島崎の推測
「坊っちゃま、外は冷えてしまいます」
「うん、わかってるよ。ありがとう」
肩にかけられた上着を手繰り寄せて、司佐は、遠くの光景を見ていた。
「なんで、お前が令様と!」
「身の程を知れ!」
二対一。少年を蹴ったり殴ったりしているのは、それほどに位の高くない家の人間だ。
ーー染先と、敦埼か。
円佐木の同類であることが、嘆かれるほどだ。対して、一の方。暴力を振るわれているのは。
「誰だろう……?」
本家の令嬢の名前が叫ばれているということは、その身近にいる人物。だけど、身の程を知れという言葉からは、あまり位の高くない家の人物だということが推測できる。
「あれは、多原の家の子ですね」
病弱な司佐に上着を被せてくれた侍女が、嫌悪感も露わに教えてくれる。
「格様を、死に追いやった男の子供です」
「そっか、あれが……」
多原貴陽。あの多原亘の息子にして、たびたび悪い噂をされている人物だ。多原は、染先と敦埼に暴力を振るわれながらも、決然とした表情を浮かべている。
ーーどうして、そんな表情ができるんだろう。
司佐は疑問に思う。賢くない、というのが、彼への感想だ。もっと哀れっぽい態度を取れば、二人も許してくれるだろうに。
ーー本当に、生きにくそうな子だなぁ。
だが、司佐の思いと裏腹に、当事者の二人は、なぜか、多原に声を震わせる。
「くそっ、なんでこいつ泣かないんだよ!?」
がくがくと、多原の肩を掴んで揺さぶる染先。人形のように、されるがままの多原。
「おい、なんだっけ、こいつがさっき泣きそうになった言葉!」
染先に問われて、敦埼が答える。
「あ、えーと。島流し、だっけ?」
その時である。何しても決然とした表情を崩さなかった多原が、がくがくと震え始めた。
「それだけは、それだけはぁ……」
「なんでこいつ島流しって言葉にめちゃくちゃ反応するんだよ」
「経験してねえだろ島流し。前世は罪人だったりすんのか?」
「落ちぶれた権力者かも知れねえな」
なぜか、多原の前世に興味津々の二人。
「何ですか、あのやりとりは……これだから、下位の家の者は」
呆れたように呟く侍女。それとは反対に、司佐は、目を輝かせていた。
柳のような存在だ。どんな暴風にさらされたとしても、抵抗をせず、受け流してしまう。そこには強い芯がある。いったい、どんな芯なのだろう……。
「島流しにされたら、美味しいもの食べれなくなるんでしょ? そんなの嫌だあ」
まさかの芯だった。食い意地が張っているだけだった。
「あー、そんな説明したけど、まさか、そっちがクリーンヒットするとは思わなかったなぁ」
敦埼が、頭をかきながら、困ったようにそう言う。
「こいつが無抵抗な理由、なんか、わかってきたぞ……」
「まじ? どういうことだ?」
「こいつはな……」
その時である。多原の名前を呼ぶ声が、遠くから聞こえた。その声の主は、誰あろう、芝ヶ崎令である。
「貴陽、どこにいるんだ? お前の父が、お前を迎えに来ているぞ」
遠くにいる司佐には、令が多原を探しながらも、真っ直ぐに三人のところに向かって行っていることがわかった。性格の悪いことで。
「あ、レイ姉ちゃん! こっちだよ!」
ぼろぼろの姿で、多原が明るい声で言う。染先と敦埼は分が悪いと判断したようで、ささっとその場から離れていく。
二人が消えたことに気付いた多原は、きょろきょろと辺りを見回して、悲しそうな声を出した。
「あれ、僕のローストビーフは……?」
『君は島が苦手なはずだけど』
多原は二つのことに震撼した。
林檎さんと島に行くことが、円佐木さんにバレていること。
そして、多原が島を苦手なことがバレていることだ。
送られてきた文面。スーツケースに荷物を詰めていた多原は、急いでスーツケースを閉じて、ベッドの下に無意味に隠した。
それから数分。いそいそとスーツケースを取り出し、旅行の準備をする。
「どどど、どっからバレた……!?」
心臓がドキドキバクバクしている。恐るべし、芝ヶ崎上位ランカー。
多原はふと思いついて、島崎にポチポチとメールを送った。
『俺は島が苦手だって知ってる?』
『知るか』
