10話 宮廷魔法使い、約束
どこもかしこも華やぎ活気にあふれる街中を、おろおろと戸惑いながら歩く。その原因は私の目の前を歩く宮廷魔法使い筆頭、シモンだ。
「俺の嫁だ」
先ほどアドニスに宣言したシモンの言葉を思い出すだけで顔が火照る。そのまま腕を掴まれ温室から連れ出されたが、すぐに手を離すとこの市中まで彼は何一つ言葉を発さず速足で私の前を歩き続けている。ここまでの道のりを見る限り、普段の見回りのルートだ。
てっきりアドニスとの会話についてや嫁宣言について何か言われるかと思っていたのだが、もう見回りの仕事に入っている。拍子抜けだ。
先ほどのアドニスの発言は、まるで私に気がある風だったが、そんなはずもない。おそらく彼の位置からは温室に入ってくるシモンが見えていたのだろう。結婚だのなんだのという話はアドニスも知っていた。シモンをからかうための質の悪い冗談だったのだろう。そしてそれに対するシモンの発言もまた、売り言葉に買い言葉だったのだ。そう思った方がまだ私の精神的健康にいい気がした。
大事な時期である今、余計なトラブルをこれ以上抱えたくない。
今の私の課題はシンデレラを無事に舞踏会に送り出すこと、アドニスが一目惚れするレベルで彼女を美しくすることなのだ。
シモンのことは、あとでいい、はずだ。
「カトレア」
「なんですお師匠」
だからなんでもない顔をしろ、私。
「いつになく市中が賑わってるな。人が多すぎる」
「ええ、殿下との舞踏会が近づいていますから。貴族たちは服飾品を買って回っているでしょうし、商人たちも気合が入っているのでしょう」
どこの貴族令嬢もこぞってドレスから靴、アクセサリーを新調している。令嬢やその親たちの気合もさることながら、商売人たちの気合も負けてはいない。突然訪れた書き入れ時。一人でも多くの客に一つでも多い商品を。そしてあわよくば今後お得意さんになってくれやしないだろうか。自分の店で仕立てたドレスを着た令嬢が王子に見初められはしないだろうか、と鼻息荒い。
「お前は参加しないが、いいのか」
ようやく振り向いたその顔は不機嫌でもご機嫌でもなかった。あまり見ることのない顔、相手が何を考えているのか探るような顔だ。基本的に傍若無人で社会性に欠ける彼が、相手の気を遣うなんてことは本当にまれだ。
それを今、私に聞くのか、と一瞬わきかけた苛立ちはその表情を見るだけで霧散した。
「構いませんよ。そもそも恐れ多くも顔見知りですから、見初められるなんてことないですし」
「他の貴族子息たちだって来るだろう」
「うーん、まあ貴族令嬢としてはそういうところは気にすべきだし、婚活もすべきだとは思いますけど、今それどころじゃありませんし。もうすぐ死んじゃうかもしれないのに、婚活とかしてられないでしょう」
よそではとても言えない本音を、シモン相手なら吐き出せる。そもそも私の呪いと死期を断定したのはシモンなのだから、こんな愚痴に付き合うくらいしてほしい。
「それもそうだが……」
「それに、お師匠が守ってくれるんでしょう? なのに私が浮かれて舞踏会に参加して婚活するとか、さすがに面の皮厚すぎません? 婚活よりも生き残る方が大事だし、私を見初めてくれるかもしれないどこかの誰かより、私を助けてくれようとするお師匠の方が大事ですよ」
自分で話しながらうんうん、と納得する。そうだ、まさしくそうなのだ。今の私は婚活にうつつを抜かしている暇はない。今でさえ私は目をつぶしに来るだろう鳥に対して警戒しなくてはいけないし、舞踏会が無事に終わったとしても、前回の私の命日を過ぎるまで安心はできないのだ。
それに対してただの部下であり、ただの弟子である私をあれこれ調べて助けてくれようとするシモン。改めて考えると彼はとんでもなく貴重な助け舟なのだ。ほぼ確定の私の未来。それを覆そうと一緒に考えてくれる、この国の最高峰、最強の魔法使い。こんなに頼りになる助っ人がほかにいるだろうか。
「……本当にいいのか」
「まったく? あ、でも舞踏会参加者側ならおいしいお料理とか食べられますよね! それは惜しいです。残った料理とか、舞踏会後に摘まませてもらえませんかね?」
