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意地悪な義姉は魔法使いにジョブチェンジしました  作者: 秋澤 えで


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魔法使いの少年の話 前編

 私には愛した人がいた。

 私はその人に愛されたかった。

 期待されていた。期待に応えた。

 望まれていた。望みを叶えた。

 求められるなら、なんでもした。

 彼は私を望んだ、私を褒めそやした、私に期待した、私をしまい込んだ。

 けれど愛してはくれなかった。

 それは僕が至らないせいか。

 それは僕の力が足りないせいか。

 それは僕の頭が悪いせいか。

「私には妻と子がいてね……」

 榛色の目が、まぶしそうに細められる。

「かわいい大切な私の“家族”だ」

 そうか、と気づく。

 “家族”でないから愛されないのか、と。



***************************



「何言ってるんです、あなたは」



 苦虫をかみつぶしたような顔をするカトレアに首をかしげる。



「パトリシアと仲良くなりたいんだが、どうしたらいい?」

「聞こえなかったわけではありません。何を思ってそう宣っているのかと聞いているんです」



 仕事が早めに終わり、二人そろって街のカフェにいた。仕事終わりはとにかくお腹が空くし、頭が糖分を欲しがる。カトレアの前にはクリームと旬の桃が丸ごと乗ったかき氷。私の前には生クリームが塔のようにそびえたつ8枚のパンケーキ。

 カトレアの言っている意味が分からず、フォークで生クリームを掬って頬張った。


 重々しく吐かれたため息が耳に痛い。

 私が宮廷魔法使いとなり、ユーグ・デルフィニウムになってから早3か月。その中で最も時間を共有しているのがこのカトレアだ。職場同じなうえに、養子に入ったという新入りの私を気遣い、何かと同じ仕事に回される。というよりカトレアの仕事ぶりを見ながら宮廷のことを覚えろと言った意味合いが強いのだろう。彼女の仕事は難しい専門的な仕事ではなく、誰にでもできる仕事だ。その代わり、周囲を観察する余裕もあり、宮廷で働く非魔法使いからの覚えも一番いい。



「あなたは本当に、どうしてそう……」



 この期間で私はいったい何度彼女にこの顔をされ、何度重々しいため息を吐かれたことか。彼女の顔には「心底呆れた手に負えない」と書いてある



「すまないカトレア。私の何が“また”駄目だったのだろう」

「……本当にわかっていない、といったあたり、引っ叩いたところで溜飲は下がりませんね」



 スプーンでよく熟れた桃を突き刺す。氷の中に桃が沈んだ。



「あなたはどうして私たちに好かれていないか、そこを理解していますか?」

「私たち? パトリシアだけじゃないのか?」

「本当にそういうとこだぞあんた」



 大口を開けてかき氷をかっ食らうカトレアに困惑する。

 私たち、とは不思議な物言いをする。私たち、と彼女は言ったが、カトレアは私のことを嫌いではないだろう。仕事だってよく一緒だし、彼女は仕事や宮廷のこと、一般常識をよく教えてくれる。それこそ仕事終わりにこうして同じテーブルについてくれるくらいには。



「私たちは家族だろう?」

「……家族」

「ああ。同じ姓を持ち、同じものを食べ、話し合うことができ、笑い合うことができる」

「……」

「それが“家族”だろう。そして家族は愛し合うものだ」



 薄めのパンケーキはナイフを入れるとすっと切れた。万事このナイフとパンケーキのように解決できたなら、きっと私にもこの世のことがよく解るだろうに。



「……あなたは“家族”である私たちを愛していると?」

「ああ、私は君のことを愛してるし、君も私のことを愛してるだろう?」

「…………真人間の皮を被って狂人ムーブするのやめてくれません?」

「なんの話だ?」



 カトレアはぐったりと項垂れながら「何から手を付ければ」と低く唸り声をあげていた。また何か間違ってしまったか、と困惑する。だが何を間違えたのかがわからない。


 家族は愛し合うものだ。

 愛とは同じ時間を過ごし、同じものを共有し、笑い合うことだ。

 家族とは上記を満たしながら同じ姓を持つことだ。


 新ためて己の中で反芻するが、何一つ間違っているところは見当たらなかった。

 カトレアは家族であるし、愛している。

 ジト目でこちらを見上げるカトレアの目は紫苑のような淡い紫色。遺伝ではなく、魔法使いにのみ許された妖精の色。私の双眸よりも薄く、師であるシモン・バーベナと比べれば白と呼ばうほどに薄い。



