11話 非魔法使い、祝福
師匠との出会いは本当に子供のころだ。物心がついて間もなく、いつか来るシンデレラの恐怖におびえながら、当時の私は手に職をつける方法を模索していた。
この国で安定している職場と言えば、王宮だ。今の王太子は兄弟もなく、後継者争いもない。他国との関係も良好で戦争の危険も低い。であればよほどのことがなければ倒産することもリストラされることもないのだ。安定万歳。
王宮の仕事と言えば、騎士、宮廷文官、料理人、侍女そして特殊な職業宮廷魔法使いだ。
まず騎士。無理。私にそんな腕力はないし、痛いのも嫌い。何より女騎士なんてそうそう聞かない。男社会でやっていける自信はない。
宮廷文官、まあワンチャン? 一応人生2周目なだけあって普通の子供よりかは頭は良い。でも神童も二十歳超えたらただの人、という言葉もある。今のうちはもてはやされるが、そのあとも他を圧倒するような頭脳を維持できる気がしない。
料理人、できなくは、ない? ただ宮廷の料理人になるにはかなりの技量が必要。今のうちにどこかに弟子入りするなり、住み込みで働かせてもらい修行を積む必要がある。ただ一応貴族である私がそうなるのをさすがの母も許してくれないと思う。だが正直鳥に目を喰われ挙句感染症で死んでいくくらいなら平民として細々と生きていく方がはるかにマシだと思う。
侍女、これが一番望みがある。王宮の侍女の大半は貴族の娘たちだ。一応貴族の端くれである私は平民よりかここに転がり込める可能性が高い。ただし転がり込むにはコネ、もしくは募集を行った際いち早く手を挙げられる情報網が必要だ。
最後に宮廷魔法使い。これが一番可能性がない。そもそも魔法を扱うためのセンスや才能必須なのだ。多くは子供のうちに才能の片鱗が見られ、修行を積みながら魔法使いとなる。だが前世の私にそんな片鱗は何もなかったため、これから才能が開花するとも思えない。
今の私にできることは宮廷の侍女となるため、積極的に貴族たちとかかわりを持ち、コネを作ること。もっとも、下級貴族の男爵家、自分でパーティを開いて人を呼ぶこともできないので、たまにある有力貴族のパーティにお呼ばれするのを涎を垂らしながら待っているのだ。この世は全く世知辛い。
そんな野望を抱いていたところ、ある日公爵令嬢の誕生日会に呼ばれた。公爵家は王家の分家にあたる。きっとご令嬢の誕生日には王宮関係者も来ているに違いない。それがだめでも公爵家の人と仲良くなっておいた方が何かと得だ。
けれどそんな私の思惑とは裏腹に、公爵令嬢の誕生日会で公爵家や王宮関係者の目に留まるような行いはできなかった。自分は一度死んでいる以外には実に平凡な男爵家の娘。大したアピールができるわけでもなく、私はただ祝い、挨拶するだけのモブと化した。今回の主役の公爵令嬢はずっと人に囲まれてて個人的なお話をできる雰囲気でもない。もはや彼女からすれば挨拶の流れ作業のようなものだろう。
実りそうにもない涙ぐましい努力にも疲れ、私はテーブルにあったスコーンをいくつか取って人が疎らな庭へと向かった。人がいるだけで、自分の平凡さと力のなさを見せつけられる気がしたのだ。このまま何も変えられず、私は死ぬのかと思うと泣きたくなる。
バラの咲く庭のどこかで一人スコーンを貪ろうとベンチを探していると何かが私の目の前を横切った。
蝶、にしては素早い、ハエにしては大きい。キラキラとした鱗粉が芝生に落ちていた。しかし何かの勘違いだろう、と適当なベンチに座ってスコーンを食べていると、どこからか視線を感じた。
「……えっ」
「やだやだ! 見つかっちゃった!」
そう喋ったのは蝶、ではなく翅の生えた小人。まさに人が想像する“妖精”だった。
バクバクと、心臓が聞いたこともない音を立てる。
存在は知っている、常に人の周りにいるけれど、普通の人間には見ることができない。私自身、今まで一度たりとも見たことがなかった。まさか妖精を見られる日が来るだなんて思いもしなかった。
「関係ない子。関係ない子だ。小さな幼子。幼子? 違う? 何か違う。でも小さな人の子」
「ようせい、さん?」
「やだやだ見えてる! 仕方ない、仕方ないわ!」
私の声など届かないとでは言うように一人でしゃべり続けるのを呆然としながら見ていた。
魔法使いではない私は、本来妖精を視認することはできない。実際、1周目の人生でだって見たことがなかった。にも拘わらず、今私は妖精の姿を見て、声を聞くことができる。
世界が一変する音した。
「おいしそう! いい匂い、いい匂いがする! 小麦の香り、バターの香り、キッチン・ブラウニーの香り! でもでもダメよブラウニー! 人からものをもらったらご主人様に怒られちゃう!」