もう舞踏会の日のシフトも決まっているというのに念押ししてくるシモンに疑問符を浮かべながらも私の意識は明後日の方へ向いていく。
卑しいということなかれ。私も腐っても貴族。普通ならそんな残飯漁りまがいのことはしない。だがしかし宮廷の料理は別なのだ。料理のレベルが段違い。もちろん家のシェフの料理もおいしいのだが宮廷ともなると最高の食材、最高峰の技術の粋を集めた料理。おいしくないはずがない。さっきのアドニスとのお茶会の茶菓子だってそうだ。片端からローブのポケットに詰めて1日1つずつ大事に食べたいくらい。タルトやケーキならともかく、クッキーやスコーンについては一瞬本気で検討してしまった。
「ふはっ、料理くらいなら舞踏会の後に俺が用意しておく。食べに来い。末席とはいえ宮廷魔法使いが残飯漁りを試みるな、みっともない」
「本当ですか! さすがお師匠! 優しい! カッコいい! さすが宮廷魔法使い筆頭!」
テンションがうなぎ上りだ。仮にも職務中だが喜びのまま師匠にじゃれつく。嬉しいおいしい。宮廷魔導士筆頭である彼は宮廷に常駐している。つまり三食宮廷料理なのだ。そんな彼が食事を用意する、というならそれは宮廷料理に他ならない。
王太子の舞踏会でシンデレラは見初められ、私は料理にありつける。万歳。俄然舞踏会が楽しみになってきた。
「ああ、それと結婚はアドニスが式を挙げたあとにしよう。流石に奴より先はまずい。婚約についてもそうだな。多少は待たせるがまた実家にあいさつに行く」
「……ん?」
実家にあいさつ。
一瞬思考停止したが本能でたたき起こす。今師匠はなんと言った。王太子の結婚はわかる。結婚は王太子の結婚式の後で。この結婚て誰の話。
『本当にいいのか』
数分前の言葉がリフレインする。
「あっ……!」
あれは舞踏会に出られなくていいのか、ではなく以前からシモンの口から出ていた冗談なのか何なのか測りかねている結婚の話だったのではないか。
そして結婚の話、まさか本気だったのか?
ではさっきのアドニスとのやり取りも冗談の言い合い、売り言葉に買い言葉ではなく本気で言っていたのか?
『俺と結婚するか』
『俺の嫁だ』
あれは
「どうした?」
何とか謝罪と訂正をしようとした私を師匠が見下ろす。
表情はいつもとそう変わらない、けだるげだ。でも付き合いも長いからわかる。今の師匠はご機嫌だ。そわそわしてる。そして黒髪から覗く耳は赤く、口元は微かに緩んでいた。
私は口にしようとした言葉は飲み込んだ。飲み込むしかなかった。
「な、何でもないです」
「そうか?」
何事もなかったように歩き出す師匠の少し後ろを追う。うっかり振り向いて、顔を見られたりしないように片手で顔を隠しながら。
日が落ちて暗くなった外を眺めながら、以前シモンからもらったアミュレットを眺めた。
小動物を除けるアミュレットの効果は今も健在で、アミュレットを身に着けた私がいるときは鳥も鼠も全く寄ってこない。さすがは宮廷魔法使い筆頭様お手製の呪具だ。
「…………、」
心の中でそう茶化しても、今は以前のような気持ちで見ることができなかった。
気まぐれに姿を見せていた澄ました顔をした妖精がアミュレットに腰掛けながら私のことを見ていた。私の手元に来て数週間。環境に慣れたのかそれとも私に興味がわいたのか、以前のようにシカトすることなく、私の鼻先を見つめていた。
よくよく見れば顔には化粧のような模様が施され、背中には弓を背負っている。これまでは早々に姿を隠されてしまっていたから、こうして姿を観察する機会がなかった。
「いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」
返事などないとわかりつつも声をかけておく。
妖精たち曰く、私は弱くて危なっかしい。だからこそ、ほんの少し力を貸してあげたくなるそうなのだ。だから私は妖精たちに礼を惜しまない。決して驕らない。たとえシカトされようとも。
「…………、」
「え?」
しかし今日は違った。逡巡するように視線をさまよわせた後、妖精は口を開こうとしたのだ。初めて聞くだろう声に全神経を聴覚に集中させた。気高い高位の妖精は、たいていの場合人嫌いで話をすることも力を貸すこともほとんどない。
