理由を言った。林檎さんは、くすりと笑った。
「ですが、夏と冬では随分違うように見えますわ。空の色や雲の種類も、山の緑も、海の様子も」
「そうなんですか?」
「ええ。こんなに印象が違うのだと、私も驚いていましたの。変わってないのは」
林檎さんは、つと立ち止まって、とある方向を見た。多原もつられてそっちを見る。息を呑んだ。
そこにあるのは、白い塔。あんなに遠くにあって、小さく見えるのに、妙な存在感がある。
「あの塔だけ、ですわ」
コテージの中は、暖房が効いていて暖かかった。
荷物を置いた多原たちは、リビングにて作戦会議中。
「この島の公的機関は、全て沈黙。そんな少年など知らないの一点張りでした。療養施設の患者のプロフィールも教えてはもらえませんでした」
「というか、あの療養施設の患者は、あの少年が最後だったっぽいですね。詳しくは不明ですが、あの療養施設はもう廃墟になっているようです」
林檎さんの言葉に付け足して、橿屋さんが驚くべきことを口にする。
「経営していた法人の理事長の名前すら、徹底的に守られていてわかりませんでした。まるで、“探るな”とでも言われているように」
「あの少年の父親が、そうやって拒絶をしているようで……それ以上はと、思っていたのですが」
林檎さんが弱々しい笑みを浮かべて、多原の胸はきゅっと締まった。机のヘリを掴んで静かに立ち上がる。
死んじゃった人の気持ちは、本人にしかわからないけれど。多原はその子にはなれないけれども。
「俺が、その子と似ているんなら、きっと、見つけてほしいです。見つけられないのは、寂しいことだと思う、から」
勢い込んで言ってしまったけれど。多原の語気は、だんだんと弱々しくなるばかり。けれどそれではいけないと、拳を握りしめた。
「現場百遍です! まずは、その療養施設に行きましょう!」
「よしきた!」
「ありがとうございます、多原様」
その言葉を待っていたかのように、橿屋さんは親指を立て、林檎さんは、花のように微笑んだ。
「うわぁ、でかい」
多原、本日二度目の感嘆の声。タクシーの窓から覗いていた時は、あんなに小さく見えたのに、実際の療養施設はとても大きな建物だった。
「ここから、あの子は来ていたのですね」
林檎さんは、ものものしい門に手を伸ばしながら呟いた。そう、この療養施設には、鉄格子と言っても過言では無い門がついている。
今は、蔦が絡まって、土埃がついていて錆びているけれど、たぶん、初恋の少年がいた頃は、この門はピカピカの現役だった。
「塔にばかり目が行っていましたが……これは」
林檎さんは、悲しそうだった。門だけじゃない。この療養施設は、高い壁で覆われていて、中がよく見えない。外からも中からも、人を拒絶しているみたいだった。
「すごいジャンプ力があったのかな」
多原は思ったことそのままを言ってみた。橿屋さんが、神妙に頷く。
「棒高跳びの名手だったのかもしれないね」
「なるほど」
多原は、ぽんと手を打った。なるほど、それなら、少年がここを抜け出せたことに納得ができる……いやできない。
病弱な少年が棒高跳びの名手だなんて。
「周りを歩いてみましょうか」
林檎さんが、二人の会話に苦笑しながらそう言った。
歩くとなると、結構時間がかかった。多原たちは、コンクリートの石壁のどこかが綻んでないか見てみたけれど、そんなのはどこにも見つからなかった。鉄壁の要塞。まさに、そう言った感じの施設だ。
「不思議です。あの少年はどこから来たんでしょうか……この疑問が湧いただけでも、来た甲斐はありましたね」
「ですね。まさか、これほど警備が堅いとは」
門の前で、林檎さんと橿屋さんが話している。多原は少し離れたところで腕を組んで、療養施設と睨めっこ。一体少年はどこから来たんだろうか。というかずっと思ってたけど、少年が何回も脱走? して、療養施設の人たちが無反応なのが気になる。
「うーん、謎だ」
ひとしきり悩んで、多原が林檎さんたちのところに合流しようとした時だった。
林檎さんたちは、まだ話し込んでいた。というより、橿屋さんが何か言うのを林檎さんが顔を赤くして反論しているような……いや、そこじゃ、なくて。
「あ、あ」
「どした、多原君」
「多原様?」
まさに今、起きていることに、言葉が紡げなくなってしまう。多原は、言葉の代わりに、林檎さんたちの背後を指差した。
二人は気付いていないのだろうかーーやがて、門の向こうの人物は、がららと音を立てながら、鉄門を開き始めた。
「え?」
林檎さんが振り返る。橿屋さんが林檎さんを背に庇う。帽子を深く被ったその少年は、開けた門の隙間から、一歩、外に出てきた。
細身の少年だった。迷わず真っ直ぐ、橿屋さんの前に来て、いや違う、彼は、彼女の前に来たのだと、多原はわかった。
少年は帽子をとった。整った顔の少年だ。人なつこい笑みを浮かべて、彼はこう言った。
「久しぶりだねーー林檎ちゃん」