怒られちゃう、というが大きな紫の目はスコーンにくぎ付けだ。
「あの、一つ食べる? 大きすぎるかもしれないけど」
「まあまあ良いの? 素敵、素敵な人の子。うふふふ、嬉しい、嬉しいわ!」
おずおずと差出した、自分の身体と同じくらいあるのではないかという大きさのスコーンを、妖精は軽々と受け取りそのままかじりつく。
「おいしいおいしいおいしいわ! 甘くてさくさくいい香り! ご主人さまには内緒なの! 王子はそのうち見つかるわ! 私は甘いさくさくが食べたいの!」
王子。ブラウニーの独り言に思わず目を瞠る。
そう言えばさっきからご主人様、と彼女は言っていた。この妖精は宮廷魔法使いに使役されているのだろうか。
これはワンチャン知り合う機会を、と思ったがスコーンに夢中な妖精は私の話なんか聞いちゃいない。
早々に諦めて妖精の隣で私もスコーンにかじりついた。
お近づきになれなくても、今回は生まれて初めて妖精を見ることができたのだ。これはこれで貴重な経験だ、と自分を納得させる。
「ありがとう、ありがとう変わった人の子! とってもとってもおいしかったわ!」
「それはよかった。ところであなたのお名前はなんていうの?」
「うふふふ、変わった人の子呪いの子! あなたってば何にも知らないのね! 私はブラウニー、ランプ・ブラウニー。導き見つけるブラウニー!」
「ランプ・ブラウニー」
固有の名前、ではなく種族なのだろうか。さっきも彼女はキッチン・ブラウニーと言っていた。もしかしたらそれぞれの住処で名前を分けているのかもしれない。
ふと突然誰かの足音がした。芝生を靴で踏む音
「ブラウニー! どこで油を売っている」
バラの木の間から姿を現したのは少年と呼ばれるべき年をわずかにすぎたように見える青年だった。黒髪にけだるげな紫の目、そして羽織っているのは宮勤めの魔法使いだけが着ることのできるローブ。
「まほうつかい、」
「あらあらやだやだご主人様! とってもおいしい匂いがして! この子よこの子、小さな子。この子が私に甘くてサクサクをくれたの!」
「仕事をさぼって幼子の菓子を取り上げるとは、ずいぶんな妖精だな」
反省も悪びれもしないランプ・ブラウニーは揶揄うように宙を舞う。
「私、私は悪くないわ! だってちょっと姿を見せたらこの子がくれるって言うんだもん! でもでももらったならお礼をしなくちゃ! 私、私は良い妖精! 人を助けるランプ・ブラウニー! だからあなたに祝福を!」
「え、え?」
「おいやめろ! 勝手なことを!」
「うふふふ可愛い呪いの子! お菓子一つ分の祝福を」
慌てた魔法使いが止めるより先にブラウニーが私に向かって細い腕を振る。突如として視界が光に包まれた。
何が起こっているのか理解できないたまま、ぎゅっと目を瞑った。けれどいつまでたっても何か変化が起きるでもなく、私はおそるおそる瞼を開けた。私にも周囲にも、何か変わったことはない。ただランプ・ブラウニーは魔法使いの片手に捕まってニヤニヤバタバタしていた。
「い、いったい何が……」
「……俺の妖精が悪かった。悪さはしてないと思うが、体調とか変わったこととかはないか」
そうして初めて魔法使いの顔をまともに見る。やはり目立つのは紫色の目だ。妖精を見ることが許された、魔法使いの目。魔法使いの存在は知っていたけれど、こんな風にまじまじとみる機会などなかった。紫色の瞳は深いアメジストのようで、他に見間違えようのない不思議な光を放っていた。
不躾に観察していた私に怒るでもなく、青年は私の顔を見返して聞いた。
「……お前、目の色は何色だ?」
「えと、榛色ですよ?」
父に似た榛色の両目。見ればわかることをどうして聞くのかと首を傾げると、年若い魔法使いは深く深くため息をついて、右手の妖精を強く握った。
「いたたた! 痛いわご主人様! 潰れちゃう! ひどい、ひどいわ、私はこんなにもご主人様に忠実なのに!」
「どこがだ忠実だ全く、さぼった挙句余計なことを。……お前、公爵令嬢のパーティの出席者だな。名前は、それと今日親は来てるか?」
「え、ええと、私はカトレア・デルフィニウム。デルフィニウム男爵の次女です。今日は母が一緒に来ています。……あの、何かあったんですか?」
何もなかった、と安堵していたのに、不穏な気配を察知する。たった今何が起こったのかわからないが、何かまずいことになっているらしい。おそらく、私だけでなく、保護者にも話さないといけないような事態。
諸悪の根源と思しき妖精はキイキイと文句を言っている。
