09 オリエンテーション(ミレーヌ視点+後半アイトリー視点)
「きゃっ怖いですねカイン様」
「そうだねー、気を付けないと落ちちゃいそうで怖いね」
学院が新入生向けに行うオリエンテーション。自由参加だけれどもほとんどの新入生が参加すると言っても過言ではない。
例年200名を超える参加者を一日で案内するのだから、グループに分けて回ることになる。私は運よくカイン様と同じグループになることが出来た。
入寮後、入学式が終わってすぐに実力試験が行われていたせいでお会いする機会がなかったし、そのあともなかなか会えなかったから、やっぱり雲の上の人なんだなって思ってたけど、こうして縁があるとやっぱりカイン様は私の運命の王子様なんかじゃないかって思えてきてしまう。
でも、カイン様にはセイラ様っていうきれいな婚約者がいるんだから、こんな気持ち持っちゃだめよね。
そんなことを考えてると、ドンッ、と後ろから誰かに押されて、のぞき込んでいた訓練用の崖に向かって体がぐらついて。
「大丈夫?」
「は、はい」
ヘナヘナとその場にしゃがみこんでどくどくとなる心臓を制服の上から抑え込んで、カイン様に向かって弱弱しい笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、ぶつかってしまいましたね」
「人が多いからね、お互いに気を付けないと」
「そうですわね。ではカイン様、私どもは先に出て待っておりますので、ミレーヌ様が落ち着かれたらいらしてくださいませ」
「うん」
そう言って離れていくのは留学生のケーテ様。カイン様も手を振ってからすぐに私のほうを見て手を差し伸べようとした瞬間、横から別の手と腕が伸びてきて私を支えるように立たせてくれる。
「大丈夫?」
「は、はい」
同じグループのアイトリー様。長い黒髪はきれいに後ろで結ばれていて、見つめてくる紫の瞳に引き込まれそうになる。
「かわいい君に怪我がなくてよかった」
「そんな、かわいいだなんて」
思わず頬を赤らめてはにかむと、甘くとろけるような笑みを向けられて、そのまま腰に手を当てられてエスコートされるように訓練施設の出口に向かう。
カイン様はもう先に行ってしまって、出口のところでケーテ様たちと話をしている。
何だお前?
腰に手を当てて大げさなほどにエスコートしてくる優男を横目で見ながらうんざりな気分になる。
今日のオリエンテーションではセイラが私を訓練用の崖から突き落とそうとするイベントが起きるはずなのに、肝心のセイラがいないじゃないっ!
それでも崖をのぞき込む様に待ってれば本当に、マジでちょっとぶつかった感じで体が押されて、もちろんその程度の力じゃ崖の下に落ちるわけもなく、ただびっくりしてしゃがみこんでしまっただけで終わってしまった。
ってかなんで留学生なんだよ!ったく、グループのメンバーが決まった時にお久しぶりですとか言われたけど、覚えてねーよ、誰だよお前。
他の人からの質問に私の入寮日にあったとか言ってたけど、あれか、あの私を馬鹿にしてくれた女か。
今回のグループは私とカイン様、留学生のケーテ様とアイトリー様、他は中央貴族のやつらが4名。
なんだってのよこんな消化不良のイベントじゃ好感度が上がらないじゃないのっ!しかもよりによってはじめて公衆の面前でカイン様に抱き着くチャンスだったのに、このチャラ男が邪魔しやがって!
「あ、あの。もう大丈夫ですので」
「本当かい?無理はいけないよ」
「はい、本当に」
大丈夫だから離しやがれっ!腰になれなれしく触ってんじゃねーよ気色悪い!
「そう。じゃあ残念だけど」
そう言って手を放してあっさりと離れていくチャラ男に舌打ちしたい気分になったけど、この位置だとカイン様に気が付かれるからできないか。
イライラするっ!
ってか!なんで他の女がカイン様と仲良く話してるわけ?お前らなんかモブなんだよ!カイン様に近づいてんじゃねーよ!
「カイン様」
「あ、ミレーヌ来たんだね。じゃあ次に行こうか」
一瞬視線を向けただけですぐに他の連中と一緒になって先に進んでいく。
ってかさ、私はさっき崖から落ちそうになったわけじゃん?なのになんであんな軽い謝罪で済まされてるわけ?
人命かかってるってのにざけんなよ?
「あっ痛っ…」
「ん?」
急に足首を押さえた私にグループのメンバーだけじゃなく周囲の生徒の視線が向けられる。
「さっきケーテ様に崖のほうに押されたときに足首をひねったみたいで…」
「まあ!それは大変ですわ。すぐに治療いたしますね」
「え?」
カイン様の横にいたはずのケーテ様が、すぐさま走って傍まで来て私の足元にしゃがみこむと、足首に手を当てて何か呪文を唱えてくる。
足首にほんわかとした温かみが広がった気がした。
「いかがでしょう、もう痛みはありませんか?」
「え?あ、はい」
「それはよかったです。本当に先ほどは申し訳ありませんでした。もっと私が注意していればよかったですわね」
「ケーテ様は悪くないよ。多かれ少なかれ生徒同士でぶつかってたし。それにしてもミレーヌは大げさだね、崖のほうに押されたなんて」
頭を下げられて気分がよくなってたところに、カイン様が来て苦笑してそんなことを言ってくる。
くっそ。やっぱりただの留学生じゃパンチが薄いか。
ここで粘ったら私の心証が悪くなるかもしれないわね。
「そうですね。ごめんなさい、なんだか気が動転してて。あんなに高いところを見たせいですね」
「お気になさらないでください。お怪我をさせてしまったのは私の不注意ですもの」
ケーテ様の言葉に私も頭を下げる。
ったく、せっかく怪我の演技までしたってのにしゃしゃりでやがって。お前はそのままおとなしく悪役代理でもしてろってんだよ!
