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負社員  作者: 葵むらさき
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第80話 この宇宙が滅び去るその時まで対話を

 縦二つに割られた青白い蛇は、それを形作る煙の粒子が一粒ずつ拡散していくように薄くなり、消えていった。もはやスサノオ――ガセスサの声も、鯰の声も、出現物の声も聞えては来なかった。

 そして楽しげにはしゃいでいた恵比寿もまた、無言の状態に戻り作業を続けているようだった。その証拠に、神舟は数分と待たないうちに空洞の外へ到着したのだった。

「けど、今回俺らって、特に何の働きもしてないよね」結城が、金色に輝く空洞内を肩越しに見返りながら言う。「いいのかな、このまま帰っても」

「もちろん、大丈夫です」すぐに天津が答える。「今日は本当に、遅くまでかかってしまってすみませんでした」

「その空洞に入ってくれただけで、充分だよ」酒林も労う。「お疲れさん」

「クライアントに挨拶しなくてよいのですか」時中が質問する。

「はい、磯田社長には結局、新人さんたちが洞窟に戻って来ている事をお知らせしていませんので、まあ……言葉は悪いですが、このまま……」天津が語尾を濁す。

「とんずらこきましょう」酒林が後を引き継ぐ。

「わあ」結城が目を丸くする。「なんか犯罪行為のようですね」

「そんなことはありません」すぐに天津が答える。「何しろ皆さんは今日、実地研修三日目、OJT初日だった上、大変なトラブルが起きてしまったわけですから……本当に、申し訳ありませんでした」彼は頭を下げているような声で説明した。

「あー、そういえば」結城が空洞の上方を見上げながら今気づいたかのように言った。「俺ら現場研修初日だったんすよねえ」

「磯田建機さんの方でもエレベータ故障のトラブルがありましたので、本日の業務については後日再実施という事で、伊勢君が話を取り付けてくれました」大山が追加説明する。

「料金据え置きで」木之花がごく小さく――神たちにのみ聞える声で付け足す。

「まあ、皆さんよくやってくれました。お疲れ様です」大山がにこにこしたような声で労う。

「お疲れ様っしたあ!」結城が復活した大声で返答し、時中と本原は久しぶりに顔をしかめた。


          ◇◆◇


 ――お疲れ様でした、か。

 地球は、もはや自分の声が誰にも届いていないらしいことを知った後、比喩的にふう、とひとつため息をつき、その後はゆっくりと、システムの活動を見守りながら、時を待っていた。その空洞から人間たちが、そして神たちが出て行っていなくなるのを。

 いわゆるイベント――対話については、必ずしも期待通りの内容に終ったとは言えなかったが、

 ――まあ、こんなものなのかな。

 地球はそう思っていた。何しろ“解り合う”のには、時間がかかる。どれだけ時間をかければ完結するのかも、定かではない。もしかしたら未来永劫に――つまり地球の、あるいはこの宇宙の寿命では追いつかないのかも知れない。


          ◇◆◇


「しかし本当に、きれいさっぱり消えちゃったよねえ」結城は、神舟に乗り込む前にもう一度洞窟の暗い岩壁を見上げながらコメントした。「あれだけ騒がしかったのに」

「――」時中も岩壁を見上げながら、何か考え込んでいる様子だった。「啓太も、消えたのか」呟く。

「うーん」結城は腕組みをしてひとまず考えてみたが、結論は出せなかった。

「あの方たちは仕事が嫌いな方たちだったのでしょうか」本原が質問する。「会社に対する不満をたくさん仰ってましたけれど」

「どうなんだろねえ」結城が頭の後ろに手を組む。「でもパワハラとかブラックとか、どこまで摘発すりゃなくなるのか、まるでわかんないしなあ」

「企業と従業員との対話が必要だということか」時中は俯いたまま呟く。

「どうなんだろねえ」結城は再度言う。「対話つってもお互いの都合を主張し合ってるだけじゃ何も解決しないだろうし」

「企業も社員も、我慢が必要なのでしょうか」本原が確認する。

「けど我慢ってのはいつか必ず破綻する前提のもんだからね」結城は人差し指を立てて説明する。「破綻した先にあるのは、大概暴力的なもんだよ」

「暴力ですか」本原が確認する。

「そうそう」結城は人差し指を振る。「ほら研修でやったでしょ、プレートがプレートの下に潜り込んで、歪みが生じてエネルギーが解放されると地震が起きるって。あれと一緒だよ」