魔法使いは黙って手を振った。すると何もない空中に小さな手鏡が現れる。初めて見る魔法につい興奮する。
「す、すごい! 魔法ですか!?」
「鏡をよく見ろ。お前の目の色が違うんじゃないか?」
「へ、」
目の前で使われた魔法にテンションを上げていると、呆れたような魔法使いに突然妙なことを言われる。
私の目は榛色だ。姉であるパトリシアもそう。少しくすんだヘーゼルの色。父から受け継いだ瞳の色だ。
けれど魔法で作られた鏡に映る私の目は、どうしてかランプ・ブラウニーや魔法使いの青年と同じ、淡い紫色の目だった。
そこからは怒涛の展開だった。魔法使いに抱き上げられ、強制連行されると他の宮廷魔術師に預けられた。再び件の魔法使いが戻ってきたときには深刻そうな顔をした母ロベリアを連れていて、そしてあれよあれよと説明を受ける。
紫の目は魔法が使える者の証。直前まで目の色が榛色で、突如紫色に変わったのは魔法使いの使役していた妖精、ランプ・ブラウニーのいたずらと祝福のせいだという。要するに、魔法の才能はなかったはずなのに、スコーンを食べたかったランプ・ブラウニーが紫の瞳を勝手に与えたあと、お礼と称した祝福により魔法の才能を得たということだ。
魔法使いたちは母に平謝りしていたが、母は驚いてはいたものの怒ったりすることなくただ思案顔をしていた。
「現状目以外に大きな変化はなく、祝福を行ったのも低級の妖精のため大したことはないと思うが、どんな祝福を受けたのか、どんな魔法が使えるのかを調べる必要がある」
「なるほど、わかりました。祝福と言うのを受けたことで、この子が何か被害を受けたり不利益を被ることは基本的にはない、ということでよろしいですか?」
「ええ、基本的にはないかと」
私のことなのに母と青年魔法使いが話しているばかりで、私はと言えば女性の魔法使いの膝に乗せられクッキーやチョコレートを渡されながら待機している。おいしいが、それより私は私の未来のことについて考えなければならないのだ。
少し離れたところにいる魔法使いたちが小声で話しているのが聞こえる。
「後天的な魔法使いなんて聞いたことがない」
「そもそも妖精が魔法使い以外に祝福を授けること自体がない。あいつらは気分屋だからな……」
「一体どんな祝福を受けたんだ。どんな魔法が使えるんだろうな」
「でも何か大きな魔法が使えたら、もう今までの生活は……」
ちら、とこちらを見た魔法使いと目が合った。魔法使いたちは慌てて目を逸らす。
しかし私はここに天啓を得た。
これ、私宮廷勤めできるんじゃないか?
どんな魔法が使えるかはわからないが、魔法使いは基本的に王宮に囲われ、宮廷魔法使いとして働いている。これで宮廷入りできれば本来の目的は大いに果たしている。
「ねえ魔法使いのお姉さん! 私も魔法使いになれる? お姉さんたちと一緒に働ける?」
「ええと、そうね。魔法使いはみんな王宮で働いてるから。……でも他になりたいものとか、夢があるなら言った方が良いわ。今回は事故みたいなものだし、大事になる前ならきっと何とかなるわ」
「私、魔法使いになりたい! 魔法使いになってみんなと働きたいです!」
魔法使いになって生き残りたいです、という必死すぎる願いは胸の奥に置いておき、無邪気なお子様として返事をしておく。そうでなくても、魔法使いなんて同じ国にいてもファンタジーな存在だ。下級貴族程度じゃ普通お目にかかれないエリート職業。突然転がり込んできたチャンス。利用しない手はない。
「魔法使いになりたいか」
いつの間にか戻ってきていた黒髪の魔法使いが私を見下ろす。他の魔法使いたちの反応からして、彼らの中で一番偉いのはこの最年少に見える青年らしい。
「なりたいです! 私も魔法を使えるようになりたい」
「巻き込んですまなかった。俺は宮廷魔法使いのシモン・バーベナ。お前にこれから魔法の使い方、神秘を教えることになる」
まるで大人に接するように握手を求められ、私はためらうことなくその手を取った。幼さの残る青年の手も、6歳の幼女である私には大きすぎた。けれど一度死んだ私に怖いものはない。きっとこれは私の生き残る確実で最短の経路だと信じて。
「今日からお前は俺の弟子だ。責任を持って、お前を一人前の魔法使いにする」
「よろしくお願いします! お師匠!」
こうして人生2周目の私の魔法使い生活が始まった。
もっとも他の魔法使いたちが危惧していたような偉大な魔法など微塵も使えず、私の受けた祝福はランプ・ブラウニーの得意とする「もの探し」のみだった。そうして私を一人前にすると宣言したお師匠、シモン・バーベナが大いに苦戦を強いられることになるのだった。




