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多原くんの陰謀論  作者: 縞々タオル
芝ヶ崎内乱
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白い塔

「えっ……」


少年の反応に、林檎が抱いたのは、優越感ではなく罪悪感だった。


「死んじゃったの? 君のお母さん」


麦わら帽子を被っていてもわかる。少年は、悲しそうな表情を浮かべていた。


林檎は、少年をへこませるために、自分の母の死をひけらかしてしまったことに気付いて、顔を歪めた。葉山の人間として、なんと愚かなことをしてしまったのだろう。


少年が、あまりにもしゅんとしているものだから、林檎は話しづらくなってしまった。


「でも、どうしてお母さんのことで喧嘩しちゃったの?」


少年は、勇気を振り絞ったように、そう言った。林檎の心を軽くすると言ったから、それを果たそうとしているのだろう。それならばと、林檎は話し出した。


「……きっかけは、私が宿題に取り組んでいる時、父が持ってきたケーキです」

「宿題……うっ、あたまが」

「貴方も早く終わらせなさいな」


麦わら帽子ごと、頭を押さえた少年に、林檎は呆れた視線を送った。大方、健全な小学生らしい、宿題という言葉への拒否反応なのだろう。そのときの林檎は、そう思っていたのだ。


息を吐く。


「私は、ふと懐かしくなりました。お母様が入院する前、まだ、立っていられた頃。よく、林檎のケーキを焼いてくださったのです」

「林檎のケーキ? 美味しそう!」


帽子に表情は隠れているのに、コロコロと変化するのがよくわかる。惜しいなと、林檎は思った。


ーー帽子を脱いでくれれば、もっと表情がよくわかるのに。


などと思って、林檎は、顔をぶんぶんぶん! と高速で横に振った。なにが惜しい、だ。こんな少年の素顔を見たところで、まったく得なんてしないではないか。


「ど、どうしたの!? 具合悪いの?」


あわあわとする少年に、冷静を装いながら。


「いえ……なんでもありませんわ。とにかく私は、懐かしくなってしまって、お母様との思い出を父に話して、共感を求めてしまったのです」

「きょうかん」

「同じ気持ちを持って欲しいと思ったのですわ」


やさしく言い換えると、少年は、うんうんと頷いた。


「大切な思い出だもんね、君にとっての!」

「ええ。本当に、大切な……」


林檎の声は暗くなってしまった。しばらく、二人の間には沈黙が降りて、空にいるウミネコの声だけが、あたりに響いた。


「ですが、父はその思い出を知らなかったのです。当然です。お母様がケーキを焼いてくれたのは、父が家にいない時だったのですから」











「今でこそ、父は落ち着いていますが、当時の父は、がむしゃらに働いていたのです。葉山の家に頼ることなく、独り立ちをしようと」


林檎さんは、瞼を伏せてそう言った。多原は、何かを言おうとしたけれど、できなかった。


「お母様が林檎のケーキを焼いた日は、二人で父の帰りを待っていました。父の分のケーキもあったんです。けれど、父は帰ってこなかった。近くのホテルに泊まって、それからまた出社して……結局、林檎のケーキは、私のお腹に収まったのです」


温め直された林檎のケーキは、なぜだか、味がしなかったように思えたらしい。


「今でこそ、父の気持ちもわかりますが、当時の私の性格は非常に悪かったのです。だから、父とケンカをしてしまいました」

 










「父は、当然ながら、林檎のケーキを知らなかったのです。私は、とっても腹が立って、こう言ってしまいました。“お父様は、病院にもあまり顔を見せませんでしたからね!”って。父は、黙ってそれを聞いていました。それがすごく嫌で、私は、父のことを大嫌いと言って、家を出てきたのです」