「ねえ、カトレア、聞きたいことがあるんだけど」
ノックなしに入ってきたのは姉、パトリシア。声を上げる間もなく、妖精はそっと姿を消し姿形もなくなった。
めったにないチャンスだったのに、とうなだれるが仕方がない。パトリシアには妖精は見えないし、こちらの事情など知ったことではないだろう。
「……どうしましたか、お姉さま」
「あらなあに、辛気臭い声ねえ」
「お気になさらず……それで私に聞きたいこととは」
「それがねぇ……」
珍しく言葉を濁すパトリシアに首をかしげる。
いつものパトリシアといえば歯に衣着せぬ物言いで、単純明快に用件を話す。こんな風に言いよどむとは、よほど何かあったのだろう。
そう思い彼女に椅子をすすめると決心したように顔を上げた。
そして一瞬で察する。
紅潮した顔、話したくて仕方がないといわんばかりにもごもごする口。
恋多きパトリシアらしい、恋愛ごとの話だ。
身構えた自分がバカバカしくなる。ため息をつきながら肩の力を抜いた。
「それがね、今日街でとっても素敵な人と出会ったのよ!」
「はあ、」
こうなると長い。正直なところ明日も仕事だし、私も今日はシモンのことでいろいろあったので一人でものを考えるだとかさっさと寝るだとかで自分の心を整理したいのだ。気のない返事になるのも許してほしい。
「大通りのブティックに行った帰りに、人気のカフェに行ったのよ。ほら、前から話題になってたジェラートの、」
「なにそれ羨ましい」
「そこじゃないのよ、カトレア。それで幸い私は席をとれたんだけど、そのあと混んできてね、相席を頼まれたのよ」
今時珍しい、と思いながらもそんなにも人気なカフェならぜひ私も行きたかった、と歯噛みする。大通りのブティックの傍のジェラートがうりのカフェ。完全に把握だ。宮廷魔法使いの先輩が行ったという話は聞いている。
「そしたらその相席をした人がもう、すっごいイケメンで! 銀髪の貴公子? みたいな感じ! 切れ長の目に白い肌、背も高くてすらっとしててねえ、もう周りの視線も私たちのテーブルにくぎ付けで」
「ふうん。珍しいですね、お姉さまがそんなに見た目をほめるなんて」
パトリシアは面食いではある。だがここまで騒いだりはしない。結局結婚が大前提となっている以上、一番大切なのは家柄だ。初対面の人間、それも身元の一切わからない街で会っただけの人間にこんなに執心する様子は見たことがなかった。
「まあ見た目もだけど、所作が美しくて。あれは平民とかじゃないわね。人の視線にも慣れてるし、堂々としてる。マナーだってけちのつけようがなかったわ」
「じろじろ見すぎでは……?」
「相席させてあげたんだからそれくらいいいじゃない。見てるだけで眼福よ。それに何より、身分なんて聞かなくてもわかるわ」
「ええ……家紋のついたブローチとかつけてました? それか馬車に乗ってたとか」
「瞳が紫だったのよ」
瞳が紫。
はたと飛びかけていた意識が戻ってくる。
「紫の瞳、ですか」
「ええ、あなた言ってたじゃない。魔法使いはみんな遺伝にかかわらず瞳が紫だって」
「……ええ、私もみんなも紫の目です」
妖精たちから、姿を見ることを許された類稀な瞳。
「ならもう身元が分かったも同然じゃない。魔法使いは宮廷にしかいない。ってことは宮勤めのエリート魔法使いなのは確定。優良物件じゃない」
「……名前は、なんと?」
「わからないわ。名前を聞いたけどはぐらかされて」
思わず眉間に皺が寄る。
「あ、でもその代わりにこれを預かったわ」
そうパトリシアが差し出したのはハンカチで包まれた懐中時計だった。
イミテーションでもなんでもないようで、金色の秒針は的確に時を刻んでいる。
ガラスで出来ているようで時計の内部が透けて見える。一目で高価なものであることが知れた。
「こんな懐中時計初めて見たわ!」
「その人はどうして、お姉さまにこれを?」
「ふふ、「私とあなたに運命があるなら、きっとまた会えるでしょう。その時まで預かっていてほしい」ですって! ロマンチックよね。それにどう見ても高価なものだから、きっとまた会えるって確信があったのよ!」
私にもついに! 素敵な殿方との出会いが!
