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負社員  作者: 葵むらさき
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第62話 草食の俺達はここまで来て死ぬるるん

「のんびりと過ごしていた」新人たちが言葉を失っている間に、その声は言葉を繰り返した。

「誰すか?」結城が問いかける。

 声は止んだが、数秒後「草食の、俺達は」と言葉を続けた。

「俺達さん、どなたすか?」結城が主語不明の問いかけを繰り返した。

 声はまた止んだが、数秒後「喰ったり、寝たり」結城の問いかけとは違う次元の話を繰り出し始めた。「茫としたり、喋ったり、遊んだりしていた」

「何? この人」結城が人差し指を上の方へ向け、他の二人を見て問いかけた。

「新たな出現物でしょうか」本原が答え、

「――」時中は若干眉を寄せ無言のままだった。

「特に不足もなく不平もなく、諍いも」新出現物の語りは続いた。「まったくないこともなかったのだが、さしたる大事になどならず、いつの間にかまた元通りののんびりとした空気に戻っているのが常だった」

「何の物語?}結城はさらに問いかけた。

 他の二人とも、無言のままだった。

「だがある日俺は、その存在に気づいた」出現物の語りは、展開を見せた。「一匹の、肉食獣にだ」

 三人は無言のまま、出現物の声に耳を傾けた。

「名は、沙耶香といった」

「まさか」時中が声を挙げ、他の二人が見遣るとその眉間には深い皺が刻まれていた。

「俺の左目が、その存在を捕えたのだ。俺は警戒した。すぐに走り出してはならないと思った。奴が全力で向かってくれば、造作もなく追いつかれるだろう。今はまだ気づかぬ振りをし、だが相手の動向には神経を尖らせ、機をみて短期に行動を起こすのだ。しかし観察を続ける内、俺はさらに気づいた。沙耶香は俺を狙っているのではない。どうやらその視線は、伸也に向けられているようだ」

「啓太」時中が誰かの名を呼んだ。

「ん? 誰それ?」結城が訊き、

「お知り合いの出現物なのですか」本原が訊く。

「伸也は相変わらずのんびりとしている。気づいているのかいないのか、判らない。俺はさりげなく、伸也に合図を送ってみた。あまりあからさまに警告をすると、猛獣に気づかれ一気に進撃されかねない。そっと、眼で呼びかける。だが伸也は、まったく何も反応せず、ただのんびりとしていた」

「気づいていたさ」時中が首を振りながら言う。「私だって馬鹿じゃない」

「なになになに」結城が目をくりくりと見開き時中と洞窟の上方を交互に見る。「知ってる人? 知ってる出現物なの?」

「こいつは、馬鹿なのか」声が大きくなった。

「えっ俺?」結城が肩をすくめる。

「俺は一瞬、そう思った」声は答えることなく話を続けた。「それとも敵に対するフェイクなのだろうか。油断していると見せかけ、逆に敵に油断させるという作戦でも実行しているのか。俺は迷った。伸也自身の判断に委ねておくべきか。それとも飽くまで俺が伸也を救ってやるべきなのか。伸也の明晰さを信じるべきか、それとも愚鈍さを疑うべきか」

「あっそうか」結城が目を丸くする。「このシンヤって、トキくんの下の名前だよね。え、知り合いの人なの? トキくんの?」

「何故――」時中は結城に答える風でもなく、茫然と宙を見つめ呟くばかりだった。

「だがその迷いもあまり長くは続かなかった」声の語りはなおも続いた。「飽きたのだ。それよりも、のんびりしていよう。俺は、そう思った。そうこうするうちに、伸也は沙耶香の餌食となった」

「えっ」結城が上方を見て声を挙げる。「食われたの?」

「つまり」声は結城への返答という風でもなく、言葉を続けた。「結婚したのだ」

 しん、と静まり返った。

「え」最初に結城が声を出した。「何」

「啓太」時中は上方を見上げ、またその名を呼んだ。「お前、そこにいるのか」

「ちょっと、ちょっと待って、ええーと」結城が時中に向かって手を上げ、上方に向かって人差し指を振り、顔は何故か本原の方に向けつつ「つまりこういうこと?」と問う。「今この、長々と語り尽くしてくれちゃった出現物は、トキくんの知り合いの人で、ケイタさんっていう人なわけ?」

「時中さんは結婚していらっしゃるのですか」本原が質問する。

「あれ、もうそこ行く?」結城が本原に訊く。

「ああ。している」時中が回答する。

「あれ」結城は時中に訊く。「初耳」

「けれど前に、彼女はいないと仰っていたのではないでしょうか」本原がさらに質問する。「結城さんが腹を割ってお話なさった時に」

「彼女はいない」時中は返答した。「妻はいる」

「あれ」結城は目を丸くした。「そうか、そういう解釈か」唇に人差し指を当て、上方を見上げる。

「沙耶香さんと仰るのですか」本原はさらに質問する。「奥様のお名前は」

「ああ」時中は返答した。

「で」結城は先を続けた。「今長々と語ってくれちゃった人が、啓太さん?」

「ああ」時中は返答した。

「って、誰?」結城は訊いた。

「私の、学生時代の友人だ」時中は返答した。

「へえー」結城は数回頷いた。「でもなんで、トキくんの友達が今洞窟の中にいるの?」

「啓太は」時中は瞼を伏せた。「亡くなった」

「え」結城が目を見開き、

「まあ」本原が嘆息した。

「私と妻が結婚してすぐの頃に」

「じゃあ、今、語ってくれてたのは、その」結城が上方を指差す。「啓太くんの、霊?」

「出現物というのは霊なのですか」本原が問う。

「ここまで来て死ぬって、一体どういうことだ」啓太の声は出し抜けに話を続けた。

「うわびっくりした」結城が胸を手で抑える。「啓太さん? 何ですか?」問う。

「我々の生き死になど、どうでもいいんだろうな」啓太は独白を続ける。「魚で言えば、いわし扱いだ」

「いわし」結城は叫んだ。

「いわしなんてまっぴらだ。とんでもない。俺は草食動物でいい。草食動物でいたいんだ」啓太の声は叫ぶように言った。

「同じもののように思えますけど」本原が受けて答える。

「違う。全然違う」啓太の声は叫んだ。

「うん、確かにいわしと草食動物とじゃ、全然違うよ。本原ちゃん」結城が首を振る。

「どちらも、食物連鎖の下側の方にいるものたちですよね」本原が意見を述べる。

「あ、そうか。そういう意味でか。そうだな」結城は簡単になびき頷く。「それじゃあ同じようなものっすよ、啓太君」上方に向けて呼びかける。

「違う。全然違う」啓太の声は再度叫んだ。

「啓太」時中が声を張り上げた。「私だ。伸也だ。わかるか」

 啓太の声からの返答はない。

「啓太」時中は再度呼んだ。

 だがやはり啓太の声からの返答はない。

「啓太君って」結城が時中に訊く。「なんで亡くなったの?」

「――」時中は口をつぐんで結城を見、その隣で自分を見ている本原をも見、そして答えた。「業務中の事故で」

「えっ」結城が目を見開き、

「業務中ですか」本原が確認する。

「ああ」時中は上方を見た。「労災だ」

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