林檎にしては、饒舌な喋り方だった。つい、話すたびに興奮して、言葉が飛び出してしまう。


「……家族よりも、お仕事を優先したんです。私の父は」


仕事なんてほったらかして、母のそばについていてほしかった。お菓子を作る時、いつも父の分を作っていた母が、最期に会いたい人間は、わかりきっていたのに。


それなのに、父は、母の最期に間に合わなかった。


林檎と父の間には、そのわだかまりが、いつになっても横たわっていたのだ。少年は、しばらく黙っていたが、


「ぼくのお父さんと、足して二で割ったら、ちょうどいいかもしれない」


真剣な喋り方で、そう言う。


「ぼくのお父さんは、仕事よりも家族を優先してここに来たから」

「ふふっ、なんですか、それ」


林檎はくすりと笑ってしまう。林檎の話の重さに合わせて出した答えがそれか。だが、少年の声色は、思ったよりも重苦しかった。


「仕事を辞めるって言うのを止めて、なんとかここにやってきたんだ。今でも、ぼくを見て“会社をつぶしてやる”って言ってるよ」

「……それは」


林檎は、何と言っていいかわからなくなってしまった。林檎の父も林檎の父だが、少年の父も少年の父な気がする。

仕事よりも家族を優先してほしいと思ったけれど、それもなんだか違うような気がしてきた。


……そもそも。


頭上を飛ぶウミネコの声につられて、林檎は、顔を上げる。見事なまでの晴天。台所の窓から見た青空にそっくりだ。


『お父さんが帰ってきたら、喜んでくれるかしら?』


帰ってこない日が何回あっても。母は、父の分のケーキを作ることをやめようとしなかった。倒れたあの日だって、そうだったのだ。


「会いにきて欲しいって、思ってましたが」


林檎はぽつりと呟いた。


「父の分のケーキを作るあの時間こそが、母にとって、なによりも幸せだったのかもしれません」


ケーキを作ること。それ自体、父に帰ってきてほしかったんじゃなくて。


「死者の気持ちはわかりませんけど、たぶん、母は……」


ケーキを作ることで、働いている父を労いたかったのかもしれない。


「大丈夫?」


林檎の震える声に気付いた少年が、気遣わしげにこちらを見てくる。林檎は、目元をぐしぐしと腕で拭った。


とびきりの笑顔を浮かべる。


「ええ、大丈夫ですわ。それより、名前をお聞かせくださる? あなたの言う通り、話したら、気持ちが軽くなったんです。なにかお礼をしたくて」


「ーーごめんね、名前は言えないんだ」


「え」


晴れ晴れとした林檎の気持ちは、一気に突き放された気分になった。愕然とする林檎に、申し訳なさそうな少年は、俯きがちに言う。少年が俯いたことで、遠くの岬にある白い塔が姿を見せる。


「お父さんが、名前は教えちゃダメって」

「そ、そうですかっ。奇遇ですねっ、私も、名前を教えたらダメだと言われていますわ」


張り合うというより、少年のことを気遣って、林檎はそう言った。

もとより葉山の跡取りの名前である。簡単に教えるわけにはいかないが、この少年になら、教えてあげても良いと思っていた。


「ほ、ほんとう?」

「本当です。名前は、軽々しく教えるものではありません。どんなトラブルに巻き込まれるか、わかりませんからね」

「なるほど、お父さんもそれを知ってたのかな」

「さあ、それは、わかりませんけど……」


聞く限り、少年の父親は、少年を大切にしすぎている。騙されやすそうな、素直な少年だ。


「あなたのお父様は、私と会っていることを、知っているんですか?」

「ううん、知らないよ」


少年は、いたずらっぽそうに、舌を出した。


「だって、誰かに会ったって話したら、また泣かれちゃうもの。ぼく、お父さんには泣いてほしくないんだ」


父親思いか、父親思いではないのか、よくわからない少年だ。


少年が体を起こす。向きを変えて、ガードレールの向こうを指差した。


「だから、いつも、あそこで遊んでるって話してるよ」


岬にある白い塔。


灯台よりも大きなそれは。


ーー療養施設。


林檎は、小さく、息を呑んだ。


父と、この島に来た時の会話が、蘇る。






『どうして、存続させようとするのですか?』

『悲劇を忘れてはならないからだよ』


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