高笑いでもしそうな機嫌のパトリシアを横目にガラスでできた懐中時計を眺めまわした。
懐中時計はそれ自体が高価なものだ。そのうえ普通はすべて金属でできている。だがこれは中の歯車やねじ、針以外すべてがガラスでできていた。こんな技術見たことがない。それこそ王宮にいる人々や他国の来賓ですら見たことがなかった。
「それに、魔法使いなら今度の舞踏会にみんな来るでしょう? そしたらもう一度会えるってわけ。でもその前にその人のことについてカトレアに聞いておこっかなーって思って。ほら、見た目がすごくよくて、エリートでも実は女癖がものすごく悪い、とかあるじゃない?」
「なるほど」
確かに、パトリシアの言うとおりならその銀髪の男は間違いなく宮廷魔法使いのうちの一人だろう。実際、宮廷魔法使いの中には銀髪の男性もいる。ただ彼女が言うような美貌を持っているかと言えば疑問が残る。もっとも美醜なんてものはしょせん個人個人の好み価値観の問題だ。そこで断じてしまうのはナンセンスだろう。
「……ただ銀髪の紫眼となると複数いるので誰、とは特定できませんね。他に何か特徴とか、変わったこととかありませんでしたか?」
「うーんそうねえ……眼鏡もかけてなかったし、背が極端に大きいだとか小さいだとかもないし」
「明日それらしい人に一応聞いてみますね」
何となく燻る違和感の正体も判然とせず、ひとまず棚上げしておくことにした。なんにせよ銀髪の魔法使いは限られる。ただ「昨日私の姉をナンパしませんでしたか?」と聞いて、果たして正直に自分だと名乗り出てくれるものだろうか。いたとしても誤魔化されそうな気がする。
「カトレアはこの時計から持ち主の居場所を探すことはできる?」
「できますよ。ただ誰のものか全くわからないもので探すのはちょっと……。プライバシー的に倫理観に欠けるので仕事以外では控えてます」
「なあんだ。まあいいや。舞踏会の時の楽しみに取っておくわ」
「あっ」
パトリシアは私の手からガラスの懐中時計を掻っ攫うと、来た時と同じように上機嫌で去って行った。
嵐のような姉に疲れ切ってベッドに倒れ込む。
上機嫌な彼女には悪いが、さすがにできすぎてはないだろうか。
偶然行ったカフェが混んでいて、偶然相席を申し込まれ、偶然その人がパトリシアのお眼鏡に適う人で、偶然その人がパトリシアに惚れ込む。そんなことがあるのだろうか。少なくとも前回の人生でこんな出会いはなかった。魔法使い繋がりで言えば私が魔法使いになったことで何か変わったことがあったのかもしれない。
それにあのガラスの時計だ。
確かに宮廷魔法柄は高給取りだ。魔法使いというだけで平民でも貴族と変わらない生活を送ることができる。だが金があればあの時計を手に入れられるかと言えば別問題だ。金を積んで手に入れられる類ではない気がする。ただそれも素人判断に過ぎない。私は時計に精通しているわけではないし、他国からの輸入と言われればそうなのかもしれない。
ふと、またアミュレットを見るとさっき姿を消した妖精がそこにいた。不機嫌そうに扉を見ている。おそらくパトリシアが気に入らなかったのだろう。自分の話を遮った声の高い人間の女。気位高い妖精が嫌うには十分だ。
「話、途中になっててすみませんでした」
「……くさい」
「はい?」
極小の眉間に皺を寄せて妖精は呟いた。
「くさい」
「……あ、もしかして猫の匂いですか? 彼女の部屋は猫が出入りしていて」
妖精は基本的に猫が嫌いなのだ。どうしてかはわからないが、猫のいる部屋に妖精はいない。パトリシアが嫌われる一因はそれもあるのかもしれない。
「ちがう」
だがしかし妖精はさらに不機嫌そうに顔をしかめ、叱るように私の鼻を小さな手でたたくと姿を消した。私の前に残ったのはただのアミュレットだけだった。
「くさいって……何の話?」
釈然としないものを抱えながらも、明日の仕事のために明かりを消した。
なんにせよ、明日お師匠や銀髪の魔法使いに聞けば何かわかるだろうと思いながら。