「……カトレア」

「今度は何です」

「君の目は、もともとその色か?」

「脈絡。……いえ、こちらは魔法使いになってから変色しました。元の色はパトリシアと同じ榛色です」



 いつも少しけだるそうな目。いつか、その目は丸くて大きなヘーゼルだったのだろうか。



「まあ私の目はどうでもいいです」

「カトレア、早く食べないと氷が解けてしまう」

「話聞いてんのかアンタは」



 カトレアは怒った声をしていたが、事実だ。早く食べなければクリームと溶けた氷が混ざって甘い飲み物になってしまう。彼女は私と同様、甘いものが大好きだ。ならばおいしい状態で食べてもらいたい。きっとその方が彼女は幸せだろう。

 溶けかけた氷を掬い、食べきっていなかった桃を頬張っていると厳しかった目元が緩む。ふと、あれも愛だろうと気づいた。おいしいものを食べる、好きなものを食べる。食べればなくなってしまうものでも、ああも柔らかい視線を向けるなら、あれもまた愛だろう。

 ならばきっと、おいしいものを食べ、食べさせることも愛だ。



「……ともかく、あなたはもう少し物事を考えなさい」

「……今よりも? 自分で言うことではないが、私は物事を考えている方だ。魔法使いとしての勉強も、貴族としての仕事も、一般人の常識もよく考えている」

「言い方を間違えました。あなたはもう少し人の心を考えなさい」

「人の心?」



 心、とは感情のことだろうか。そうであればそれなりにわかっているはずだ。事象があり、それによって左右される。反射的に湧き上がる情動、それが感情であり、心だ。

 目を見て、口元を見て、顔色を見れば大抵の感情はわかる。



「何を言えばどう相手が感じるか。何をすれば相手が何を思うか。それは知ることはできません。ですがただ考えなさい。想像しなさい。そうすれば、パトリシアとなかなか“仲良く”できない理由も多少なりともわかるでしょう」

「……なるほど。意識してみよう」



 仲良くできない理由。それはそれなりに覚えがあった。

 私たちはもともと決して好き合う仲ではなかった。けれど姓を同じくする家族となった今、名実ともに家族となる必要があるのではないだろうか。現にカトレアと私は家族になった。ロベリアとも家族になった。あとはパトリシアだけだ。


 家族になるには、愛が必要だ。

 愛があるから、家族は本当の家族になりえる。

 愛がなければ本当の家族にはなれない。

 他の何を満たしたとしても、愛がなければ家族ではない。



「それから、あなたはもう一度“家族”と“愛”についてよく考えてください」

「それはもう、」

「あなたが考え尽くしたと思っていても、きっとそれは不十分です」



 カトレアは口元を拭きながらそう言い切った。思わず怪訝な顔をしてしまう。私は人生2周かけて愛について悩んだというのに、と思うと同時に、彼女もまた2周目であったと思い出す。一人でいる時間は長く、思考を巡らせる以外の時間の方が少ない人生だった。

 にも拘わらず、彼女は未だ足りないと言い切った。



「あなたは一人で考えていた」

「……考える、とは一人でするものだろう? 答えはいつだって内から出でるものだ」

「答えを出すために必要な水瓶があったとしましょう。その水瓶は自分で足さない限り嵩が増えることはありません。空の水瓶からは何も得られません。継ぎ足さない水瓶からは同じものしか得られません。本当にこの世の正しい姿を望むなら、新たに知識の水を注ぎなさい。知識が増し、豊かになるほど、正しさに近づくでしょう」