「それがパワハラなのですか」本原が確認する。

「いや」結城が人差し指を振りながら回答する。「退職。社員側の」

「退職は暴力なのですか」本原が確認する。

「まあ一種の反体制行動だよね」結城が解説する。「辞められると企業にとっては痛手だもんね。人雇うのにも金かかるし。募集広告の費用とか」

「では退職はよくないことなのですか」本原が質問する。

「いんじゃない」結城はあっさり回答する。「自分で、ここで働く価値ねえと思ったら辞めりゃいいんだよ」

「それでまた自己嫌悪に陥ることになるのだろう」時中が厳しい意見を述べる。

「しばらくのんびりしてれば、また何か見つかるよ。やりたいことがさ」結城は再度頭の後ろで手を組み、楽観的意見を述べた。

「一貫性のない人間として信用を失うのではないでしょうか」本原が厳しい意見を述べ、

「そうだ。社会を甘く見すぎている」時中も厳しい意見を述べた。

「そうかなあ。あいさつする相手としない相手をセレクトしてくれちゃうような社会なんて、それこそ価値ねえと思うけどなあ」結城は神舟の天井方向を見上げて口を尖らせた。

「テロリストの理屈だ」時中が厳しい批判を述べ、

「アナーキストみたいです」本原も厳しい批判を述べた。

「えと、皆さん」大山が遠慮がちに声をかける。「勿論な話なんですが、どうか今日の事で我が社の仕事が嫌だとか、見捨てる、とか、何卒ありませんようひとつ」

「はいっ、もちろんっす!」結城が叫ぶ。

 時中と本原は無言で顔をしかめた。

「ま、まあ、その」大山は口ごもりながらも続けた。「今日の事は、まあこんな事を言うのも我々の能力不足スキル不足をさらすことになるわけでまったく面目ないことこの上もないんですが、その、あまりにも想定外だった……いや本来そんなことがあってはならないんですが、それは我々も重々承知の上で、敢えてその」一息置き「申し訳ありませんでした!」深く頭を下げているような声で謝罪する。

「もしこの次に同様の事態が起きたら、どのように対処されるんですか」時中が質問した。

「はい」大山は神妙に声を落として回答した。「八百万やおよろずの神総出でフォーメーションを組み、出現物の攻撃に対して迅速な防御態勢を取ります」

「地球さまとの対話はどのようになるのでしょうか」本原が質問する。「鯰さまがいなくなってしまった後は」


          ◇◆◇


 ――あれ。

 地球は、比喩的に眼をぱちくりさせた。「鯰くん?」呼びかける。

「……んー……」すこぶる不機嫌そうな声が、こぽこぽと水の泡の音とともに返ってきた。

「君、戻らないの?」地球は訊いた。「神たちのところへ」

「――」鯰は少しの間黙っていた。「だってあいつら、まだ答えてくれてないもん」甲高い声でぶつぶつ文句を言う。「残業代のこととか」

「君にそんなもの必要なの?」地球は少し笑いながら訊いた。「魚類なのに」

「必要とか不必要とかじゃないのよ」鯰は甲高くぷんすか怒った。「気持ちの問題よ、気持ちの」

「わかった、ごめん」地球はさらに笑いそうになるのを抑えながら謝った。

「だから、あいつ」鯰はぶつくさと続けた。「あのスサノオって奴にやってもらえばいいじゃんって話よ」

「ああ……」地球は思い出していた。「でも、彼には……難しいんじゃないのかな」

「なんで」鯰は不服げに訊いた。

「だって」地球には、鯰が何を言ってもらいたがっているのか解っていた。「君じゃないと務まらないことだから」

 鯰は黙っていたが、やはり満足そうな雰囲気ではあった。

「彼は、あまり細かいことまで配慮できなさそうだから」地球はさらに付け加えた。

「まあね」鯰は甲高く満足そうに言い放った。「あいつ、馬鹿だしね」

「ははは」地球は比喩的に苦笑した。

「あいつ、またあの結城って奴の中に戻ったの?」鯰は訊いた。

「うーん」地球は比喩的に首を捻った。

「ん?」

「――」地球は、思い出していた。


 カマビスしい

 やっぱりキのナカがいいや


 そんな声を残した後、“彼”はふわりと、飛んで行った。結城の体の中に入り込むようにも見えた。けれど――地球はその時に感じた“彼”の行動を、不思議の思いで眺めていたのだ。

「というよりも――」遠くを眺めるような声で、地球は言った。

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