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負社員  作者: 葵むらさき
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第71話 それだけ嬉しげに繰返す新造語も明日にはきっと忘れてる

 成長した木片は、結城の手により孔の中へ差し込まれた。

「では始めよう」時中が眼鏡を指で押し上げる。「正三角の位置に並ぼう」

 新人たちは、そんな昔に行ったものではないにも関わらずひどく懐かしきフォーメーションを今、再現しようとし始めた。

「閃け、我が雷よ」時中が鉱物粒子間に隙間を開けるイメージで唱える。

「迸れ、我が涙よ」本原が粒子間に水を流れさせるイメージで唱える。

「開け、我がゴマよ」最後に結城が何らのイメージも策謀もなく叫ぶ。

 そして次の瞬間、岩壁の下から遥か上方にまで、目に見えぬ巨大な刃物がすぱりと切り裂いたかのように亀裂が走った。

「おお」結城が感嘆の叫びを挙げる。

 裂け目の向こうには、真っ黒な闇があった。闇の色だけが、そこに在った。その闇に、三人のヘルメットのライトが当たり――それは、ゆらゆらと揺らめいた。たゆたっていた。光が照らすもの、その闇の正体は、ゆらゆらとたゆたう大量の水であった。

「これって」結城が目の前に立ちはだかる闇色の水を指差して言った。「海?」

 確かに、そこには海があった。

「海」時中が茫然と繰り返す。

「何故流れ出して来ないのですか」本原が質問する。

「うひょー」鯰が甲高く感嘆する。「水圧高そー」

「えっ」結城が足下の鯰を見下ろす。「じゃあ、この中入ったら、死ぬ?」

「まあ一瞬でぺちゃんこだろうねえ」鯰が甲高い声で戦慄すべき回答をしたがそれは呑気な話にしか聞えなかった。

「瞬ぺちゃ?」結城が叫ぶ。

 真っ黒な水が波打ち、その中に時折、白い小さなものが細かく揺れながら素早く横切ってゆく。

「あれは深海魚でしょうか」本原が確認する。

「未知の生物かもね」結城が楽しげに緊迫感のこもったかすれ声で言う。「ダイオウイカとかいんのかな」

「というかこの中に入っていかなければならないのか」時中が今後の対応について懸念を示した。「大丈夫なのか」

「わかんないけど」鯰は最初低く、だがすぐに甲高く断言した。「やるしかないと思う」

「よし」結城が腕を背後から前方に振り出して叫んだ。「やろう」

「本当に入って行ってもいいのでしょうか」本原が懸念を示す。「鯰さまはこの後どうなるかわかっていらっしゃるのですか」

「よくわかんない」鯰はいい加減なことを断言した。「でもやるしかないと思う」

「鹿島さんと宗像支社長は何て言ってる?」結城が訊く。

 鯰は数秒黙り「そのままやって大丈夫だってさ」と甲高く伝えた。

「天津さんたちは来ないのか」時中は被せて質問した。「天津さんと、酒林さんは」

 鯰は数秒黙り「来ないね」と甲高く伝えた。「もう、やっちゃいなよ」

「けれどあの海の中に入ることはできるのでしょうか」本原が再度確認する。「水圧が高いという事でしたら、入るのは控えた方がよいのではないでしょうか」

「じゃあまず、俺が行くよ」結城が本原を振り向いて言う。「俺が行って大丈夫そうだったら、後から続けて入ってくればいいんじゃない?」

「大丈夫ではなかったら、どうなるのですか」本原はさらに確認する。

「そうしたら、再度確認してどうするか考えたらいいんじゃない?」結城が上方を見て言う。

「その場合結城さんはどうなるのですか」本原が質問する。

「瞬ぺちゃ」鯰が答える。

 新人三人は黙り込んだ。

「大丈夫大丈夫」鯰が甲高く付け足す。「神たちが何とかするって。大丈夫だから」

「うん」結城が頷く。「俺はまあ、大丈夫だと思うよ。普通のあれだったら瞬ぺちゃだろうけど、俺ら神様がついてるからね。まあ、大丈夫だろ」