ぶっきらぼうな返事が、やや時間を置いて返ってくる。『知らない』でも、『知らん』でもないのは、彼が不機嫌な証拠だろう。島崎の永年親友である多原にはわかるが、理由がわからない。
「……はっ!」
しばらく考えて、多原は、島崎の苗字に“島”が入っていることに気付いた。またポチポチ。
『いや、島崎の島じゃなくて』
と、送信した途端、電話がかかってきた。
『どこを勘違いしてんだお前は』
呆れた声の島崎君は、別に怒ってなさそうだった。
『俺はな、お前が、のこのこと。お前を狙ってる葉山林檎と一緒に旅行することに怒ってんだよ』
違った。普通に怒っていた。昼間、それを話した時の島崎は「ふーん」という感じだったが、内心めちゃくちゃ怒っていたようだ。
「でも、林檎さんは俺本体は好きじゃないんだよ。俺は、初恋の人の代わりになれないし」
『葉山林檎が暴走しないとも限らないだろうが。いいか、多原。何があってもスマホを離すなよ。俺にすぐ電話を掛けれるようにしとけよ……これはお前が島に行くって言った時に言ったっけ。で、お前が、島が苦手な話だっけ』
怒りのテンションがひっこんで、冷静な島崎君が顔を見せる。
「そうそう。俺、実は島が苦手なんだよ」
『それなのに島に行くの、バカじゃね』
それはごもっとも。
「でも、たいして理由を覚えてないから多分そんなに重い理由はないんだと思う」
『大体、お前、島っていう島に行ったことないんだろ? なんでそれで苦手になるんだよ』
「さあ?」
『ほんとは島に行ったことあるんじゃねえの』
「ないない。林檎さんにも言ったけど、俺は島に行ったことなんてないよ」
多原は笑ってそう答えた。
『まあ、気をつけて行って、そんで帰ってこいよ。音信不通になったらその島に乗り込むからな』
そう言って、島崎は電話を切った。通話終了の画面を見て、多原は「やっぱり」と呟く。
多原が島が苦手なことは、島崎でさえ知り得ない情報なのである。それなのに、円佐木さんは知っていた。背筋が寒くなるばかりだ。
「くそっ、俺の封印された記憶に、何があるっていうんだ……!」
という、重要な人物ごっこをしてみたが、多原の場合、封印された記憶というよりは完全に忘れてるだけなのでやめた。
一方。
「まさか、葉山林檎から繋がるとはな……」
多原から強引に聞き出した(顔色を読んだともいう)島の名前。それは、島崎が今追っている人物に深く関係する場所だった。
『お前が追うべきなのは、与野崎傑だ』
渡会という名前を騙った染先桜次郎が、死の間際に残した言葉。与野崎というのは、十七年前の演説事件にて、芝ヶ崎格を裏切った男である。
彼の消息は、杳として知れない。島崎の力を持ってしても、情報の一部しか知ることができなかった。
唯一、手に入れられたのは、とある島に短期間滞在していたという情報。それが、多原が今度行く島で、滞在時期もぴったりと重なるのだから驚きだ。
「どうする、今更擦り寄っても警戒されるだけだし」
まさかここにきて、葉山林檎と袂を分かったのが効いてくるとは思わなかった。唯一の希望は多原だが、島崎はその多原を守る術として与野崎を探しているので、本末転倒である。
「でも、多原が島に行ったことないっていうのは、本当みたいだな」
あれだけ言っても、多原は強く否定した。てことは、島には行ってないのだろう。ということは、葉山林檎の初恋の相手は、多原ではないってことだ。
「だとしたら、なんで、与野崎傑はあの島にいた?」
多原亘の息子がいるわけでもない島に、なぜ。
島崎は、ネットで島の名前を検索した。なんの変哲もない島だ。変わっているのは、そこに書かれていない、感染症の患者を収容した負の歴史だけだ。
「まさか」
一つのことに思い当たって、島崎は、勢いよく立ち上がった。
廊下を歩いて資料庫へ。島崎は素早い手つきで資料を捲る。
与野崎傑、その家族構成。病弱な息子が一人いたが、その子供は行方不明。
ーーそれが、あの初恋の人間の正体だとしたら?
与野崎が、あの島にいた意味もわかる。病弱な息子を看取った後、彼はまた、どこかへと消えたのだとしたら。
島崎は、ひとつ、舌打ちした。すべて仮定の話だが。
「葉山林檎、なんつー面倒なことに巻き込まれてやがる」




