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負社員  作者: 葵むらさき


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第69話 あなたと同様俺にだって酸素を吸う権利はある

「どこにいたの? 今まで」地球はスサノオに訊いた。

「どこって」スサノオの声はくぐもった。「その辺に、いたけど」

「その辺?」地球は思わずまた訊いたが、すぐに気づいた。恐らく“彼”自身にも、わからないのだろう。“固定”されるまでの自分が、どこを漂っていたかなど。「今からどうするの?」地球はまたそう訊いてみた。

「そうだな……」スサノオは雰囲気的に頭の後ろで両手を組み、考え込んだ。「あの三人は今、どうなってる?」

「まだ洞窟の中に閉じ込められてるよ」地球は淡々と事実を伝えた。「今から例のイベントを実施してもらおうと思う……というかもうすでに、始めてくれているみたいだけど」

「どこの洞窟だ?」スサノオは重ねて訊いた。「近くか?」

「――」地球はスサノオを比喩的にじっと見た。「教えられないな、悪いけど」

「そうかよ」スサノオは怒ることもなく、逆に面白そうに笑った。「まあ、そのイベントが完了すれば出て行けるだろ、俺も」

「どうしてそう思う?」地球は訊いた。

「神の仲間だからな、俺も」スサノオはあっさりと答えた。「呼び合うのさ」

 地球は何も答えなかった。そんなはずはない、とも、今の段階では言い切ることができないのだった。


     ◇◆◇


「おっ」結城が叫び、

「ありました」本原が報告し、

「やったな、伸也」出現物の声が称えた。

「啓太」時中はその名を叫び、大きく振り向いた。

 出現物の姿は見えなかった。

「啓太」時中は上方を向いて再びその名を叫んだ。「どこにいるんだ」

「たぶん俺は、特にあいさつしなくてもいい相手だと思われてたんだろうな」啓太の声は唐突に話し始めた。

「啓太」時中は上方と下の辺りまでをもきょろきょろ見回した。

「目の前をすーっと通り過ぎて行かれて、自分じゃないまったく別の人間に『お疲れー』『お先ー』と目の前であいさつされるっていうのがな」啓太はぶつぶつと語り続けた。

「あー」結城が応じた。「いるね、そういう人。相手をセレクトしてもの言う人」

「仲の良いお友達同士だからというだけではないのでしょうか」本原が推論する。「あまり深い意味はないのかも知れません」

「啓太」時中は囁きかけるように呼びながら、いまだきょろきょろと出現物の姿を探し続けていた。

「何かその相手特定の用事とか業務とかなら、まだそんなこともあると思う。けどあいさつってのは、違うと思うんだ」啓太はさらにぶつぶつと語った。「あいさつってのは、俺だったら目の前に見えてる人間全員にする」

「うん」結城が大きく答える。「俺もそうする。あいさつだもんな」

「対話しているのですか」本原が質問する。

「啓太」時中が囁きかける。「お前やっぱり、職場でいやがらせを受けていたのか」

「ハラスメントだね」結城が受ける。「あいさつハラスメント、アイハラだ」

「人の名前みたいです」本原がコメントした。

「本原ちゃんの仲間みたいだよね」結城が笑顔で応える。

 本原は無視した。

「啓太」時中が声を大にして呼びかけた。「お前は悩んでいたのか」

「悩んでいるよ、今も」啓太が応えた。「俺の尻込み人生において」

「尻込み人生?」結城が訊く。

「俺はずっと、尻込みしながら生きてきたんだ。人と関わるとか、現実と向き合うとかいうのがどうも苦手でさ」

「だからあいさつされなかったのではないでしょうか」本原が考えを述べる。

「啓太を批判するな」時中が反論する。

「でもたぶんそうなんだ」啓太は批判を受け入れた。「俺はセレクトされるほど価値のある存在じゃなかったんだ」

「そんなことはないよ」結城が間髪を入れずに返答する。「ていうか、あったりなかったりするよ」

「どういう意味だ」時中が眉をひそめる。「啓太を馬鹿にしているのか」

「いや、違う違う」結城はハンマーを握ったまま両手を振る。「価値なんて、人それぞれじゃん。同じ一つのことでも物でも、人によって価値があったりなかったり」

「というかどうして啓太さんは突然私たちと対話するようになったのでしょうか」本原が質問する。

「なんだろうね」結城は首を傾げる。「トキ君が、岩の目を見つけたからかな――あっそうだ、岩の目岩の目」そして思い出したように大声を挙げる。「イベントしようイベント」

「啓太」時中は応じなかった。「姿を現すことはできないのか」

「トキ君、ドリルで穴開けよう」結城は時中に要請した。

「多くの人から価値があると思われる人間と、まったくそう思われない人間とがいるんだな。俺は完全に後者だ」啓太がぶつぶつと語る。

「そんなことはない」時中が否定する。「私はお前は価値のある人間だと思っている」

「えーと、まずいなこれ」結城が後頭部を掻いた。

「イベントが先に進まないからでしょうか」本原が確認する。

「なんかさ、啓太君にとってイベントやられたらまずい事情があんのかな」結城は上方を見上げた。「啓太くーん」呼びかける。

「啓太? 誰じゃそれは」突然、野太い声が洞窟内に響き渡った。

「あれっ」結城が目を丸くし、

「まあ」本原が口を抑え、

「啓太」時中が眉をしかめた。


     ◇◆◇


 もう少しだ。もう少しで、新人たちのいる場所に辿り着く。鯰には何となくそれがわかった。水温が、下がってきているからだ。イオンの成分も、少しずつ変化してきている。

「鹿島っち」鯰は全力で水中を縫い進みつつ、叫んだ。「いるんでしょ、どっかそこら辺に」

 応えはない。しかし気づいているはずだ。

「あたし思ったんだけどさ」鯰は叫び続ける。「空洞の入り口開けても、人間だけじゃ入っていけないでしょ。依代が一緒でないと」

 もうすぐ、出口だ。

「どうすんの? 依代」鯰はラストスパートをかけながらまた叫ぶ。 

「基本に立ち戻る、というのかの」応えたのは鹿島の声ではなかった。もっと渋い深低音の、年輪と深く刻まれたキャリアとを彷彿とさせる声だった。鯰にとっては馴染みのない人物――いや、神の声だった。

「基本?」それでも鯰は訊いた。

「うむ」その声は応えた。「ラン藻――シアノバクテリアを使う」

「――」鯰のラストスパートが一瞬ゆるみかけた。「依代、に?」

「まあ、八百万位の数なら借りても文句言わないだろうしな」鹿島が続けて応えた。「だから安心して先導してくれ、鯰」

「――わかった」鯰は再び加速した。「もう少しで着く」

 言葉通り、出口を塞ぐ岩は鯰が激突する寸前に口を開き、鯰は大量の水とともに洞窟内へと飛び泳ぎ出た。

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