「文句を言わずに命を懸けろという事だな」時中がコメントする。

「そういえば伸也はなんで転職決めたの?」啓太の声が問いかけてきた。

「啓太」時中ははっとして顔を上方に上げた。「いるのか」

「あちゃー」結城も口角を下げながら上方を見る。「今?」

「確か管理職だったんだよね」啓太は姿を見せないまま語りかけた。「俺なんかと違って給料もいいし、俺なんかよりずっと偉い立場だったのに」

「そんなことはない」時中は上方を見たまま首を振った。「啓太、違うぞ」

「管理職をなさっていたのですか」本原が確認する。

「へえー。すげえ」結城が感心する。

「どうして転職なさったのですか」本原が啓太の質問を繰り返す。

「管理職の業務形態のあり方に疑問を抱いたからだ」時中は上を向いたまま答えた。

「業務形態のあり方というのは何ですか」本原が啓太の代わりにさらに問う。

「早い話がプライベートタイムというものを持つ事を許されない仕事だったからだ」時中はいまだ見えない啓太を探しながら答える。

「ああ~」結城が頷き、

「結城さんと同じ理由という事ですか」本原が確認し、

「そうだね」結城が本原を見てまた頷く。

「違う」時中は顔を正面に下ろし、首を振って否定した。

「そっか、まあ業務上の立ち位置が違うからねえ」結城が時中を見てまた頷く。「あれでしょ、奥さんと二人きりの時間に突然電話かかって呼び出されて、みたいな」

「違う」時中は首を振って否定した。

「あれ、そう」結城が肩をすくめ、

「何の時間だったのですか」本原が質問する。

「ガ」時中は答えかけて止めた。

「が?」結城が訊き返し、

「何でもない」時中が首を振って否定し、

「仕事以上に大切な趣味があったという事なのですね」本原が確認し、

「プライバシーへの詮索はやめてもらおう」時中が眉をひそめ苦言を呈した。

「そうだよね。ごめんな、変なこと訊いて。もう訊かないよ」啓太が申し訳なさそうに謝る。

「啓太」時中がはっとして上方を見る。「違うぞ、啓太」

「もう、早く行っちゃいなよ」鯰が甲高く怒鳴る。

「はいはい、じゃあ俺から行くねー」結城は大声で応じ、亀裂の向こうの黒い海の中に右足から踏み入った。

「会社のクオリティを」「向上させる力になると」「見込まれたのか」言葉が――出現物たちの声が、まるで生まれてはすぐ消え行く(あぶく)のように、結城の耳に入ってきては去って行く。「文句を言わずに」「ただ働き続ける」「奴隷となってくれると」「踏まれたのか」「どっちなんだ?」

 結城の周囲は、真っ暗闇だった。出現物たちの泡のような声以外は何も聞えてこない。呼吸は――できている。ガスを吸い、吐き出すことはできる。顔も体も、水に濡れている感覚も、水圧に圧し掛かられている感覚も、ない。

 ただひたすらに真っ暗で、泡のような声のみが次々に聞えてくる。

「価値のあるなしは」「人によって違う」「だから自分に価値があるか」「どうかの判断は人に任せてちゃ」「いけないんだよ」「自分の価値は自分で」「付けていかなきゃ」「きれいごとだ」「いやあ」「汚い作業だと思うよ」「必死こいて汗水垂らして」「なりふり構わず好きなことだけ」「追求するって」

「あれ」結城は暗闇の中、ただ一人目を丸くして呟いた。「この言葉――」

「傍から見たら変人だし」「醜いかもだし」「はぶられるかもだし」「否定も批判も喰らいまくるかもだし」「それでも価値があると」「自分で信じれば」「価値があるのか」「ないかも知れないし」「意味ねえだろが」「意味ねえわ」

「あ、やっぱり」結城は上方を向いて叫んだが、上方にもやはり暗闇しかなかった。「これ、坂田と片倉じゃん」

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