「知識の水、は他人の考えのことか。だが他人の考えが入ってしまえばそれはぶれて、」

「増やし得るのが知識、選び行使することが知恵ですよ」



 カトレアは底に残った溶けた氷を飲み干すと席を立った。自分も慌ててパンケーキを口の中に詰め込む。口の中がむやみやたらに甘かった。



「んぐ……ではカトレア、あなたの持つ愛とはなんだ?」

「思いやりと慈しみ、それから尊敬」

「では家族とは?」

「人が生れて初めて持つ、最小単位の社会。……こんなかわいいカフェでする問答じゃないですね。ここだけ空気が異様になってしまう」



 カトレアはさっとテーブルの上の伝票を持つとさっさと支払いを済ませて出て行ってしまった。

 一人おいていかれ、手元に投げつけられた答えだけを反芻する。


 “思いやりと慈しみ、それから尊敬”。

 “人が生れて初めて持つ、最小単位の社会”。


 なんだかまるで温度差のある二つの答えを手に、呆然としながら店を出た。





 ニコニコと無邪気に微笑む絶世の美女。そしてその隣に座る同じく穏やかに微笑む青年。

 部屋の中には二人しかいないが、すぐ奥の部屋や扉の外には物々しい兵士たちが控えている。

 少しシンデレラに相談したいことがあっただけなのだが、随分と大事になってしまったようだ。



「お久しぶりです! 魔法使い様!」

「お目通り叶い、恐悦至極です王太子妃殿下」

「まあ! そんな仰々しい……以前のようにシンデレラとお呼びください」



 もはやそのように呼べるような立場ではないのだが、シンデレラは誰に対しても以前と変わらない態度で接しようとする。その結果、周囲がかなり振り回されることになっているのだが、彼女はまるで気づいていないとのこと。

 彼女の笑顔を曇らせたいわけではないが、と隣に座っている王太子、アドニスに視線をやる。



「うーん、まあ身内しかいない時だけならいいんじゃないかな。君が恩人であることに変わりはないしね」



 一瞬フリーズする。

 この場で最も地位が高いのはアドニスだ。彼がいいと言っているのなら誰も文句は言えないだろう。だがしかしそれはあくまでもポーズであり、ここで辞するのが正しい選択なのか。いくら許可されたとしても王太子妃の名前をそう軽々に口にしても良いものなのだろうか。



「……はは、本当に構わないよ、ユーグ。彼女がいいと言っているんだ」

「ありがとうございます。ではそのように、シンデレラ」



 シンデレラの顔がパッと華やぐ。

 なるほど、おそらくこれが最適解だったのだろう。私にとってもアドニスにとっても。



「それでいったいどうされたのですか? 魔法使い様がわたしなんかに聞きたいことがあるだなんて」



 アドニスを見れば特に反応も見せない。おそらくあらかじめシンデレラから内容は聞いていたのだろう。

 二日前、シンデレラに向けて鳩に手紙を運ばせたのだ。自分には理解しがたいことがある。あなたであればわかるかもしれないから、相談に乗ってほしい、と。まだ新婚と呼ぶにふさわしい王太子妃のスケジュールは多忙を極める。手紙こそ簡単に送ってみせたが、返事はいつになるやらと期待はしていなかった。

 まさかものの数日でお目通り叶うとは思いもしなかったのだ。



「家族とはいったいどうやってなるものだろう、と」

「家族、ですか?」



 宝石のような青い目が不思議そうに瞬く。我ながら要領を得ない質問の仕方だったが、これ以上に簡潔に、かつ内容を的確に表す問い方がわからなかった。



「あなたにはたくさんの家族がいた。実の母親、実の父親、それにしばらく身を置いていたデルフィニウム家、そして今の王家。住む場所を変え、共に生活する人を変え、姓を変えた。私は、家族とは愛し合うものだと思っていたが、どうもそうではないらしいと聞いた。ともに生活し、同じ姓を持てば、家族になり、家族になれば愛し合うと」



 やはり口に出してみるとうまくまとまらない。

 私にとって家族とは愛し合うものだ。

 家族という概念を定義するにあたって必要な要素は「同じ場所に住むこと」「同じ姓を持つこと」。そして人は以上の要素を持った団体のことを家族と呼び、家族と来添えられる構成員はお互いにお互いを愛しているのだ。

 シンデレラはきょとんとした顔をして、それから噴出した。



「ふふふ、魔法使い様は不思議なことを言うのですね」

「不思議? どこがだ?」



 正直なところ、私はシンデレラからは同意を得られるだろうと思って訪ねてきていたのだ。彼女なら、誰からも愛し愛される彼女であれば、この自分の家族という考えを肯定してもらえるだろうという算段があったのだ。



「うーん、だって魔法使い様の今の考え方なら、“愛”はまるで当然ついてくる副産物のように聞こえるんですもの」



 今度は私が虚を突かれた。いやはや全くもって言いえて妙だった。その通りなのだ。家族団体になればその構成員は自然とお互いを愛するようになるのだ。ゆえに、家族でない者は、家族の愛以上のものを手に入れることはできない。



「それにそれだと、家族の形があまりに狭すぎます」

「家族の形?」

「ええだって、家族でも別々の家で暮らすこともあります。別の土地で暮らすこともあります。別のところで暮らしたからといって他人になるわけではありません。家族はどこにいたって家族です。姓にしてもそうです。私はアドニスさまと結婚してデルフィニウム姓ではなくなりました。でもお母さまやお義姉さまと他人になったわけではありません。別の姓だとしても、別の誰かと家族になったとしても、お母さまたちと家族でなくなったわけではないのです」