「ほら、皆。進まないと他の生徒に迷惑になるよ。ミレーヌ様、なんだったらお姫様抱っこしてお連れするよ?」
「け、結構ですっ!」
なんなのこのチャラ男!気持ちわるっえ?なに?自分はイケメンとか思っちゃってるタイプ?
確かにイケメンだけどタイプじゃないのよね。それに何人もの女生徒に手を出してるって噂、知ってんのよ。この私がその他大勢になるなんてありえねーし。
「あっはは、元気だねミレーヌ様」
駆け出してカイン様のほうに行く私の後ろからそんな声が聞こえてくる。ああっ気持ち悪い。
「……怪我、してませんでした」
ケーテ様の小さなつぶやきに思わず苦笑が漏れる。
「だろうね。腰を支えてるときに平然と両足をついてたから」
「何のつもりでしょうか?」
「気を引きたがってるんじゃない?君の悪評を広めようとしてるわけじゃないと思うよ?」
「そうですか。それにしても、わざと私にミレーヌ様にぶつからせて何がなさりたいんですか、アイトリー様」
笑みを浮かべながらもこちらを睨んでくる所作は流石「ウアマティ王国聖女」に最も近いと言われる女性だね。
先日の留学生交流会ではセイラ様へのファン心を前面に押し出していたけど、羨ましいっと、つい本音が。
「なに、ちょっと確認したくて」
この世界がゲームの舞台と似ていると思ったのはこの学院に来た当日。前世で妹がやりこんで、挙句の果てには攻略に散々付き合わされたからなんとなく覚えてる。
あいにく僕はヒロインよりも唯一のライバルキャラのセイラ様のほうが好みだったけどね。婚約破棄を突き付けられて、泣いた姿のスチルはぞくっとするぐらいきれいだったんだよなぁ。
まあ、実際にはきつめの化粧なんかしない儚げ系美少女なんだけど、あのスタイルは間違いなくゲームのセイラ様と同一人物だってわかるよな。
「確認ですか、まあいいですけど。留学中とはいえ私たちは国の代表。国交間に問題のない範囲でお願いしますね」
「はいはい」
多分、セイラ様とミレーヌ様は前世の記憶もちってところだろう。
僕は今のところノーマークかな?ゲームには出てこないモブだしね。
ミレーヌ様の攻略目標はカイン様、他のキャラはどうかはわかんないけど、どのキャラを攻略するにもセイラ様がミレーヌ様をいじめてその逆境をばねにのし上がるって環境を作んなくちゃいけないわけだ。
でも、セイラ様がそうやすやすとさせてくれるとも思えないし、これはどうなるかね。
「さて、どっちの味方になったものか」
「はい?何か言いましたか?」
「なんでもないよ」
幾分先を歩いていたケーテ様が振り返ってきたので肩をすくめて少し歩調を速めて並んで歩く。
「それにしても、ペレト様とアルスデヤ様が不参加とはね」
「そうですね。セイラ様とご一緒に散策に行かれたとのことです。私もそちらに参加すればよかったですわ」
「あはは、まあ最初の情報戦は向こうの勝ちってことかな」
「負けていられませんわね」
本当に悔しそうな顔に思わず笑ってしまいそうになる。セイラ様の武勇伝とあの儚げな雰囲気のギャップにすっかり虜になってるみたいだな。
問題がなければこのままカイン王子に嫁ぐセイラ様と親しくしておくことに損はない。
有事の際に影響を及ぼすのは結局のところ王家と12公爵家とのつながりだ。
僕も実際にそういう指示を受けて留学している。
ガイナック様はカイン様に接触を試みているし、ラウニーシュ神国の二人の王女もカイン様を篭絡しようとしている。
せめて12公爵家の令息にしておくべきだと思うんだけど、まあそこは自己判断。
それでいくとペレト様とアルスデヤ様は一歩先に行っているといえるし、ケーテ様も十分にセイラ様にアピールできている。
「ほらー、皆ー。次の施設が見えてきたよー」
おっとりとした声でそういうカイン様にミレーヌ様が我先にと駆け寄って淑女としてはあまりにも近い距離をキープする。
他のグループメンバーと一緒に2人から一歩引いて次の施設、簡単に言えば弓道場に入っていく。
このカイン様も、なんというか表面通りじゃなさそうなんだよな。セイラ様に随分ご執心みたいだし。
先日の留学生交流会で垣間見せたセイラ様への独占欲や執着は、さすがの僕たちのような各国の王族に近い人間でもちょっとぞっとするものがあったしね。