 子供でも知っている当然のことだと言うようにシンデレラは話す。


『可愛い大切な、私の家族だ』


 言われてはたと気づくが、その通りだ。必ずしも一緒に住むことが条件ではない。一緒に住んでいなくても、彼はシンデレラを家族として愛していた。



「それに魔法使い様、愛とはもっと自由なものですよ」

「そうさ、愛とは家族だけのものではない」



 シンデレラとアドニスが視線を合わせはにかみながら微笑む。

 喉の奥がなんだかひりついた。



「ユーグ、君は家族になれば愛し合うと言った。だが残念なことに家族であるというだけで愛し合えるわけではない。家族だとしても、憎しみ合うことはあるし、殺し合うこともあり。家族だからこそ生まれる憎悪だってある。ただ同時に、家族でなくても愛は生まれえる。僕とシンデレラは家族ではないが愛し合った。愛しているから家族になった」



 この青年はこれほどまでに明るく楽し気な表情を出すことができたのかと一人驚く。淡々とにこやかに冷静な王太子ではなく、私の目の前には“愛”に浮かされた若い青年がいた。



「愛にはもっとたくさんの形があります。魔法使い様の言った通りの家族への愛。恋焦がれ求める愛。大切な友人に向けた愛。きっともっと、いろんな人がいろんなものに向ける愛があると思います」

「愛、とは……」

「愛とは自由だよ」



 間髪入れず、迷いなく、二人の共通認識だと疑いなく言い放つ。彼は底抜けに自由だった。

 家族と愛というものは必ずしも同時にあるものではないという。



「では、家族になるにはどうすればいい?」

「家族になりましょうって。そう言って頷いてくれたならきっとその時から家族になれますよ。家族って抱擁に似てます。手を伸ばす人と受け止める人。難しいことなんかいりません」



 シンデレラは私に、パステルカラーのマカロンをいくつか持たせた。デルフィニウム家の面々にも渡してくれと。柵のない平民から、柵しかない王太子妃になった少女は、不自由になったはずなのに軽やかに私の手を握った。



「もちろん。魔法使い様も私の家族ですよ」

「……私が? 私とあなたは決して、」

「一緒に暮らしていなくても、私と違う姓を持っていても、あなたがユーグ・デルフィニウムであるなら、あなたは私の大切な家族ですよ。お義兄様」



 華奢で小さな手、つぶらな海色の目。

 どうしてこんなにも泣きたくなるのか。

 愛と家族について一人で考え続けていた私には、よくわかっていた。




「思ったより、カトレアは君に手を焼いているようだね」



物々しい警護に見送られ、一人帰るつもりだったのだが、何を思ってかアドニスが私についてきていた。



「手を焼く……ええ、そうですね。彼女にはよく呆れられています」

「まあそれはいいさ。デルフィニウム家は君のことを利用し倒すつもりだろうし、せいぜい甘えてやればいい」



 甘え、無縁な言葉に、口の中で反芻した。

 呆れられつつも、捨てられないところは甘えていると言えるのかもしれない。私が何を間違っても、見当違いなことを言っても、カトレアは決して手を離さない。

 デルフィニウム男爵夫人、ロベリアと接しているときは明確な悔恨と後悔が透けて見える。その悔いは全くもって見当違いだと思っているし、それを夫人にも説明しているが、彼女の態度が変わることはない。

 今では一応義妹にあたるパトリシアはけんもほろろで会話にもならない。顔を合わせるときは警戒と恨みのこもった視線を惜しむことなく浴びせられている。敢えて言葉にはされないが、態度と視線は顕著だ。

 三者三様のデルフィニウム男爵家。

 そんな彼らと私は、家族だ。そしてシンデレラもまた私の家族だという。



「殿下にこんなことを聞くのは、不躾なこととは思いますが」

「君のそれは今に始まったことじゃないから気にすることはないさ」

「……デルフィニウム家の方々と家族となった私はどうすればいいのでしょうか」

「どうって……ふふふ、良い大人が迷子のようなことを言う」



 なけなしの語彙はまともな形を成さず、たばこの煙が宙で溶けてなくなるように滲んだ。



「どう、というのはもちろん、デルフィニウム家の家長として振舞うとか、そういうことじゃあないだろう? 君はなんだかんだ頭の固い真面目だ。役割として求められていることは当然のごとくきっちり熟そうとするだろう」

「……在り方、ですかね。」



 それが一番、自分の感覚に近い言葉だと思った。


 在り方。

 家族とはかくあるべきという模範。


 家長として祭り上げられるなら、それにふさわしい振る舞いをしよう。かつての人生では誰にも顧みられることもなく、誰に見つけてもらうでもなく、ただ一人でぽつねんと生きることになった。けれど彼女らは、目的があったとはいえ家族という輪の中に私を組み込んでくれた。それだけで、私は彼女らの望むとおりに振舞おうと努力できるのだ。

 だがそれだけじゃない。



「私は、家族を勘違いしていたのかもしれません」



 家族だから、愛し合うのだと思っていた。

 だから私はデルフィニウム家の面々を愛していて、彼女らもまた私たちのことを愛していると。

 しかしいざ、私の作った囲いを取ってみれば、そんなものは空恐ろしいほどに空虚だった。カトレアに呆れられるのは当然だ。


 家族であっても、憎しみ合うこともある。要するに家族だから愛し合うわけではない。

 そして、家族でなくても、愛は生まれえるのだ

 なら、私は、



「君の言う正しい家族なんて言うのは、この世のどこにも存在しないよ」

「え……?」

「正しさなんて、誰も担保できない。もしできるという者がいればそれはきっと小説家か詐欺師さ。だから君の考える“家族”もまた、正しくないかもしれないし、そうじゃないかもしれない」



 私が思わず足を止めると、アドニスも足を止めて私を見上げた。

 2周分の私の人生の半分も生きていない青年は、まっすぐ私のことを見据えていた。



「誰にもわからないよ」

「……わからなくて、苦しくはなりませんか?」

「わからなくても、自分一人信じていればそれで事足りる。……それにほら、誰よりもわかってなくて、わかるつもりもさらさらない、自己愛と自信に満ちた男が来たよ」

「顔を合わせて早々随分なご挨拶だな、アドニス」



 すっかり見慣れた魔法使いのローブにけだるそうな紫色の目。

 妖精たちに選ばれた天才。



「ねえシモン。家族ってなんだと思う?」

「知るかそんなもん」

「ほらね。何も悩んでなさそうだろ?」



からからと笑うアドニスにシモンは不快そうに眉を顰めた。きっとここが王宮内でさえなければ脇腹をどついていることだろう。少なくとも魔法棟内に遊びに来たアドニスをしばいているところをこの数か月で何度も見た。



「いったい何の問答だ」

「ははは、ユーグが家族とは何たるかに悩んでいるみたいで、シンデレラにも相談してたんだ。ユーグ、他に誰に聞いた?」



 どこか緩い空気に戸惑いながら、カトレアの名前を口にする。



「カトレアはなんて?」

「家族とは、人が生れて初めて持つ、最小単位の社会、だと」

「あっはっはっはは! しょっぱい答えだなあ!」



 正解などないと言った舌の根も乾かぬうちに、人の答えを笑い飛ばせてしまう天真爛漫さに脱帽する。シモンのことを自己愛と自信に満ちた男と称していたが、アドニスはどっこいどっこいだろう。



「事実としては間違いないけど、ロマンがないなあ」

「それから愛とは、思いやりと慈しみ、それと尊敬だと」



 なぜか廊下に沈黙が落ちる。

 外を飛んでいくおしゃべりな鳥の声がやたらとクリアに聞こえた。

 笑うでも何を言うでもなく黙り込む二人に首をかしげる。

 愛とは自由だと言ったシンデレラとそう変わりなく、優しく穏やかな答えだと思ったのだが、二人にとっては違ったのかと顔色をうかがう。



「……ふうん」



 たっぷり時間を使って、ようやく発せられた音はシモンの相槌一つだけだった。



「ふ、くくく、良いね! 家族なんて知るかって言った君が、彼女の“愛”の一言に思いを巡らせるなんて! 君のことは前からずっと好きだけど、最近の君は輪にかけて好きだよ!」

「黙れ」

「ははは、すっかり人間らしくなってきたよね、妖精の君」



 我慢できなくなったのか、シモンがアドニスの肩をひっぱたく。近くにいた近衛兵と、妖精たちが色めき立った。しかしそれにも慣れているようで、近衛兵はアドニスが雑に制して、加勢しようとする妖精たちはシモンが吹き飛ばした。



「……ユーグ、考えるのはいいけどもう少し肩の力を抜くと良いよ。もう少し物事をシンプルに考えてもいいんじゃないかな」

「……ですが、考えないとわからないんじゃ」

「考えてもわからないものはわからないよ。いつか自分なりの答えにたどり着くことだってあるし、まったく悩まないで生きていけると思える日が来ることもある」



 彼にみたいにね、と懲りずに指をさすアドニスを鬱陶しそうにシモンが睨んだ。



「別になんだっていいだろ。一人で生きていく力があるなら家族なんて不要だ。ユーグ、お前だって別に求められたロールさえ熟していればなんの問題もないだろう。それ以上に何も望む」

「それは、」

「家族に何を期待している」



 自分より低い位置にある顔。

 アドニス同様自分の半分程度しか生きていないだろう青年は、いっそ老成しているような読めない表情で私のことを見上げていた。



「家族がなくても生きてこられたのだろう? ならばこれからも、いてもいなくても生きていくことはできるはずだ。それをなぜ今になってそう思い煩う。なぜ自分から生きづらく生きようとする」



 誰よりも深く透き通った紫の双眸に吸い込まれそうになる。

 自信と幸福に満ちたアドニスの青い目とも違う。深淵を覗くような、真実を映し出すような霊妙さに息をのんだ。

 それもまたきっと正しい。

 けれどその目を見れば見るほど、自分はそのようには生きられないのだと、ありありとわかった。



「……私は、求めすぎているんですね」

「知らん」



 あんまりにばっさりと、興味なさそうに切り捨てられてしまって、思わず笑ってしまった。

 知らないことを知りながら、そのままにする勇敢さと鷹揚さ。思い煩うことのないこともまた正解なのだろう。けれど私の正解ではなかった。



「シモンさん。愛とは何ですか?」

「望みであり、執着だ」



 寸の間の逡巡すらなく、シモンは答えた。

 そしてその目はそれが正解なのだと、疑念など許さないように燦然と輝いていた。



「家族と愛はセットではないよ、ユーグ。家族なんてかけらも知らない男も、愛は語れるんだ」

「いちいち喧嘩を売らないと気が済まないのか」

「ある種の愛情表現さ。それから、デルフィニウム夫人もカトレアも、君のことをある種愛していると思うよ?」

「はい?」



 突然再登場した家族である二人に目を丸くする。

 彼女たちが私のことを愛していると。

 家族だから愛しているのだという数式が崩れたところで、なぜそんなことを言えるのかと訝しがる。



「何言ってんだお前」

「声が怖いよシモン。夫人は君に負い目を感じているだろう。現男爵代理として、君を利用してしまっていることを一大人として。彼女のそれは罪悪感に満ちている。でもそれだけじゃない。少なくとも責務ある大人として、子供の君を慈しんでいる」



 聞けば聞くほど、思考が絡まる思いだった。

 負い目や罪悪感は感じ取っていた。けれどそこに慈しみというものがあっただろうか。あれは慈しみと名の付くものだったのだろうか。

 考えども考えども、“慈しみ”という概念の正しい姿を知らない私には判断がつかない。



「カトレアだってそうさ。例の夜、君の昏倒させられた彼女からすれば君のことは嫌って当然だ。それでも彼女は君の疑問に呆れながらも切り捨てずに根気強く対応している。それもまた一種の愛だよ。慈しみか、親愛か、なんて名前が付くかはわからないけれど」



 思わず、子供のように唇を噛んでしまった。

 今まで、家族だから愛しているのだと、およそ盲目的に思ってきた。だから家族であることを許したデルフィニウム家の面々は、私のことを許しているのだろうと。

 だが家族であるから愛し合っているという枠が壊れてしまえば、私たちのこの関係はなんと悍ましいものだろう。愛など、そこにあるはずがない。


 私は彼女らを殺したのだ。


 彼らは何も知らない。私たちに起こったこと、本来の物語を。

 シンデレラと王子は幸せに暮らし、義母と義姉は鳩に目を潰され死に、魔法使いは二度と誰にも顧みられず森の中で朽ちた。


 彼女たちは知っている。かつて私に殺されたことを、覚えている。

 だからこそ私のことを警戒し、パトリシアは殺そうとした。



「愛……」



 口の中で呟いた言葉は、まるで汚泥のように粘ついた。


 殺した私が殺された彼女たちに愛を求めるなど、なんと悍ましいことであろうか。

 どれだけ私が、デルフィニウム家の役に立てるよう努力したところで、私が殺害したという事実は決して消えない。


 あの目は。榛色の目は、憎しみと恐怖と怒りを綯交ぜにして、今も私の胸を貫くのだ。


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